小倉智昭の夕焼けアタックル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小倉智昭の夕焼けアタックル』(おぐらともあきのゆうやけアタックル)は、1992年10月5日から1999年4月1日(野村邦丸の夕焼けアタックルを含めると、1999年4月2日)まで文化放送で放送していた、夕方のワイド番組。

なお、以下では『小倉智昭の夕焼けアタックル』を『小倉』、『野村邦丸の夕焼けアタックル』を『邦丸』と表記する。

概要[編集]

前身番組は、平日17:00からの『小倉智昭のニュースアタックル』。1992年10月から放送枠拡大・番組リニューアルを経て、放送開始になった。放送時間は平日の16:00~17:50。なお、当時13:00より放送されていた『吉田照美のやる気MANMAN!』が、この番組の放送開始と同時に、放送終了を15:00から16:00としている。

主なタイムテーブル[編集]

  • 16:00 オープニング
  • 16:05 アンターネット
  • 16:22 日本火災の救急速報
  • 16:25 東京オンザロード
  • 16:30 交通情報、天気予報
  • 16:40 夕焼け国語辞典
  • 16:50 クイズ夕焼けアタックル(月 - 木)、クイズ夕焼けアタックル スペシャル(金)
  • 16:55 交通情報
  • 16:56 電話メッセージ、FAXを紹介
  • 17:00 ニュース・パレード
  • 17:14 交通情報
  • 17:16 心配ご無用(終了する半年前からは「女の気持ち 男の気持ち」)
  • 17:25 アンターネット パート2(電話メッセージ、FAXを紹介)
  • 17:30 日本火災の救急速報、この後の番組を紹介
  • 17:33 川中美幸 人・うた・心
  • 17:40 交通情報
  • 17:42 エンディング(電話メッセージ、FAXを紹介)

※番組の開始当初は、エンディング前に『都民マイク』のコーナーがあったが、テーマ曲(リニューアル後)以降はエンディング後に独立して放送される様になった(その後、放送枠が昼に移り、さらに数年後の改編で消滅している)。

パーソナリティ[編集]

  • 開始当初~1993.3
  • 1993.4~1997.3(月曜日~金曜日)
  • 1997.4~1999.3(月曜日~木曜日)
    • 小倉智昭 永野景子アナウンサー
  • 1997.4~1998.9(金曜日)
    • 野村邦丸アナウンサー 永野景子アナウンサー
  • 1998.10~1999.3(金曜日)
    • 野村邦丸アナウンサー 鈴木純子アナウンサー

1997年3月末で、小倉が金曜日を降板したのは司会を務めていた、フジテレビ関西テレビの共同制作による金曜19時からのバラエティ番組を都内のスタジオで、毎週金曜日の午後から夕方に収録していたからである(なお、この枠はその後、数年間続いた。現在は解消されている)。

なお、1999年4月2日の最終回(金曜日)は邦丸、鈴木に加え、永野も番組の途中から参加して、トークを行っていた。

コーナー紹介[編集]

東京オンザロード[編集]

  • 首都圏の一般道、高速道路、サービスエリアや道路の工事状況について伝えるコーナー。外中継が行われる日もあり、吉田涙子アナウンサーなどがリポートを担当していた。金曜日はリスナーから、道に関するお便りを紹介していた。このコーナーは後番組の『野村邦丸の気分はZUNZUN!』『辻よしなり ラジオグラフィティ』でも放送した。この番組では「東京気まぐれショータイム・東京オンザロード」と紹介していた。

夕焼け国語辞典[編集]

  • ある言葉や表現を小倉版(邦丸版)国語辞典を用いて紹介し、小倉(邦丸)がその後、トークするという物(載っていた用語の例として「プロとアマとの境界線」など)。
  • このコーナーはナイターオフ期間を中心に、一部地方局にもネットされた(地方局での放送は、録音番組として)。

クイズ夕焼けアタックル[編集]

  • 『小倉』では、クイズに電話でエントリーした人の中から抽選した上で、挑戦者を決定して、挑戦者に、三択の問題を小倉が出題する。
  • 『邦丸』では、当初は『小倉』と同様のシステムで行っていたが、コーナーの提供スポンサーにペイントハウスが付いた頃から、家をリフォームした人の家に、寺島尚正アナウンサーが訪問。外中継を行い、住まいなどの感想を聞いた後、番組で別に抽選し、当選したリスナーと結んで行った。出題は、ペイントハウスでリフォームした家の人が行う。小倉の休暇時に邦丸が進行する時は、『小倉』と同じ方法で行っていた。
  • 『小倉』『邦丸』共通ルールとして、賞金は1万円からスタートし、挑戦者が不正解になると賞金が貯まり、正解するとその賞金は挑戦者の物となる。なお、賞金は『小倉』『邦丸』関係なく引き継がれる。

心配ご無用[編集]

  • 月曜日 - 水曜日はリスナーからの健康の悩みに小倉が答えた上で、専門の医師からの回答を紹介していた。金曜日はこのパターンを邦丸が行っていた。
  • 木曜日は小倉が東京都医師会の医師と健康について、トークしていた。
  • このコーナーの時のみ、小倉は「ハマー小倉」。邦丸は「デーブ野村」という名前を使っていた。
  • 採用された人には、心配ご無用 特製のテレフォンカードをプレゼントしていた。

主なハプニング等[編集]

  • 小倉の妙な発言
    • 「女の気持ち 男の気持ち」のコーナーで、番組が終了する事が決定していたからであると思われるが、「・・・それから今日から、このコーナーではお便りを募集致しません」という妙な発言をしていた。
  • 小倉一時逃亡?
    • ある時、アンターネット パート2の時間に、小倉がその日のテーマに不満だったのか、近くにあったゴルフ雑誌を見て、「俺、この雑誌読みたい」と言って、スタジオを一時逃亡し、アシスタントの永野が、電話メッセージとFAXを紹介した。
  • エンディング手抜き?
    • ある時、永野から何かを指摘された所、小倉は「また来週! わたしは月曜日! さよなら」と言って、番組を終了させ、エンディングの2~3分をエンディング テーマで繋いだ。
  • ドッキリ
    • ある週の金曜日、トークの展開から、邦丸が「小倉さんのお気に入りの上着なんだけど、ダサいよね」と小倉の悪口を展開し、当時のアシスタントの永野も笑っていた。しかし、その話が終わった途端、スタジオの扉が開き、そこにはいるはずがない小倉の姿が・・・。邦丸は焦った様子(後に「干される」ことも覚悟したと言っている)だったが、お咎め無し。番組スタッフらによるドッキリだった。しかし、この放送を聴いた小倉の夫人は、その上着をしまいこみ、小倉に決して着せようとしなかったと言う。

その他[編集]

  • 番組のテーマ曲は当初無かったが、小倉が歌う『心のラジオDJ』をテーマ曲として、途中から使用する様になって、最終回まで流れていた(当初は2パターンあったが、その後リニューアルされた)。
  • 全国ネット枠の『ニュース・パレード』を内包していたが、『ニュース・パレード』も小倉が担当した為、この番組が小倉のラジオ全国ネットデビューとなった。なお、小倉は『ニュース・パレード』と呼ぶ事を避け、当該コーナーを『5時のニュース』と呼んでいた。
  • 『川中美幸 人・うた・心』に入る時は毎回録音していた小倉の音源を使用しており、「さあ、続いては川中美幸さんの登場です!」と紹介する時、テンションがとても高かった。
  • 小倉は夏に定期的に休暇を取り、その間を文化放送のアナウンサー(『邦丸』開始後は野村邦丸が担当)が務めていた。しかし、この時期に放送されていたフジテレビの『どうーなってるの?!』には出演していた。
  • 1997年6月には、TBS系『そこが知りたい』のカメラが、番組 生放送中のスタジオに入っている。当時のTBSはテレビ・ラジオ兼営局であり、ライバル局の取材が入ったのは極めて異例である。
  • この番組の終了時期に、フジテレビ系『情報プレゼンター とくダネ!』が、1999年4月からスタートする事を発表したが、小倉は「この番組は『とくダネ!』が始まるために終わる訳ではない」と話していた。
文化放送 月~金曜夕方ワイド(16:00-17:50枠)
前番組 番組名 次番組
いう気リンリン 那智チャコワイド
(15:00-17:00)
小倉智昭のニュースアタックル
(17:00-17:50)
小倉智昭の夕焼けアタックル(月~金→月~木)
野村邦丸の夕焼けアタックル(金)