寂仙

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寂仙(じゃくせん、生年不詳 - 天平宝字2年(758年))は奈良時代の僧。伊予国神野郡の出身で上仙(じょうせん)とも云い、石仙(灼然)の弟子で、石鎚山の登山道を開き、また、満願寺(廃寺)や正法寺(新居浜市大生院)を開いた[1]

概要[編集]

上仙の奥城と顕彰碑

新居浜市の新居浜郵便局の前に、上仙の奥城[2]と顕彰碑がある。ここは、戦国時代に兵火により廃寺になった上仙が開いた満願寺の近くで、 一宮神社の宮司一族の墓所である。左の石には「上仙菩薩之奥城」と刻まれ、右の石碑には由緒が書かれていて、その内容によると、 幼名を千寿丸と呼び、一宮神社宮司矢野実逸の実遠の次男として生まれ、仏に帰依して仏門に入り寂仙法師と呼ばれ、石鎚笹ヶ峰瓶ヶ森の霊山を開き、また、満願寺、正法寺、上仙寺を開き地方文化産業の興隆に尽力した高僧である(略)とある[3]

伝説[編集]

命終わる日に臨んで文を留める、それには、「我が命が終わり28年後に国王の子に生まれ、皇子の名は神野という」という内容であり、実際に、桓武天皇の子として延暦5年(786年)嵯峨天皇となる神野親王が生まれている。その嵯峨天皇こそ上仙の転生だという。なお、乳母の姓を皇子の名にする習わしがあり、乳母が神野であった。 しかし、郡の名が伊予国神野郡であったため、大同4年(809年)帝と同じということで新居郡に変更された。

脚注[編集]

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  1. ^ 西條史談第63号 33ページ
  2. ^ 奥城は奥津城(おくつき)でお墓のこと
  3. ^ 昭和37年5月5日建立の現地の石碑文より