富谷鉎太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

富谷 鉎太郎(とみたに しょうたろう、1856年11月2日安政3年10月5日) - 1936年昭和11年)5月5日)は、日本の裁判官大審院判事・部長、東京控訴院長大審院院長貴族院勅選議員を歴任。本職の傍ら帝国大学法科大学和仏法律学校明治法律学校で講師を務めた。明治大学総長。

略歴

  • 1856年(安政3年) 栃木県に生まれる。父・豊義。
  • 1884年明治17年)7月 司法省法学校卒・法律学士。同省御用掛。
  • 1886年(明治19年)2月 - 1890年(明治23年)2月 法学修業並裁判事務研究のため欧州に派遣される。
  • 1890年(明治23年)7月 判事補・東京始審裁判所詰。
  • 1890年(明治23年)10月 名古屋控訴院判事。
  • 1891年(明治24年)1月 東京控訴院判事。
  • 1894年(明治27年)4月 東京控訴院部長。
  • 1899年(明治32年)3月 法学博士。
  • 1900年(明治33年)12月 大審院判事。
  • 1903年(明治36年)12月 大審院部長。
  • 1912年(明治45年)7月 - 10月(大正元年) 欧州に出張し、オランダで開催の手形法制統一万国会議に出席する。
  • 1912年(大正元年)12月23日 東京控訴院長(1921年6月13日まで)。
  • 1921年(大正10年)6月13日 東京控訴院長を退職し、横田国臣後、同年10月5日まで大審院長。
  • 1921年(大正10年)6月 - 1924年(大正13年)11月 明治大学総長。
  • 1922年(大正11年)2月 - 1936年昭和11年)5月 勅選貴族院議員。

参考文献

  • 『帝国法曹大観』(帝国法曹大観編纂会 1922年)……〔復刻版〕
  • 『日本法曹界人物事典(第1巻・司法篇)』(ゆまに書房 1995年)
  • 『大正人名辞典(下巻)』
先代:
横田国臣
大審院院長
第10代:1921年
次代:
平沼騏一郎

今日は何の日(7月20日

もっと見る