小田切昌言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
小田切昌言
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦10年(1760年
死没 不明
別名 亀吉、兵助[1]
主君 徳川家治
氏族 小田切氏
父母 父:平井次直、養父:小田切英昌[1]
兄弟 平井惟清、女子(惟清の妻)、中山直正、昌言[2]
兼昌昌言女子(英昌の子、昌言の妻)[1]
妻:小田切英昌の娘、後妻:森川信馮娘[1]
女子[1]

小田切 昌言(おだぎり まさのぶ)は、江戸時代中期の武士徳川氏家臣

経歴・人物[編集]

平井次直の三男として生まれ、天明2年3月27日1782年5月9日)、23歳の時に家督を継ぐ[1]。天明3年12月21日1784年1月13日大番となる[1]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f g 寛政重修諸家譜』、巻第三百九十四。
  2. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第五百六十二