寺村信行

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寺村 信行(てらむら のぶゆき、1937年3月24日 - )は、日本官僚。元国税庁長官[1]

略歴[編集]

満州生まれ、育ちは愛知県蒲郡市立形原小学校、蒲原中学校中途で港区立青山中学校に転校。都立日比谷高校を経て東京大学法学部三類(政治学)を卒業後の1961年、大蔵省入省。最初の配属は、大月高局長時代の銀行局金融制度調査官付(のちの同局調査課)[2]。入省同期に野田実、濱本英輔(国税庁長官)、松野允彦(証券局長)、畠山蕃(防衛次官)、八木橋惇夫、源氏田重義(印刷局長、大和銀行副頭取)、田中誠二(税務大学校長、長野銀行頭取)など[3]

主に官房主計局に長く在籍し、銀行局経験は入省時の2年2ヶ月余りと、総務課長補佐時代(1976年7月-1977年6月)のみ。その後、主計官(法規課担当)、同(農林水産担当)などを経て、山口光秀次官 - 西垣昭官房長時代、続いて吉野良彦次官 - 小粥正巳官房長時代の1985-1986年の2年間、官房秘書課長。
1987年からの3年間、主計局次長。同局三席次長、次席次長、筆頭次長と昇格する間、西垣や小粥局長の下、斎藤次郎篠沢恭助らが上司に、藤井威(のち内閣内政審議室長)、小村武涌井洋治中島義雄らが部下にいた[2]

秘書課長時代から"大蔵本流"の山口、吉野両次官などに仕え、また大物OBの竹内道雄長岡實松下康雄らにアプローチしたことで、自らも"大蔵本流"入りする人脈を築き上げた。経済企画庁官房長を経て、バブル崩壊後、"大蔵本流"として、金融制度改革の仕上げのためにピンチヒッターとして理財局長から銀行局長に横すべりした。土田正顕前銀行局長の後任には、同じ小石川高出身、かつ業態別子会社相互参入方式という"中途半端"ながら垣根を取り払う金融制度改革を仕上げ、銀行・証券両畑で通用する人材として松野允彦(証券局長、1960年同期入省)が予定されていたが、証券業界、大手四社なかんずくガリバー野村證券との関係が悪化していた市場主義的な松野を[4]保田博次官が退官時、自らと共に退官させた[5]。代わって証券局長に小川是、銀行局長に寺村が充てられた。

銀行局[6]在任中、これら"本流人脈"をフル活用し、日米円・ドル委員会(1984年、のちの日米金融協議 (コトバンク))合意文書にみる金融自由化・国際化の中で、護送船団方式と呼ばれた金融システム維持及び再編強化という難解な舵取りの諸施策にあたった。具体的には、兵庫銀行には山田實(官房審議官、1956年入省)、吉田正輝(銀行局長、1954年入省)、日住金には岡島和男(日本たばこ産業役員、1951年入省)ら(岡島や吉田ら日比谷高同窓かつ)大蔵OBを充てた救済処置をとりながら、釜石信金は解体・清算したように、両者の再建・解体の基準の明確性ないし公平性、預金保険機構の保険料率引き上げといった実態に即した在り方などが問われた[2]

1994年7月から翌1995年5月まで国税庁長官。退官後は、ケンブリッジ大学客員研究員(1996-98年)、国家公務員共済組合連合会理事長(2000-05年)、中央大学法学部同大学院客員教授(1998-2003年)、帝京大学大学院客員教授(1999-2008年)、三重中京大学大学院客員教授(1999-2008年)などを歴任。

その他、2005年9月、日本興亜損害保険顧問、2006年7月、株式会社サンシャインシティ取締役(2019年現任)[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b 役員の状況 ミツトヨ IR BANK
  2. ^ a b c 栗林良光 『大蔵省権力人脈』 講談社文庫、1994年3月15日、26-41頁。
  3. ^ 神一行 『大蔵官僚 超エリート集団の人脈と野望』 講談社、1982年8月31日、大蔵省全キャリア一覧。
  4. ^ 真鍋繁樹 『大蔵省 懲りない権力』 二期出版、1992年6月20日、231-235頁。
  5. ^ 保田次官 - 松野証券局長ラインで、証券取引審議会の谷村裕会長、竹内道雄委員らに長岡實を残して再任を求めないことを決断。それとのバランス上、保田自らの退任と共に松野にも退任を求めた。証券業界に身を置く大蔵大物OBであり、かつ"NTTライン"と呼ばれた長岡 - 竹内 - 谷村 らの現・前・元東証理事長ラインは、金融制度改革にあたり、銀行が証券子会社を通じて流通資本市場に参入することには揃って慎重姿勢だった(栗林良光著『大蔵省権力人脈』p31)。
  6. ^ 栗林良光著『大蔵省権力人脈』p41では、当時GNPの約半分に影響をもつ…と形容されている。
先代:
土田正顕
大蔵省銀行局長
1992年 - 1994年
次代:
西村吉正
先代:
濱本英輔
国税庁長官
1994年 - 1995年
次代:
小川是