寛永御前試合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

寛永御前試合(かんえいごぜんじあい)は、江戸時代寛永9年(1632年)に行なわれたと言われる御前試合である。 実際に行われたかは、疑問が多々残る。

寛永9年(1632年)9月22日、江戸城内武術御撰広芝(吹上滝見の御茶屋辺であるという)御稽古場(間口5間、奥行10間)において、将軍徳川家光の御前で行われた。寛永15年説もある。

上面は大久保忠教(大久保彦左衛門)、左の方柳生宗矩、右の方小野忠常などが審判し、手に持つ白采を上下して勝敗を決した。[要出典]


試合結果[編集]

以下は『陸軍歴史』による試合結果である。

文献によって伝える内容が著しく異なる「寛永御前試合」の中では最も資料的価値が高い。とされているが、200年後に作られたと言う事に留意。[要出典]

○が勝ち、×が負け。

  • 第1試合 ○伊庭如水軒(心形刀流) 対 浅山一伝斎(浅山重晨)(浅山一伝流)×
  • 第2試合 ○竹内加賀之助 (真揚流柔術)対 由井直人×
  • 第3試合 ○佐川蟠竜斉 対 関口柔心× (『陸軍歴史』に「関口弥太郎」とあるのは父の「柔心」の誤り)
  • 第4試合 ○大久保彦左衛門 対 加賀爪甲斐守(加賀爪直澄)×(鎧勝負)
  • 第5試合 △荒木又右衛門(柳生新陰流) 対 宮本伊織(宮本八五郎)(新免二刀流)△(相討ち 勝負なし)
  • 第6試合 ○初鹿野伝右衛門(初鹿野信吉) 対 朝比奈弥太郎×(鎧勝負)
  • 第7試合 ○伊達政宗秋元但馬守(秋元泰朝)×
  • 第8試合 ○柳生市之丞(中山路介九郎) 対 石川又四郎×
  • 第9試合 ○石川軍東斎 対 松前帯刀×
  • 第10試合 △樋口十郎兵衛門定勝(馬庭念流) 対 中条五兵衛(森田五兵衛実氏)(中条流)△(相討ち 勝負なし)
  • 第11試合 △羽賀井一心斎(芳賀一心斉) 対 難波一刀斉(難波不伝)△(相討ち 勝負なし)

他の文献の伝える試合結果[編集]

ただし歴史学的資料価値低い文献が多く、ほとんど信用できない[1]

  • 竹内加賀之助(真揚流柔術)   対 渋川伴五郎(渋川流柔術)
  • 山田真龍軒(山田流鎖鎌)    対 井伊直人(柳生新陰流)・井伊貞女(薙刀)
  • 吉岡又三郎兼房(吉岡流小太刀) 対 毛利玄達(毛利流手裏剣術)
  • 日置民部(日置流弓術)     対 鷲津七兵衛(鹿島神道流棒術)
  • 山田伴山(山田久太夫入道伴山)(鎖鎌)対 土子土呂之助(土子泥之助)(一羽流)
  • 樋口十三郎(馬庭念流・磯端流) 対 穴沢主殿助(鹿島神道流棒術)
  • 曲垣平九郎(曲垣流馬術)    対 和佐大八郎(弓術)
  • 羽賀井一心斎          対 磯端伴蔵(磯端流)
  • 柳生宗冬(柳生飛騨守)(柳生新陰流)対 由比正雪(由井民部之助)
  • 吉岡又三郎兼房 対 石川軍刀斎巌流
  • 金井半兵衛(金井半兵衛正国)対笹野義胤(笹野権三郎義胤)
  • 伊達政宗対小松利常
  • 寺西弥三左衛門対関口弥太郎義国
  • 笹野権三郎対関口弥太郎
  • 1妻片久太郎時直(神道流)対浅山内蔵助重行(一伝流)
  • 2△樋口十郎兵衛(馬庭念流) 対 中条五兵衛(森田五兵衛実氏)(中条流)△(あいうち勝負なし)
  • 3○柳生市之丞 対 石川又四郎×
  • 4遠藤由利(宝山巴流)対鴨甚三郎利元(鞍馬古流)
  • 5菅沼新八郎(大捨流)対羽黒山自念坊
  • 6○佐川蟠竜斉 対 関口柔心×
  • 7△荒木又右衛門(柳生新陰流) 対 宮本伊織(宮本八五郎)(新免二刀流)△(あいうち勝負なし)
  • 8赤松又兵衛重成対竹内久長・竹内久明(竹内流)
  • 9梅津紋太夫道行対松前三四郎純久
  • 10羽賀井一心斎(芳賀一心斉) 対 難波一刀斉(難波不伝)△(あいうち勝負なし)

脚注[編集]

  1. ^ 一例として、穴沢主殿助こと穴澤盛秀寛永期以前の大坂の陣において討死にしており、この時代に試合をする事自体が不可能である(このため、名立たる達人同士が対決したらどういう結果になるのかといった予測を記述したものが混在したものとみられる)。