対馬市立豆酘小学校

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対馬市立豆酘小学校
Tsutsu Elementary School, Tsushima City.jpg
過去の名称 第五大学区第四中学区豆酘小学校
公立中等小茂田小学校豆酘分校
豆酘学区下等豆酘小学校
簡易豆酘小学校
豆酘尋常小学校
豆酘尋常高等小学校
豆酘国民学校
豆酘村立豆酘小学校
厳原町立豆酘小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 対馬市
併合学校 厳原町立浅藻小学校
対馬市立豆酘小学校瀬分校
設立年月日 1874年明治7年)6月1日[1]
創立者 鈴木昌光
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 817-0154
長崎県対馬市厳原町豆酘626番地
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旧校地
(現・対馬市消防暑豆酘分遣所)
浅藻小学校跡(現・浅藻公園)
瀬分校跡
(現・対馬市瀬ふれあいセンター)

対馬市立豆酘小学校(つしましりつ つつしょうがっこう, Tsushima City Tsutsu Elementary School)は長崎県対馬市厳原町豆酘にある公立小学校対馬最南端にある小学校である。

概要[編集]

歴史
1874年明治7年)に開校した「第五大学区第四中学区豆酘小学校」を前身とする。2009年(平成21年)に創立135周年を迎えた。
校区
住所表記で対馬市厳原町の後に「豆酘、浅藻(あざも)、豆酘瀬、佐須瀬」の続く地域。中学校区は対馬市立豆酘中学校[2]

沿革[編集]

  • 1874年(明治7年)6月1日[1] - 豆酘に私塾が開校。間もなく「第五大学区第四中学区豆酘小学校」と改称。
    • 初代指導者は地元の士族鈴木昌光[3]
    • 小茂田(こもだ)学区[4]久田(くた)部に属する。
    • 久和(くわ)・内院(ないいん)・内山・瀬・久根(くね)[5]・上槻(こうつき)の学校を管理下に置く。
  • 1877年(明治10年)- 廃寺・自湛院(現・永泉寺[6]南側)を校地と定める。
  • 1879年(明治12年)3月8日 - 小茂田小学校に統合され、「公立中等小茂田小学校豆酘分校」となる。
  • 1881年(明治14年)- 学区改正に伴い、小茂田学区から豆酘学区に変更。また小茂田小学校から独立し、「豆酘学区下等豆酘小学校」となる。
  • 1886年(明治19年)6月 - 小学校令により、簡易科を設置し、「簡易豆酘小学校」と改称。
  • 1891年(明治24年)9月 - 小学校令改正に伴い、「豆酘尋常小学校」と改称。
    • 浅藻分校と瀬分校を設置。後に内山分校を設置。
  • 1898年(明治31年)11月 - 天道地に校舎が完成。
  • 1899年(明治32年)4月12日 - 高等科を併置し、「豆酘尋常高等小学校」と改称。
  • 1912年(明治45年)3月31日 - 3分校を廃止。
  • 1917年大正6年)
    • 3月15日 - 新校舎建設のため、旧校舎を解体し、尋常科1~4年生は金剛院[7]を、尋常科5年~高等科2年生までは永泉寺[6]を仮校舎に分散授業を行う。
    • 11月9日 - 現在地に新校舎が完成し、移転。分散授業を解消。
  • 1920年(大正9年)9月 - 豆酘実業補習学校を併設。
  • 1923年(大正12年)4月7日 - 豆酘実業補習学校において男女青年を対象に夜間授業を行う。
  • 1925年(大正14年)7月2日 - 図書室が完成。
  • 1926年(大正15年)2月15日 - 豆酘校父兄会が発足。
  • 1932年昭和7年)10月19日 - 併設の実業補習学校を青年訓練認定豆酘実業補習学校とする。
  • 1934年(昭和9年)12月6日 - 児童数増加のため増改築を行う。尋常科1年生は豆酘村役場、3・4年生は永泉寺、高等科は金剛院、その他は本校校舎で分散授業を開始。
  • 1935年(昭和10年)4月1日 - 青年学校令により、併設の青訓認定豆酘実業補習学校を豆酘青年学校とする。
  • 1941年(昭和16年)
  • 1945年(昭和20年)
    • 5月12日 - 校舎が軍部隊駐屯に使用されることになり、児童を疎開させ、神社や海岸・林間で分散授業を行う。
    • 11月20日 - アメリカ軍ラッセル少佐の命により、校舎内から旧軍部隊の物資が旧・いだりごう兵舎に運び出され、校舎が復旧する。
  • 1946年(昭和21年)5月27日 - 旧・いだりごう兵舎を高等科が使用開始。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制)の実施。
    • 旧・国民学校初等科を改組し、「豆酘村立豆酘小学校」とする。
    • 旧・国民学校高等科を改組し、豆酘村立豆酘中学校新制中学校)とし、小学校に併設する。
  • 1948年(昭和23年)5月26日 - 保護者会が解散し、育友会(PTA)が発足。
  • 1956年(昭和31年)
    • 4月1日 - 豆酘中学校の新校舎が完成し、移転。併設を解消。
    • 9月30日 - 豆酘村の厳原町編入[8]に伴い、「厳原町立豆酘小学校」に改称。
  • 1957年(昭和32年)2月24日 - 新校舎建設(第一期工事)に着工。
  • 1961年(昭和36年)4月10日 - 新校舎(第二期工事)が完成。
  • 1962年(昭和37年)4月1日 - 厳原町立久田小学校から瀬分校が移管される。(1912年(明治45年)に久田小学校に移管して以来、50年ぶりに豆酘小学校に戻ってくる。)
  • 1967年(昭和42年)10月23日 - 準給食から完全給食となる。
  • 1968年(昭和43年)5月1日 - 厳原町立豆酘幼稚園を併設[9]
  • 1972年(昭和47年)2月15日 - 校旗を制定。
  • 2000年(平成12年)
  • 2004年(平成16年)3月1日 - 市町村合併に伴い、「対馬市立豆酘小学校」(現校名)に改称。
  • 2008年(平成20年)3月31日 - 瀬分校(地図)を廃止し、本校に統合。

アクセス[編集]

最寄りのバス停
最寄りの国道・県道
  • 長崎県道24号厳原豆酘美津島線

周辺[編集]

学校・文化施設
金融機関・郵便局
  • 豆酘郵便局

脚注[編集]

  1. ^ a b 「長崎縣教育史 上巻」(1943年(昭和18年)9月, 長崎縣教育會)p.560
  2. ^ 対馬市立小・中学校の通学区域の設定に関する規則 - 対馬市ウェブサイト
  3. ^ 2代目指導者は国分慎太郎、その後は厳原小学校より交替で教員が派遣される形となる
  4. ^ 小茂田学区は小茂田部・久田部・鶏知部の一部(尾崎・加志)から成っていた。
  5. ^ 対馬市立大調小学校の前身。
  6. ^ a b 対馬市厳原町豆酘2629番地
  7. ^ 現・対馬市厳原町豆酘3342番地
  8. ^ この時同時に久田村、佐須村も厳原町に編入された。
  9. ^ 後に移転。2011年(平成23年)3月31日に閉園。
  10. ^ 旧校地(地図)には現在、対馬市消防署豆酘分遣所が建っている。なお旧校地そばの対馬交通のバス停留所の名称は「旧小学校前」となっている。
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参考文献[編集]

  • 「厳原町教育史」(1972年(昭和47年)3月25日 厳原町教育委員会)
  • 「厳原町史」(1997年(平成9年)3月31日発行 厳原町)

関連項目[編集]