加賀乙彦

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加賀 乙彦
(かが おとひこ)
Sadataka Kogi cropped 2 Sadataka Kogi 201111.jpg
文化功労者顕彰に際して
公表された肖像写真
誕生 小木 貞孝(こぎ さだたか)
(1929-04-22) 1929年4月22日(90歳)
日本の旗 東京府東京市
職業 小説家
医学者
精神科医
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
教育 医学博士
東京大学1960年
最終学歴 東京大学医学部卒業
活動期間 1967年 -
ジャンル 小説
代表作フランドルの冬』 (1967年)
『帰らざる夏』(1973年)
『宣告』(1979年)
『永遠の都』(1997年)
主な受賞歴 芸術選奨新人賞(1968年)
谷崎潤一郎賞(1973年)
日本文学大賞(1979年)
大佛次郎賞(1986年)
芸術選奨(1998年)
日本芸術院賞(1999年)
毎日出版文化賞特別賞(2012年)
デビュー作フランドルの冬』 (1967年)
子供 加賀真帆
親族 野上八十八(祖父
小木孝次(
公式サイト 加賀乙彦オフィシャルブログ
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加賀 乙彦(かが おとひこ、男性、1929年4月22日 - )は、日本小説家医学者犯罪心理学)、精神科医勲等旭日中綬章学位医学博士東京大学1960年)。日本芸術院会員文化功労者本名小木 貞孝(こぎ さだたか)。本名でも著作がある。

東京大学医学部助手、東京大学医学部脳研究所助手、東京拘置所医務部技官、パリ大学サンタンヌ病院医師、北仏サンヴナン病院医師、東京大学医学部附属病院精神科助手、東京医科歯科大学医学部助教授上智大学文学部教授などを歴任した。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

1929年東京府東京市芝区三田に生まれ、東京市淀橋区西大久保(現・東京都新宿区歌舞伎町)に育つ。母方の祖父は医師・発明家の野上八十八[1]。父の小木孝次は安田生命のエリート社員で、のち、取締役[1]

大久保小学校5~6年の頃、新潮社の世界文学全集を耽読したことが、後年長篇作家になる素地を培ったという。1942年4月、東京府立第六中学校入学。1943年4月、100倍の倍率を突破して名古屋陸軍幼年学校に入学するも、在学中に敗戦を迎えたため軍人への道が絶たれ、1945年9月、東京府立第六中学校に復学。同年11月、旧制都立高等学校理科に編入学。1949年3月、旧制都立高校理科卒業。同年4月、東京大学医学部入学。1953年3月、東京大学医学部卒業。

医学者として[編集]

東大精神科、同脳研究所、東京拘置所医務部技官を経た後に、1957年よりフランス留学を果たす。フランスに向かう船中で私費留学生の辻邦生と知り合う[1]

パリ大学サンタンヌ病院、北仏サンヴナン病院に勤務し、1960年に帰国。同年医学博士号取得(学位論文「日本に於ける死刑ならびに無期刑受刑者の犯罪学的精神病理学的研究」)。東京大学附属病院精神科助手を経て、1965年東京医科歯科大学犯罪心理学研究室助教授1969年から1979年まで上智大学文学部教授

小説家として[編集]

1964年立原正秋主催の同人誌『犀』に参加し、高井有一岡松和夫白川正芳佐江衆一金子昌夫後藤明生らと知り合う[1]。また、辻邦生を通じて、同人誌『文芸首都』にも参加[1]。この頃、久里浜特別少年院で犯罪心理学者として非行少年の調査を行う[2]

1968年、長編『フランドルの冬』の第一章を太宰治賞に応募し、候補作として『展望』に掲載されるが、その後全体を刊行、芸術選奨新人賞を受賞。1968年には、短編「くさびら譚」で第59回芥川賞候補にもなる。5年後の1973年に、『帰らざる夏』で谷崎潤一郎賞を受賞、同年活躍した小川国夫辻邦生とともに「73年三羽ガラス」と呼ばれたが、江藤淳がこれらを「フォニイ」(贋物、ここでは通俗という意味)で批判したため、江藤と平岡篤頼の「フォニイ論争」を引き起こした。

1979年から文筆に専念。同年に『宣告』で日本文学大賞受賞。1986年に『湿原』で大佛次郎賞受賞。1987年クリスマス(58歳)に遠藤周作の影響でカトリック洗礼を受ける。1998年に『永遠の都』で第48回芸術選奨文部大臣賞受賞。2000年日本芸術院会員。2005年旭日中綬章受章。2011年文化功労者2012年、『雲の都』(全5巻完結)により毎日出版文化賞特別賞を受賞。

人物・主張[編集]

室生犀星とは7親等の血縁。娘はQVCジャパンショッピングナビゲーターの加賀真帆。自宅は東京都文京区本郷にある。

オウム真理教事件において、弁護士に依頼され麻原彰晃に接見し、訴訟能力はなく治療すべきであると結論づけた[3][4]

死刑囚の苦しみを描いた『宣告』が代表作で、死刑廃止論者と見られている。

小説かノンフィクションか[編集]

1982年発表の『錨のない船』は太平洋戦争中の外交官来栖三郎とその一家をモチーフにした小説だが、作中でその息子が大日本帝国陸軍の戦闘機操縦者となり、戦闘中被弾し脱出降下したところ、日米ハーフだったためにアメリカ兵と誤認され、民衆に竹槍で惨殺されたこととなっている。

実際にも来栖三郎の子息来栖良陸軍航技大尉(死後少佐に昇進)は日米ハーフであり、テストパイロットとして多摩飛行場に所在の陸軍航空審査部に所属していたが、死亡の状況は小説とは異なり、空襲迎撃の為に出撃準備中にプロペラに巻き込まれる事故によって即死している(戦死扱い)。

来栖夫妻は、息子が小説に描かれたような「アメリカ人と誤認され殺される」といった死に方をすることを何より恐れていたとされる。当初は小説の登場人物は名前が変えてあったが(来栖三郎→来島平三郎、来栖良→来島健)、再版時に実名に変更された為、実際に来栖大尉が誤認惨殺されたとの誤った認識が流布されることとなった。

来栖大尉の戦死時の状況については航空史家渡辺洋二が詳細な聞き取り調査を行い、実際には事故死であることは確定している。死因の捏造とも言える加賀の記述と実名への変更については、当時の戦友などが抗議を行い、渡辺も加賀に質問状を送付しているが、加賀からの回答は無く、現在も同書は実名記述のまま書店に並んでいる。

受賞歴[編集]

役職[編集]

著書(加賀名義)[編集]

単著[編集]

  • フランドルの冬』(筑摩書房 1967年、のち新潮文庫角川文庫
  • 『風と死者』(筑摩書房 1969年、のち角川文庫)
  • 『文学と狂気』(筑摩書房 1971年)
  • 『荒地を旅する者たち』(新潮社 1971年)
  • 『夢見草』(筑摩書房 1972年、のち角川文庫)
  • 『帰らざる夏』(講談社 1973年、のち講談社文庫、文芸文庫)
  • 『ドストエフスキイ』(中公新書 1973年)
  • 『虚妄としての戦後』(筑摩書房 1974年)
  • 『異郷』(集英社 1974年、のち集英社文庫)
  • 『現代若者気質』(講談社現代新書 1974年)
  • 『死刑囚と無期囚の心理』(小木貞孝名義 金剛出版 1974年)
  • 『あの笑いこけた日々』(角川書店 1975年)
  • 『春秋二題』(沖積舎 1975年)
  • 『黄色い毛糸玉』(角川書店 1976年)
  • 『頭医者事始』(毎日新聞社 1976年、のち講談社文庫)
  • 『日本の長篇小説』(筑摩書房 1976年 「日本の10大小説」ちくま学芸文庫
  • 『仮構としての現代』(講談社 1978年)
  • 『宣告』(新潮社 1979年、のち新潮文庫)
  • 『私の宝箱』(集英社 1979年)
  • 『死刑囚の記録』(中公新書 1980年)
  • 『頭医者青春記』(毎日新聞社 1980年、のち講談社文庫)
  • 『見れば見るほど…』(日本経済新聞社 1980年、のち中公文庫)
  • 『イリエの園にて』(集英社 1980年)
  • 『犯罪』(河出書房新社 1980年、のち河出文庫)
  • 『生きるための幸福論』(講談社現代新書 1980年)
  • 『犯罪ノート』(エッセイ集 潮出版社 1981年、のち文庫)
  • 『作家の生活』(エッセイ集 潮出版社 1982年)
  • 『戦争ノート』(エッセイ集 潮出版社 1982年)
  • 『錨のない船』(講談社 1982年、のち文芸文庫)
  • 『頭医者留学記』(毎日新聞社 1983 のち講談社文庫)
  • 『加賀乙彦短篇小説全集』(全5巻 潮出版社 1984年 - 1985年)
  • 『読書ノート』(エッセイ集 潮出版社 1984年)
  • 『残花』(潮出版社、1984年)
  • 『くさびら譚』(成瀬書房 1984年)
  • 『湿原』(朝日新聞社 1985年、のち新潮文庫)
  • 『フランスの妄想研究』(小木貞孝名義 金剛出版 1985年)
  • 『スケーターワルツ』(筑摩書房 1987年、のちちくま文庫)
  • 『キリスト教への道』(みくに書房 1988年)
  • 「永遠の都」
    • 『岐路』(新潮社 1988年 「永遠の都」新潮文庫)
    • 『小暗い森』(新潮社 1991年 「永遠の都」新潮文庫)
    • 『炎都』(新潮社 1996年 「永遠の都」文庫)
    (「永遠の都」1-7 新潮文庫は、「岐路」「小暗い森」「炎都」をつなげて改題したもの)
  • 『母なる大地』(潮出版社 1989年)
  • 『ゼロ番区の囚人』(ちくま文庫 1989年)
  • 『ヴィーナスのえくぼ』(中央公論社 1989年 のち中公文庫
  • 『ある死刑囚との対話』(弘文堂 1990年)
  • 『加賀乙彦評論集』(上下巻 阿部出版 1990年)
  • 『海霧』(潮出版社 1990年 新潮文庫)
  • 『生きている心臓』(講談社 1991年 文庫)
  • 『脳死・尊厳死・人権』(潮出版社 1991年)
  • 『悠久の大河 中国紀行』(潮出版社 1991年)
  • 『私の好きな長編小説』(新潮選書 1993年)
  • 『日本人と宗教』(対談集 潮出版社 1996年)
  • 『生と死と文学』(潮出版社 1996年)
  • 鴎外茂吉』(潮出版社 1997年)
  • 『聖書の大地』(日本放送出版協会 1999年)
  • 高山右近』(講談社 1999年 文庫)
  • 『雲の都』第1-5部 (新潮社 2002年 - 2012年)
  • 『夕映えの人』(小学館 2002年)
  • ザビエルとその弟子』(講談社 2004年 のち文庫)
  • 『小説家が読むドストエフスキー』(集英社新書 2006年)
  • 『悪魔のささやき』(集英社新書 2006年)
  • 『不幸な国の幸福論』(集英社新書、2009年) 
  • 『科学と宗教と死』(集英社新書、2012年)
  • 『加賀乙彦 自伝』(集英社、2013年)
  • 『ああ父よ ああ母よ』(講談社、2013年)
  • 『日本の古典に学びしなやかに生きる』(集英社、2015年)
  • 『殉教者』(講談社、2016年)(ペトロ岐部を描く)

共編著[編集]

  • 芸術と狂気 (徳田良仁共編著 造形社 1971年)
  • 嫌われるのが怖い 精神医学講義 (笠原嘉対談 朝日出版社 1981年 (Lecture books) )
  • 脳死と臓器移植を考える (編 岩波書店 1990年)
  • 野田弘志の文筐 (米倉守共編 東邦アート 1991年)
  • 死の淵の愛と光 (編 弘文堂 1992年)
  • 光と風のなかで 愛と音楽の軌跡 (遠山慶子共著 弥生書房 1993年)
  • 日本の名随筆 別巻 69 秘密 (編 作品社 1996年)
  • 素晴らしい死を迎えるために 死のブックガイド (柳田邦男アルフォンス・デーケン共著、編著 太田出版 1997年)
  • 宗教を知る 人間を知る(河合隼雄山折哲雄合庭惇共著 講談社 2002年)
  • 『錨のない船【英語】』Riding the east wind (リービ英雄訳 講談社インターナショナル 1999年) ISBN 4770028563
  • 高山右近(独訳) Kreuz und Schwert: Roman über die Christenverfolgung in Japan (ラルフ・デーゲン訳 Berlin : Be.bra Verlag, c2006)
  • 愛する伴侶(ひと)を失って 加賀乙彦と津村節子の対話(津村節子共著、集英社 2013年)

本名での著作[編集]

著書[編集]

  • 日本の精神鑑定 福島章, 中田修, 小木貞孝 編集 みすず書房 1973
  • 死刑囚と無期囚の心理 小木貞孝 著 金剛出版 1974
  • フランスの妄想研究 小木貞孝 著 金剛出版 1985

翻訳[編集]

  • 精神病の治療 アンリ・バリュック 著,高橋宏, 黒川正則, 小木貞孝 共訳 白水社 1956 (文庫クセジュ)
  • 知覚の現象学 第1 M.メルロー=ポンティ 著,竹内芳郎, 小木貞孝 訳 みすず書房 1967

注釈[編集]

  1. ^ a b c d e f 『加賀乙彦 自伝』
  2. ^ http://www.chikumashobo.co.jp/blog/pr_chikuma/entry/1017/
  3. ^ 加賀乙彦『悪魔のささやき』集英社、2006年8月12日、146-151頁。ISBN 978-4087203547。
  4. ^ 森達也『A3 上』集英社、2012年12月14日、305-306頁。ISBN 978-4087450156。

関連項目[編集]