小田幸平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
小田 幸平
CD-Kohei-Oda.jpg
中日ドラゴンズ時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県高砂市
生年月日 (1977-03-15) 1977年3月15日(40歳)
身長
体重
180 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1997年 ドラフト4位
初出場 1998年10月1日
最終出場 2014年9月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

小田 幸平(おだ こうへい、1977年3月15日 - )は、兵庫県高砂市出身の元プロ野球選手捕手)。

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

兵庫・市川高校では甲子園に出場することはなく、卒業後は社会人野球三菱重工神戸でプレーする。

1997年のドラフト会議読売ジャイアンツから4位指名を受けて、入団。

巨人時代[編集]

守備は即戦力級であり、ルーキーイヤーの1998年から毎年一軍での出場機会を得る。しかし打撃に難があり、3番手以降の捕手という評価に止まり、一軍で定着出来ないシーズンがしばらく続く。

1999年は、開幕一軍だったが、開幕直後の対横浜ベイスターズ戦で村田真一の負傷退場に伴い守備に就いたものの、先発バルビーノ・ガルベスが最大9点あった点差をひっくり返されて逆転負けした責任を取らされ即二軍落ちとなり、10月まで昇格できなかった。

2004年は、プロ7年目で初本塁打を放った。課題であった打撃に成長が見られたこの年以降、出場機会が増えていく。

2005年には、正捕手の阿部慎之助、2番手であった村田善則に次ぐ巨人の3番手捕手として出場することが多かった。結果、巨人在籍時で最多となる31試合に出場した。

中日時代[編集]

2005年12月13日FAで巨人に移籍した野口茂樹の人的補償として、中日ドラゴンズに移籍した[1]

2006年は、移籍して間もなく正捕手である谷繁元信WBCへの出場で戦列を離れたため、オープン戦ではほぼスタメンで出場。打撃はともかく、守備とリードがとても良いと評価された。シーズンが開幕すると谷繁の体力の衰えや打撃面での極度の不調などもあり、主に移動後での1戦目や交流戦などで先発起用された。また、山本昌との相性の良さから、同投手の先発時はスタメンで起用されることが多かった。結果、2番手捕手として一軍に定着し、谷繁の後継者として期待される存在となる。11月の契約更改では1300万円増の3600万円でサインした。本人は満足できる数字を残したシーズンではなかったが、谷繁の控え捕手として働いたことやムードメーカーとしてベンチからチームを盛り上げたことが高く評価された。

2007年は、背番号が40から26へと変更される。これについて監督の落合博満は「26を小田、28を(ドラフト希望枠で入団した)田中大輔に付けさせ、26、27(谷繁)、28で正捕手を争えばいい」と話していた。シーズンでの起用形態は前年とほぼ同じだが、山本昌の不調もあり、出場機会は若干減少した。同年オフに視力矯正のためにレーシック手術を受け、視力が回復したことにより以後は眼鏡なしでのプレーとなる。

2008年は、付けていた背番号26を大学・社会人ドラフト1巡目で名城大学から入団した山内壮馬が付けることになり、背番号が28に変更された。シーズン当初は控えだったが、5月に谷繁元信が故障で離脱すると先発マスクを被ることが増えた。しかし、谷繁以上の信頼を得ることはできず、山本昌とのバッテリーも谷繁に奪われてしまい、チャンスを活かせず、課題が残る結果に終わった。それでも、移籍後最多となる41試合に出場し、オフの契約更改では増額を得た。しかし、秋季キャンプでは両足痛で途中離脱。更に、背番号28をドラフト5巡目で明治大学から入団した岩田慎司が付けることになり、52に変更され、中日に移籍してから4年連続で背番号を変更することとなった。

2009年は、シーズン開始直後に谷繁元信が怪我で離脱し、先発マスクの機会を得るが、4月18日の試合で逆転負けを喫した際に、落合監督からリードの悪さを指摘され[2]、その翌日以降、前年に日本ハムから自由契約で移籍してきた小山桂司に先発マスクを譲ることとなる。谷繁が復帰するまでは主に岩瀬仁紀が登板する際に出場するなど終盤の守備固めでの出場が多かったが、谷繁の一軍復帰と同時に二軍落ちすることとなった。すぐに復帰したが、程なくして再び二軍落ちした(その後、7月31日に一軍復帰)。勝負どころでの度重なるバントの失敗、また打率が.050を切るなど、打撃面での弱さも仇となって、終盤の守備交代時の起用が多くなった。

2010年は、中日移籍後初めて同じ背番号を2年連続で付けることになった。新人の松井雅人が第3捕手として開幕一軍を果たしたため、開幕を二軍で迎えることとなった。しかし、6月18日に谷繁元信の怪我もあってようやく一軍昇格。以降は先発レギュラーとなり、谷繁の復帰後は併用されるようになった。7月16日から20日にかけてのチームの5試合連続完封に貢献。5試合のうち2試合で先発出場し、16日は2年ぶりのマルチヒット、19日は決勝の3点適時二塁打を放つなど、少ない打席ではあるが、打率.274、自己最多の安打数の成績を残し、チームの優勝に貢献した。10月23日のクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第4戦の4回にも、試合の均衡を破る先制2点適時二塁打を放っている[3]。内角を果敢に突く一方で死球も多く、8月20日の対東京ヤクルトスワローズ(ナゴヤドーム)戦ではリーグ最多タイの5与死球を与えている。試合は相手投手館山の無四死球完封により、本拠地13連勝を逃す結果となった。なお、この年はたびたびお立ち台に立ったが、そのたびに小田が発した「やりましたー!」という決め台詞がチームやファンの間で流行し、急遽球団がタオル等のグッズを作ったほどだった。

2011年は、キャンプで足首を痛めたため(後に一時実戦復帰するも体調不良で再び離脱)、開幕を二軍で迎えることとなった。しかし、6月29日に一軍昇格。その後は小山桂司と併用されている。7月5日の対阪神戦ではプロ入り初となるサヨナラ安打を放った。この年に加入した投手であるエンジェルベルト・ソトが先発する際には、小田がスタメンマスクを被る。オフに国内移籍が可能なFA権を初めて取得したが、FAの権利を行使せずに残留を決めた。会見では「ものすごく悩みました。自分を必要としているところでやりたかった。」と語った[4]

2012年は、福田永将田中大輔等の若手捕手の台頭もあって出場機会を減らした。更にこの年には仲の良かった英智が引退、小田は引退セレモニーで涙した。

2013年は、8月28日のヤクルト戦(明治神宮野球場)でマット・クラーク高橋周平に続いて3者連続となるホームランを打ち、2004年以来9年ぶりの本塁打を記録。

2014年10月1日に球団から戦力外通告を受ける[5]。12月2日、自由契約公示された[6]。他球団での現役続行を目指していたが、2015年1月25日、現役引退を表明[7]

引退後[編集]

フリーランスの野球評論家として活動するかたわら、名古屋で幼稚園・小学生の児童向けに野球教室を主催している[8]。また、2015年3月30日からはCBCラジオ丹野みどりのよりどりっ!にて月曜パーソナリティとして出演している。

人物[編集]

愛称はODA(オーディーエー)[9]など。

入団当初の目標は古田敦也であり、トレードマークである眼鏡を掛け続けたのも古田の影響である[10]

中日に移籍する際、監督である落合博満は翌年1月3日にテレビ愛知で放映された『落合VS坂東大放談オレ竜2006』の収録にて、「正直言って小田が(プロテクトから)外れていると思わなかったよ」「大もうけと言っていいんじゃないのかな」と語った[11]。FA人的補償の成功例として採り上げられている[12]

2010年7月18日の対横浜戦で初めてお立ち台に上がり、「やりましたーっ!!」と絶叫して爆笑を呼び、チームやファンに定番となった[13]。8月8日の対阪神戦でもお立ち台に上がり3連発で絶叫するが、落合監督は「4回やったら昔の野球ならぶつけられているぞ。(中略)クギを刺しておくよ。(死球を)やられないようにな。いらない敵はつくる必要ないだろう」とクギを刺した[13]。それでもこの言葉は流行し、グッズも発売された[14]。2015年1月26日の引退会見でも報道陣の求めに応じ、笑顔で披露した[15]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1998 巨人 2 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
1999 5 12 12 0 2 0 0 0 2 2 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .167 .167 .167 .333
2000 2 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2001 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2002 7 7 5 1 2 1 1 0 5 3 0 0 1 0 0 0 1 1 0 .400 .500 1.000 1.500
2003 11 14 13 2 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 4 0 .077 .077 .077 .154
2004 24 67 62 6 16 3 0 1 22 6 0 0 2 0 2 1 1 12 2 .258 .292 .355 .647
2005 31 66 62 4 13 2 0 0 15 5 0 1 3 0 0 0 1 17 1 .210 .222 .242 .464
2006 中日 33 42 38 1 6 3 0 0 9 2 0 0 3 0 1 0 0 13 2 .158 .179 .237 .416
2007 27 42 36 1 7 1 0 0 8 1 0 0 3 1 1 1 1 8 0 .194 .231 .222 .453
2008 41 71 64 2 12 1 0 0 13 4 0 0 2 1 4 2 0 12 2 .188 .232 .203 .435
2009 24 27 24 0 1 0 0 0 1 1 0 0 1 1 1 0 0 6 1 .042 .077 .042 .119
2010 37 95 84 5 23 8 0 0 31 11 0 0 2 2 6 4 1 14 1 .274 .323 .369 .692
2011 40 69 61 0 10 0 0 0 10 4 0 0 3 0 5 1 0 15 1 .164 .227 .164 .391
2012 35 54 48 2 13 2 0 0 15 4 0 0 4 0 2 1 0 12 0 .271 .300 .313 .613
2013 31 40 37 2 5 0 0 1 8 2 0 0 0 0 3 1 0 7 0 .135 .200 .216 .416
2014 17 17 16 1 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 6 2 .063 .063 .063 .125
通算:17年 371 630 569 27 112 21 1 2 141 45 0 1 26 5 25 11 5 132 12 .197 .235 .248 .485
  • 2013年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]


捕手
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1998 2 6 1 1 0 0 .875 1 1 0 .000
1999 5 30 3 0 1 2 1.000 6 5 1 .167
2000 2 11 0 0 0 0 1.000 1 1 0 .000
2001 4 2 1 0 0 0 1.000 2 1 1 .500
2002 6 16 1 1 0 0 .944 2 1 1 .500
2003 11 34 6 0 2 1 1.000 4 2 2 .500
2004 23 146 12 2 1 2 .988 15 10 5 .333
2005 27 116 8 3 1 0 .976 7 4 3 .429
2006 32 94 9 1 2 3 .990 9 6 3 .333
2007 26 107 7 1 0 0 .991 10 6 4 .400
2008 41 179 19 2 3 1 .990 13 6 7 .538
2009 24 70 5 0 0 1 1.000 7 5 2 .286
2010 36 196 12 2 2 1 .990 13 11 2 .154
2011 40 169 17 2 2 0 .989 17 15 2 .118
2012 35 110 13 2 2 3 .984 15 10 5 .333
2013 29 100 4 1 0 2 .990 6 6 0 .000
2014 17 45 3 0 1 3 1.000 10 9 1 .100
通算 360 1431 121 18 17 19 .986 138 99 39 .283

記録[編集]

背番号[編集]

  • 46 (1998年 - 2005年)
  • 40 (2006年)
  • 26 (2007年)
  • 28 (2008年)
  • 52 (2009年 - 2014年)

登場曲[編集]

関連情報[編集]

出演番組[編集]

著書[編集]

関連映像作品[編集]

  • 『小田幸平 キャッチャーバイブル』

脚注[編集]

  1. ^ 「巨人・小田幸平がFA野口茂樹の人的補償で中日へ移籍」、スポーツ報知、2005年12月14日、3頁。
  2. ^ 落合監督はこの敗戦のコメントについて、「明日のスタメンを見れば分かるよ」と言い、その日のオーダーに小田が外されていた。
  3. ^ 「大一番もやりました〜小田 先制打」日刊スポーツ・大阪版 2010年10月24日付 6版 3面
  4. ^ 【中日】小田FA行使せず残留「悩んだ」 日刊スポーツ 2011年11月28日
  5. ^ 来季の契約について中日球団公式サイト2014年10月1日配信
  6. ^ 2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。
  7. ^ 【中日】戦力外通告の小田が現役引退 スポーツ報知 (2015年1月25日15時21分) 2015年1月26日閲覧
  8. ^ ODAドリームス2015年9月14日閲覧
  9. ^ 中日の私設応援団から呼ばれているもので中日スポーツでも紹介されていた。また、ベンチ内のメンバーを記入するホワイトボードにも「ODA」と書かれている
  10. ^ 「[98羽ばたけ!巨人軍](3)小田幸平20 目標は「巨人の古田」」、読売新聞 東京朝刊、1998年1月9日、25頁。
  11. ^ 「中日 落合監督、小田獲得は「大もうけ」」、日刊スポーツ 東京日刊、2005年12月15日。
  12. ^ 「【プロ野球】「掘り出し物」古巣見返せ FA「人的補償」にドラマあり」、産経新聞 大阪朝刊、2014年1月28日、21頁。
  13. ^ a b 「セリーグ中日阪神18回戦 3連勝貢献の小田のお立ち台パフォに落合監督苦言」、日刊スポーツ 名古屋日刊、2010年8月9日。
  14. ^ 「中日・小田幸平が“お立ち代”700万円増で契約更改」、スポーツ報知、2010年11月27日、4頁。
  15. ^ 「中日 小田が現役引退 控えでも17年、やりましたーっ!」、中日新聞 朝刊、2015年1月27日、27頁。

関連項目[編集]