富丘駅

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富丘駅
階段跡が残る(2010年8月)
階段跡が残る(2010年8月)
とみおか
Tomioka
沙留 (3.7km)
(7.5km) 渚滑
所在地 北海道紋別郡興部町字富丘
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 81.4*km(名寄起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1956年昭和31年)9月1日
廃止年月日 1989年平成元年)5月1日
備考 名寄本線の廃止に伴い廃駅
*キロ程は実キロ(営業キロは最後まで設定されなかった)
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1978年の富丘仮乗降場と周囲約500m範囲。右が紋別方面。豊野駅と同様に周囲は牧草地帯で、民家はまばらである。ホーム後背は丘になっているが、ここもやはり海風を真向から受けやすい位置にある。ホーム手前に待合室がある。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

富丘駅(とみおかえき)は、北海道網走支庁紋別郡興部町字富丘にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線廃駅)である。名寄本線の廃止に伴い、1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。

一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で、下り5本上り5本(快速運転列車ほか)[1])。

歴史[編集]

駅構造[編集]

廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、構内の南西側(遠軽方面に向かって右側)に存在した[2]

仮乗降場に出自を持つ無人駅となっており、駅舎は無かったがホームから少し離れた位置に待合所を有していた[2]。ホームは木造で名寄方に90度の角度で設置されたスロープを有し[2]、駅施設外に連絡していた。

駅全体が周囲より高台の海岸段丘上に位置し、道路へ出るには防雪覆い付きの階段を下る形で連絡した[3]

駅名の由来[編集]

当駅が所在した地名より。元はアイヌ語のオ=シカリ=サロル(川尻が迂回する湿地)またはオ=ム=サロル(川尻が塞がる湿地)から「思沙流」と呼ばれた段丘地帯であったが、1951年(昭和26年)の字名地番改正の際にこの地区の開拓先駆者で自治功労者の名前から「富」の一字を採り、それに「丘」を付けて「富丘」とした[4]

駅周辺[編集]

駅跡[編集]

2001年(平成13年)時点では、道路から駅構内への防雪覆い付きの階段のみが残存していた[3]。駅跡前後の線路跡は、農道として再利用されている模様であった[3]2011年(平成23年)時点でも同様に防雪覆い付きの階段は残存しており、ホーム跡には枕木が外された形で放置され、散乱していた[6]。線路跡も確認できた[6]。築堤上の空き地になっている。

また、旧駅附近の国道に立てられている「農業基盤整備事業」の看板には、当駅跡附近の名寄本線の絵が描かれていた[6]

隣の駅[編集]

北海道旅客鉄道
名寄本線
沙留駅 - 富丘駅 - 渚滑駅
かつて当駅(当時は仮乗降場)と渚滑駅との間に川向仮乗降場(かわむかいかりじょうこうじょう)が存在した(開業年月日不詳(1956年(昭和31年)11月19日には存在していた)、1966年(昭和41年)3月(日付不詳)廃止)[7]

脚注[編集]

  1. ^ 太田幸夫『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』富士コンテム、2004年2月、220頁。ISBN 978-4893915498。
  2. ^ a b c 工藤裕之『北海道廃止ローカル線写真集 追憶の鉄路』北海道新聞社、2011年12月、118頁。ISBN 978-4894536197。
  3. ^ a b c 『鉄道廃線跡を歩くVIII』宮脇俊三、JTBパブリッシングJTBキャンブックス〉、2001年7月、34頁。ISBN 978-4533039072。
  4. ^ 『興部町百年史』興部町史編纂委員会、興部町、1993年3月、P.98,P.256。
  5. ^ a b 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、18頁。
  6. ^ a b c 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、120-122頁。ISBN 978-4894536128。
  7. ^ 『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』今尾恵介、JTBパブリッシング、2010年3月、214頁。ISBN 978-4533078583。

関連項目[編集]