尾崎中和

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尾崎 中和
生誕 1919年8月9日
東京府
死没 (1943-12-27) 1943年12月27日(24歳没)
所属組織 大日本帝国陸軍の旗 大日本帝国陸軍
軍歴 1940 - 1943
最終階級 陸軍大尉(死後中佐に昇進)
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尾崎 中和(おざき なかかず、1919年8月9日 - 1943年12月27日)は、日本陸軍軍人。死後、二階級特進し陸軍中佐殉職の項目も参照。

来歴・人物[編集]

水戸藩家老に連なる海軍中佐・尾崎貴信の二男として佐世保市で生まれる。東京市四谷区若葉町出身。東京府立一中東京陸軍幼年学校陸軍士官学校予科を経て、1940年6月、陸軍航空士官学校(53期)を卒業。航空兵少尉任官。明野陸軍飛行学校学生。

1940年10月、飛行第33戦隊付になり、1941年3月、太刀洗飛行学校教官、8月に中尉任官。1942年10月から1943年4月にかけて明野飛行(甲)学生、同じく同年4月から飛行第25戦隊第二中隊長に着任。同年12月に大尉

射撃の名手で知られ、南支の航空戦で19機を撃墜、うち6機は難攻不落とされたB-24であった。また、12~14機のB-24撃墜に名を連ね、「B-24撃墜王」の異名を持っていた。飛行第25戦隊は総体として非常に高い戦績を誇り、初代戦隊長の坂川敏雄少佐の15機撃墜をはじめ、金井守吉中尉・細野勇大尉の各26機、尾崎の19機、清野英治准尉・大竹四郎曹長の各15機撃墜などの数字が残っている[1]

1943年12月27日、遂川進攻に参加し、遂川飛行場強襲の際に上空にて僚機を救うためP-40に体当たりして戦死。1944年2月8日、個人感状授与。東條英機焼香に訪れた。

親族[編集]

  • 兄 尾崎貴和(陸軍中佐、戦死)

脚注[編集]

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  1. ^ 『日本軍用機航空戦前史 開戦前夜の荒鷲たち』(秋本実、グリーンアロー出版、1994年) 第一巻 P522 -