小林まさひろ

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小林 まさひろ
本名 小林 正弘[1]
生年月日 1953年9月15日
没年月日 2016年6月22日(62歳没)[1]
出身地 日本の旗 日本横浜市鶴見区
言語 日本語

小林 まさひろ(こばやし まさひろ、1953年9月15日 - 2016年6月22日)は、日本の元お笑い芸人フグ料理料理人。またボクシングの親父大会に参戦していた(シルバー・ウエルター級チャンピオン)。本名:小林 正弘[1][2](読み同じ)。横浜市鶴見区出身。横浜市立平安小学校、横浜市立市場中学校桐蔭学園高等学校[3]卒業。

来歴・人物[編集]

TBS系列1972年から放送された素人参加型のバラエティ番組ぎんざNOW!』の素人コメディアン道場でデビュー。その後、1975年渡辺プロダクションよりザ・ハンダースを結成。

ありがとうの小林君」と呼ばれリーダー格の人物であったが、デビュー時のプロモーション(営団地下鉄銀座線全区間のルートに相当する道路を休まず歩き抜く)を桜金造がサボったという罪をかぶり、グループを脱退。脱退後は、テアトルド・ポッシュに移り俳優に映画『の・ようなもの』で落語家役、『金魂卷』で主役の医師、フジテレビドラマ『ただいま放課後』でたのきんトリオと主役の高校生4人組を演じ、日本テレビルックルックこんにちは』等に出ていたが、結婚後ふぐ調理師の免許を取得、芸能界を引退し、1985年(昭和60年)より東京都・赤坂でふぐ料理専門店「参虎」を開店、店主兼専任ふぐ調理師を務めた。また、50歳を過ぎてからボクシングの親父大会に出場しオヤジファイターとしても活動しており、その模様が2007年7月13日に『イブニング・ファイブ』(TBS)で放送された[4]。2010年に箱根天成園で行われたザ・ハンダースの一日限りのコンサートで、清水アキラに請われ30年ぶりにステージに立ち、この模様やおやじボクシングでの試合の様子等が、2010年10月10日放送の『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ)「あの頃に戻れないハンダースの30年後」でこの模様が放送された。また2011年3月で25年間経営していた赤坂の店を閉め、鶴見の実家で居酒屋参虎として移転した模様も『ザ・ノンフィクション』に収録された。

2014年1月に末期の大腸ガンを宣告され、同年8月摘出手術を受ける。2015年5月8日放送の『爆報! THE フライデー』(TBS)で末期ガンであることを自ら告白し、「私の体はガンでできています。頑張って治していきます」とガン治療に意欲を見せた。その後2016年に『の・ようなもの のようなもの』(『の・ようなもの』の続編)で30年ぶりに銀幕復帰を果たしたものの、同年6月22日朝、神奈川県内のホスピスにて逝去。62歳没(享年64)[1]。法名は「釋弘峰居士(しゃくぐほうこじ)」[5]

2016年8月19日放送の『爆報! THE フライデー』で、彼の闘病生活から死に至るまでのドキュメントが特集で放送され、自身の死の直前に終活を行ったことが明らかになった。「先に逝って、みんなごめんな。」と、死の直前、家族に遺した最後のメッセージも紹介され、同番組のレギュラー出演者で、『ただいま放課後』で共演したのを切っ掛けに35年以上にわたって親交があった田原俊彦が感動の涙を流した。

主な出演[編集]

テレビ番組[編集]

映画[編集]

ドラマ[編集]

関連人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d “ザ・ハンダースの小林まさひろさん死去”. 産経ニュース. (2016年6月23日). http://www.sankei.com/entertainments/news/160623/ent1606230003-n1.html 2016年8月19日閲覧。 
  2. ^ 本名が「正広」は誤報。
  3. ^ 同期に、硬式野球部の選手として夏の甲子園初出場初優勝に貢献し、監督として母校を強豪校に育てた土屋恵三郎がいる。
  4. ^ その年の9月初代おやじファイトウエルター級チャンピオンになる参虎ホームページ「ふぐのうんちく」(2007年8月30日時点のアーカイブ
  5. ^ “清水アキラ「じーんと来た」 小林まさひろさん通夜に180人”. SANSPO.COM(サンスポ). (2016年6月25日). http://www.sanspo.com/geino/news/20160625/geo16062505000010-n1.html 2018年6月7日閲覧。