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尚元王(しょうげんおう、1528年3月25日(嘉靖7年3月5日) - 1572年5月12日(隆慶6年4月1日))は、琉球王国第二尚氏王統の第5代国王。第4代国王・尚清王の第2王子。(在位:1556年-1572年)。神号は日始按司添(てだはじめあんじおそい)。童名は金千代、または鶴千代。
1555年に父・尚清王が薨去した後、王位継承をめぐる争いに勝利した上で1556年に即位する。1562年、明王朝から冊封を受ける。尚元は薩摩の島津貴久とは良好な関係を保持するため、積極的に島津氏からの使者を歓待したが、1570年と1572年の2度にわたって、島津氏の使者として派遣された僧侶・雪岑との間に接待で非礼があったと言うことから問題を起こし、それが原因で1571年には王自らが奄美大島へ親征するという事態も発生している。
1572年5月12日(隆慶6年4月1日)、44歳で死去し、後を第2王子の尚永王が継いだ。
家族[編集]
- 父・尚清王
- 母・思真銭金按司加那志
- 妃・真和志聞得大君加那志(号・梅岳。1605年(万暦33年)1月10日薨。広徳寺浦添親方の女孫、父名不伝。)
- 夫人
- 久米具志川按司志良礼(童名・真鍋樽、号・雪嶺。生没年不伝。父は幸地村翁長大屋子)
- 前東之按司(童名・真鍋樽、号・梅領、父は毛氏池城殿内一世・新城親方安基)
- 真南風按司(童名・真津比樽、号・南霜、1625年(天啓5年)11月14日卒。父は毛氏豊見城殿内三世・豊見城親方盛庸)
- 子女
- 長男・尚康伯、久米具志川王子朝通(童名・忠樽金、号・蕣。母は雪嶺。1557年(嘉靖36年)11月15日 - 1575年(万暦3年)12月10日。庶子のため王位に就けず。護得久御殿一世)
- 次男・尚永、阿応利屋恵王子(母は妃)
- 三男・尚久、金武王子朝公(童名・真三郎金、号・紹和。母は梅嶺。1550年(嘉靖29年)10月18日 - 1620年(泰昌元年)3月15日。金武御殿一世)
- 長女・首里大君按司加那志(母は妃、小禄御殿三世・尚懿に嫁ぐ。尚寧王の母)