小関亨

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おぜき とおる
小関 亨
生誕 小関治作
文政12年(1829年
肥前国平戸藩
死没 1912年明治45年)1月30日
長崎県北松浦郡平戸村
死因 中風
国籍 大日本帝国の旗 大日本帝国
別名 小関与右衛門
雇用者 平戸藩公議所集議院長崎県
代表作 『謡曲五十余年』
流派 心形刀流剣道、関口流柔道、喜多流謡曲、観世流太鼓
小関三七

小関 亨(おぜき とおる)は幕末平戸藩士、明治時代の官僚、実業家。平戸藩権大参事長崎県第81大区長、第九十九国立銀行頭取等を務め、西海捕鯨に関わった。剣道・謡曲にも通じた。

生涯[編集]

平戸藩[編集]

文政12年(1829年)平戸藩士小関三七の子として生まれた[1]。幼名は治作、後に与右衛門[1]部屋住みとして藩主の近習を務めた後、松浦静山の下で小納戸頭、勘定奉行大坂留守居等を歴任した[1]

文久3年(1863年)の攘夷令では浅山純尹と共に平戸瀬戸の砲台築造に従事し[2]大村藩佐賀藩の計画にも関わった[3]

慶応3年(1867年)の大政奉還時には大坂留守居を務めており、先に京都入りして藩主を迎えた[3]。慶応4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いの時には京都にあり、暗峠奈良に出兵した諸隊の慰労使を務めた[3]。2月明治天皇二条城に行幸した際、大砲隊を率いて藩主に同行した[3]。大坂留守居に戻った後、4月公議人に任じられ、10月上京し、会津藩仙台藩等の処遇についての諮問に回答した[3]

明治政府[編集]

明治2年(1869年)1月東京に移り、集議院に出仕した[3]。7月藩治職制改革のため帰藩した後、12月再び上京し、藩権大参事に就任した[3]。明治3年(1870年)5月他の公議人と明治天皇に謁見し、9月藩制に係る任務のため帰藩した[3]。明治4年(1871年)7月廃藩置県により上京し、11月長崎県設置により失職し、帰郷した[3]。明治5年(1872年)3月長崎県九等出仕となったが、5月辞職した[3]

1873年(明治6年)1月長崎県第81大区(旧平戸城下)区長となり、郡中勧業掛・学区取締を兼ねた[3]。8月第83大区で徴兵令反対一揆が起こると[3]、権区長成田辰雄等と共に鎮撫に当たった[2]。1874年(明治7年)2月佐賀の乱が起こると、県庁警備のため旧藩士卒を集めて2小隊を編成し、県庁に引き渡した[3]。4月区長・兼務を辞任した[3]

銀行・捕鯨事業[編集]

1878年(明治11年)国立銀行を創立して頭取となり、1879年(明治12年)2月第九十九国立銀行として開業したほか、養蚕製糸業・捕鯨業も手がけた[4]

1879年(明治12年)牟田部佃と平戸捕鯨会社を設立し、生月村字御崎捕鯨場・字本浦マグロ網代や、魚目村西村房次郎と共同で大浜村黄島網代で操業し[5]ザトウクジラナガスクジラ等を捕獲した[6]。1882年(明治15年)平戸村字植松沖平戸瀬戸漁場を開発したが、1884年(明治17年)生月漁場の不振で経営難となり、倒産した[7]。1886年(明治19年)1月銀行頭取を辞職し、浅山純尹を後任とした[8]

1894年(明治27年)旧平戸捕鯨関係者木山金作・木田長十郎・副島清三郎と共に西彼杵郡平島銃殺捕鯨組に出資し、銃殺捕鯨を行った[9]。1895年(明治28年)1月本浦マグロ網代再開のため借区を出願したが、許可されなかった[10]

1898年(明治31年)根室に移住し[4]函館弘前でも活動した[11]。1910年(明治43年)6月帰郷し、1912年(明治45年)1月30日中風により84歳で死去した[4]

著書[編集]

  • 『謡曲五十余年』 - 1905年(明治38年)6月能楽館刊。この時の住所は根室国根室町大字本町三丁目6番地[12]

特技[編集]

幼くして父三七に剣道を学び、皆伝を受けて指南役を継いだほか、田村文右衛門関口流柔道を学び、高弟となった[1]。また、友人早田治助に漢学浅山純尹和学を学び、漢詩・和歌・囲碁を嗜んだ[2]

謡曲は喜多七大夫古能愛弟子某(自称独吟上人)に師事し、たまに喜多座地頭池田平左衛門宅にも通った[13]江戸勤番時代は高安弥兵衛・長次郎親子に観世流太鼓の出稽古を受け、嘉永2年(1849年)12月8日喜多六平太能静に「定家」「景清」「隅田川」謡の相伝を受け[14]江戸城西の丸御能や向島長命寺の月次囃子を見学した[15]。函館では秋田県出身石川某と能で交流し、宝生流緒方某の付稽古を行った[16]。弘前では第8師団将校方の謡会に参加し、遠江国出身宝生流小久保某と交流した[17]

家族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 平戸高小 1917, p. 317.
  2. ^ a b c 平戸高小 1917, p. 318.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 贈位内申書.
  4. ^ a b c 平戸高小 1917, p. 319.
  5. ^ 片岡 & 亀田 2012, pp. 85-86.
  6. ^ 片岡 & 亀田 2012, p. 90.
  7. ^ 片岡 & 亀田 2012, p. 87.
  8. ^ 平戸高小 1917, p. 298.
  9. ^ 片岡 & 亀田 2012, p. 89.
  10. ^ 片岡 & 亀田 2012, p. 88.
  11. ^ 小関 1905, pp. 78-81.
  12. ^ NDLJP:859778
  13. ^ 小関 1905, pp. 138-140.
  14. ^ 小関 1905, pp. 9-11.
  15. ^ 小関 1905, pp. 1-2.
  16. ^ 小関 1905, pp. 78-79.
  17. ^ 小関 1905, p. 82.

参考文献[編集]