小笠原長会

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小笠原 長会
時代 江戸時代後期
生誕 文化7年(1810年
死没 天保7年2月26日1836年4月11日
改名 岩五郎(幼名)→長会
墓所 東京都文京区本駒込の龍光寺
官位 従五位下、能登
幕府 江戸幕府
肥前唐津藩
氏族 小笠原氏
父母 父:小笠原長保、母:小笠原長堯の娘
養父:小笠原長泰
兄弟 長穀、長会
養子:長和柳沢保泰の子)

小笠原 長会(おがさわら ながえ)は、肥前唐津藩の第3代藩主。忠知系小笠原家11代。

生涯[編集]

5000石を領した大身旗本豊前時枝領主小笠原長保(小笠原長世の養子)の次男。文化8年(1811年)2月22日生まれとも言われている。

唐津藩主小笠原長泰に嗣子がなかったため養嗣子となり、天保4年(1833年)9月20日の養父の隠居により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下能登守に叙任する。しかし、藩主になった年に天保の大飢饉で凶作が起こるなどして苦難が続いた。天保7年(1836年)2月26日、27歳で死去し、跡を養嗣子の長和柳沢保泰の子)が継いだ。