封懿

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封懿(ほう い、生年不詳 - 417年)は、中国前燕から北魏にかけての学者政治家は処徳。本貫渤海郡蓨県

経歴[編集]

前燕の吏部尚書の封放(東晋の東夷校尉封釈の子の封悛の子)の子として生まれた。文章を得意とし、兄の封孚とともに名を知られた。後燕慕容宝に仕えて、中書令・民部尚書に上った。慕容宝が敗れると、北魏に帰順して、給事黄門侍郎・都坐大官・寧朔将軍の位を受け、章安子に封じられた。道武帝の引見を受けて、慕容氏の旧事について質問されたが、封懿の答えがいい加減であったため、解任されて家に帰された。明元帝の初年、再び召されて都坐大官の位を受け、爵位は侯に進んだ。417年泰常2年)、死去した。

封懿は『燕書』の編纂に参加したことでも知られる。

子女[編集]

  • 封玄之(司馬国璠・温楷らの反乱計画に参加し、処刑された)
  • 封勗(字は虔之)

伝記資料[編集]