小茂田浜神社

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小茂田浜神社
小茂田神社の鳥居
所在地 対馬市厳原町小茂田742番地
位置 北緯34度14分3.1秒
東経129度11分31.2秒
座標: 北緯34度14分3.1秒 東経129度11分31.2秒
主祭神 贈從三位宗右馬允助國
対馬の国事殉難者
社格 県社
創建 1274年(文永11年)
本殿の様式 流造
例祭 11月12日
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小茂田浜神社(こもだはまじんじゃ)は、長崎県対馬市厳原に鎮座する神社である。対馬西南海岸に位置し、元寇文永の役)の際に高麗連合軍が上陸した地にあたる。

祭神[編集]

宗右馬允助國(宗助国)を主祭神とする。また元寇で戦死した将士の霊を祀っている。

概要[編集]

祭神の宗助國は元寇の役において、国のために戦い、命を捧げた。「国難事変に際して神威を顕し命を賭して戦い、平時においては国家の平和を護り給う」神である。

対馬島民は、小茂田浜神社の管理を進め、元寇の650年後の大正13年(1924年)、鳥居の新設や元寇650周年記念碑の建設を実現した。また、昭和49年(1974年)には元寇700年記念碑を建立した。

歴史[編集]

  • 文永11年(1274年) 宗助国が戦死した地に、首塚や胴塚の祀を建立
  • 正平2年(1347年4月 助国の後裔宗経茂が現在地に遷し、神領を寄進して宗家の祭祀とし、改めて帥(あるいは軍)大明神社と称した。
  • 元禄年間 宗義真はその勲功を欽仰して神門及び石碑を建立。
  • 寛政年間より毎年宗氏が祭典を執行した。
  • 明治15年(1882年) 県社に列した。
  • 明治29年(1896年) 助国に従三位が追贈される。
  • 大正13年(1924年)鳥居の新設や元寇650周年記念碑を建設。
  • 昭和49年(1974年) 元寇700年記念碑を建立。
元寇700年記念碑

主な祭典[編集]

  • 1月1日 元旦祭
  • 11月12日 鎧武者を先頭にした武者行列が浜まで歩き、蒙古軍を迎え撃ったごとく海に向かって弓矢をかまえる「鳴弦(めいげん)の儀」が行われる
  • 12月31日 除夜祭

見どころ[編集]

境内[編集]

  • 元寇絵馬
  • 助國忌之石碑
  • 元寇700年平和之碑
  • 650年祭記念碑
  • 小茂田浜の歌之石碑

周辺[編集]

  • 第一次元寇の上陸地 小茂田浜
  • 御胴塚
  • 御首塚
  • 椎名の石屋根倉庫

参考文献[編集]

  • 小茂田浜神社御由緒書

小茂田浜の歌[編集]

小茂田浜神社の前の浜には、小茂田浜の歌の石碑が設置され、元寇襲来の様子が永久に伝えられている。 樋口  作詞

元寇の様子を伝える歌

一.

頃は文永十一の    浪の花立つ神無月

傲慢無礼の蒙古勢  海をおおうて寄せ来る

助國公を始めとし   一族郎党おしなべて

忠義一途の對馬武士  頼む心の一すじは

霰たばしる真剣ぞ   踏み迷わじ弓張の

月日照りそう神州に 一歩も入れじとたゞ進め

進め勇めの号令に  吶喊一声いかずちの

天地にひゞくばかりなり


二.

智勇仁義の名将の   下弱卆のあるべきぞ

忠臣心をあわせるゝ  國の御陵威(みいつ)を楯となし

きらめく剣に将を斬り   とゞろく蹄に旗を抜き

死して忠戦の鬼となるも  生きて異國の奴となるな

寸歩も去らず戦えど   敵は竹葦と攻めかこみ

流石勇武の英将も  いとも手痛き戦に

五丈原頭景落ちて  晝なお暗くなりにけり


三.

中にも斎藤資定は    二つの腕はたゝれても

忠義の二字は凛然と  大喝敵をしりぞけて

頭を岩にふれて死す   散りぎわ潔き山桜

大和心にえみしらは  小茂田の浜を落ちて行く

わが日の本の光こそ   実に國民の亀鑑なれ

関連項目[編集]