対馬市立厳原北小学校

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対馬市立厳原北小学校
Tsushima City Izuhara Kita Elementary School.jpg
過去の名称 第五大学区第四中学区小浦小学校
公立鶏知小学校小浦分校
小浦尋常小学校
厳原尋常高等小学校小浦分教場
小浦尋常小学校(再)
厳原第二尋常高等小学校小浦分教場
厳原尋常高等小学校小浦分教場(再)
厳原国民学校小浦分教場
厳原国民学校(統合)
厳原町立厳原小学校(統合)
厳原町立厳原小学校小浦分校
厳原町立北小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 対馬市
設立年月日 1874年(明治7年)6月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 817-0001
長崎県対馬市厳原町小浦228番1号
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対馬市立厳原北小学校(つしましりつ いづはらきたしょうがっこう, Tsushima City Izuhara Kita Elementary School)は長崎県対馬市厳原町小浦にある公立小学校

概要[編集]

歴史
1874年明治7年)に開校した「第五大学区第四中学区[1]小浦小学校」を前身とする。厳原小学校の分教場・分校を経て、1982年昭和57年)に分離・独立。2009年平成21年)に創立135周年、2012年(平成24年)に独立30周年を迎えた。
校区
住所表記で対馬市厳原町の後に「曲、小浦、南室」が続く地域。中学校区は対馬市立厳原中学校[2]

沿革[編集]

  • 1874年(明治7年)6月1日 - 「第五大学区第四中学区小浦小学校」が開校。
  • 1884年(明治17年)頃 - 「公立鶏知[3]小学校小浦分校」に改称。その後、「小浦尋常小学校」として独立。
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 小浦地区が鶏知村から厳原村に編入される。
  • 1915年大正4年)4月13日 - 統合により「厳原尋常高等小学校小浦分教場」に改称。
    • 分教場では尋常科4年生までを収容し、尋常科5年生以上は厳原尋常高等小学校本校へ通学。
  • 1916年(大正5年)4月 - 分教場では尋常科2年生までを収容し、尋常科3年生以上は厳原尋常高等小学校本校へ通学。
  • 1917年(大正6年)9月1日 - 厳原尋常高等小学校より分離し、「小浦尋常小学校」(再)として独立。
  • 1920年(大正9年)7月20日 - 統合[4]により「厳原第二尋常高等小学校小浦分教場」に改称。
  • 1925年(大正14年)4月1日 - 統合[5]により、「厳原尋常高等小学校小浦分教場」(再)となる。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「厳原国民学校小浦分教場」に改称。
  • 1943年(昭和18年)4月 - 小浦分教場が廃止の上、厳原国民学校に統合される。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、旧・国民学校の初等科が「厳原町立厳原小学校」、高等科が厳原町立厳原中学校となる。
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 「厳原町立厳原小学校小浦分校」が設置される。(6年ぶりの復活)1・2年生を収容。
  • 1982年(昭和57年)4月1日 - 厳原町立厳原小学校から分離し、「厳原町立北小学校」として独立。
  • 2004年(平成16年)3月1日 - 市町村合併に伴い、「対馬市立厳原北小学校」(現校名)に改称。

アクセス[編集]

最寄りの港
最寄りのバス停
最寄りの国道・県道

周辺[編集]

  • 厳原小浦簡易郵便局

脚注[編集]

  1. ^ 長崎県は当初、県内を5中学校区に分けた。長崎区を第一中学区、旧大村藩を第二中学区、旧島原藩を第三中学区、旧平戸藩を第四中学区、旧福江藩を第五中学区とした。なお壱岐対馬は第四中学区に属した。
  2. ^ 対馬市立小・中学校の通学区域の設定に関する規則 - 対馬市ウェブサイト
  3. ^ 読みは「けち」。
  4. ^ この時、厳原尋常高等小学校が厳原第一尋常高等小学校、厳原女児尋常高等小学校が厳原第二尋常高等小学校となった。
  5. ^ 男児校の厳原第一尋常高等小学校と女児校の厳原第二尋常高等小学校が統合された。
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参考文献[編集]

  • 「厳原町教育史」(1972年(昭和47年)3月25日 厳原町教育委員会)p.277~p.278
  • 「厳原町史」(1997年(平成9年)3月31日発行 厳原町)p.185

関連項目[編集]