小沢蘆庵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

移動先: 案内検索

小沢 蘆庵(おざわ ろあん、享保8年(1723年) - 享和元年7月11日1801年8月19日))は、江戸時代中期の歌人国学者。父は小沢喜八郎実郡(実邦ともいわれる)。一時、本庄家に養子に入り本庄八郎と称した。名は玄仲(はるなか)、玄沖。通称は帯刀。別号は観荷堂・図南亭・孤鴎・七十童・八九童。難波で生れ、京都に住んだ。平安和歌四天王の一人。

30歳頃、冷泉為村に入門、武者小路実岳にも学ぶが、独自の歌学に目覚め「ただごと歌」を主張したことから、為村から破門された。伴蒿蹊(ばんこうけい)・本居宣長上田秋成蒲生君平などとも交遊している。

武士としては尾張藩家老の家臣であり、国学者としては尊王論を展開した。

法号:寂照院月江蘆庵居士。

関連項目[編集]