屋島

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屋島
海上からの屋島.JPG
サンポート高松のシンボルタワー(ホール棟の屋上広場)より
標高 南嶺292.0 m
所在地 日本の旗 日本
香川県高松市屋島東町・屋島中町・屋島西町・高松町
位置 北緯34度21分20.5秒
東経134度6分16.7秒
座標: 北緯34度21分20.5秒 東経134度6分16.7秒
山系 独立峰
種類 台地の地形(メサ溶岩台地
屋島の位置
Project.svg プロジェクト 山
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屋島(やしま、旧字体屋嶋)は、日本四国北東部の、香川県高松市の東北に位置する、硬質の溶岩に覆われた平坦面が侵食された残丘。南北に長い台地状の地形[1]

概要[編集]

屋島の名称は屋根のような形状に由来し[* 1][* 2]、高松市のシンボルになっている[* 3]。また、古来から瀬戸内海の海路の目印となる特徴物であり、海外交流交易海路に面した要衝であった[2]

屋島は江戸時代までは陸から離れたであったが、江戸時代に始まる塩田開発と干拓水田は後の時代に埋め立てられ、陸続きになった。海上保安庁では屋島をとして定めているが[3]、現在の法定区分は、高松市を形成する四国本島の扱いである。全体の大きさは南北に約5km、東西に約3km、南嶺の標高は292.0m、北嶺の標高は282m、山頂は平坦で、端部は急崖で囲まれた台地の地形で、台地の下部は地質学的に(メサ)型溶岩台地で構成されている[4]。両者は細い尾根で接続されている[1][5]

東岸と西岸と相引川沿いの埋立地は、住宅地・市街地に改変され、国の史跡および天然記念物の指定区域内に多くの人が集住している[6]。 山上に多島海が眺められる展望景観を有し、1934年(昭和9年)3月16日国立公園[7]として初の瀬戸内海国立公園に指定された[* 4]。当初の指定区域は屋島を含む備讃瀬戸の一帯である[8][9]

島内に重層の遺跡を有し、まれな台地であることから、1934年(昭和9年)11月10日、国の史跡および天然記念物「屋島」に指定された。史跡および天然記念物の指定範囲は、相引川以北の全域と、その地先の100mの海面区域である[10][11][12]

飛鳥時代後期にあたる天智2年(ユリウス暦換算663年)に起こった白村江の戦いの後に屋嶋城が築かれ、山上の全域が城とされている。また、南嶺山上に鑑真が創建したとの伝承をもつ屋島寺がある。東岸の入江の一帯は古来の檀ノ浦(讃岐檀ノ浦)で、治承・寿永の乱(源平合戦)における重要な局地戦の一つである屋島の戦いがここを戦場として繰り広げれらた[12]。そのほかにも、長崎ノ鼻古墳(ながさきのはなこふん)[* 5]、北嶺山上に千間堂跡(せんげんどうあと)[* 6]、屋島経塚(やしまきょうづか)、長崎ノ鼻砲台跡などがある[13]

屋島の山頂は平坦で、四周は急崖で囲まれたメサの標式的なものである。また、山頂近くの登山道沿いの通称「畳石」は、板状節理の露頭である[12]。その他、屋島礫層と通称「雪の庭」と呼ばれる白色凝灰岩が南嶺山上に分布する[14]

屋島スカイウェイ[* 7]の通じた南嶺山上は、香川県を代表する観光地の一つとして開発されている。しかし、北嶺山上は良好な自然公園である。両者は細い尾根で接続され、各々周回した歩行者専用の探勝遊歩道と、南北嶺を縦走できる登山道が整備されている[* 8][15][16]

地形・地質ほか[編集]

北方海上で屋島を遠望

地形の詳細は、巻頭と概要に記述のとおり。

屋島の地形は、新生代中新世の約1500万年前から約1300万年前にかけて起こった瀬戸内火山活動の溶岩などで形成された讃岐層群からなる。基盤岩は花崗岩で、火山活動の溶岩などがを埋めた後に土地が隆起したとされている。その後、長期にわたる浸食・削剥作用に対して、硬質の讃岐岩質安山岩(サヌキトイド)がキャップロックとなって残った台地の地形である[1][17][18]

塩田跡と干拓水田が埋め立てられ、短い多くの橋が架かり、探索だけでは島を認識することは困難である。四国本土と屋島は相引川(幅約10mほどの川)で分離されている[6]

歴史[編集]

屋嶋城の城門遺構
屋島山頂の談古嶺から相引川河口地域(立石港周辺一帯)を望む。この地域の手前側(西岸域)は屋島の戦いの戦場にもなった檀ノ浦(讃岐檀ノ浦)である。もっとも、江戸時代以来の度重なる開発によって地形は大きく変容し、往時の面影は残されていない。

山麓の浦生(うろ)集落の鵜羽神社境内遺跡では、弥生時代の後期に土器製塩が開始され、古墳時代中期に築かれた長崎ノ鼻古墳に至る。山上では、弥生時代中期の高地性集落の痕跡があり、飛鳥時代の屋島城(屋嶋城)築城に至る[1]

天智天皇2年8月ユリウス暦換算〈以下同様〉663年10月)に朝鮮半島で起こった白村江の戦い新羅連合軍に大敗北を喫した倭国は、いつあってもおかしくない敵軍の内地侵攻に備えて、ただちに国防を強化する必要があった[19]。天皇は明くる治世3年目(664年)に、最前線対馬壱岐島北部九州筑紫国等に、防人(とぶひ)を置き、水城を築き[19]、次いで4年目の8月665年9月頃[* 9])には、筑紫国に2基、瀬戸内西端の長門国に1基の山城(古代山城)を[19]、6年目(667年)には、最前線の対馬、瀬戸内東端の讃岐国、本拠たる畿内の大倭国(大和国)に、それぞれ1基の山城を築いた[19]。このことは、『日本書紀』巻第27の天智天皇6年11月条(西暦換算でユリウス暦667年12月頃相当時期の文章[* 10])に、以下のような是月条(『是月』で始まる一文)があることで分かる。研究者らによって「西海防備」などと呼ばれる一連の記述の一部である。

《 原 文 》 ※字は旧字体約物は現代の補足。
十一月丁巳朔乙丑、(...略...) 是月、築倭國高安城・讚吉國山田郡屋嶋城・對馬國金田城。
               ──『日本書紀』卷第廿七 天智天皇六年十一月是月条ぜげつでう [20]
書き下し文》 ※字は新字体、文は文語体振り仮名歴史的仮名遣
十一月じふいちぐぁつ丁巳ひのとみついたち乙丑きのとうし、(...略...) 是月このつき倭国高安城やまとのくにのたかやすのき讃吉国山田郡屋島城さぬきのくにのやまだのこほりのやしまのき対馬国金田城つしまのくにのかなたのきく。
口語解釈例》 ※文は口語体。角括弧[ ]内は補足文。振り仮名は現代仮名遣いで、丸括弧( )内は現代など後世の読み。
旧暦の]11月じゅういちがつ丁巳1日ついたち乙丑、(...略...) このつき倭国やまとのくに(異綴:大和国。現・奈良県)の高安城たかやすのき(たかやすじょう)讃吉国さぬきのくに(異綴:讃岐国。現・香川県)の山田郡やまだのこおり(やまだぐん)屋島城(屋嶋城やしまのき(やしまじょう)対馬国つしまのくに(現・対馬)の金田城かなたのき(かねたのき、かねだじょう)きずく。
《 備 考 》 
原文に「山田郡」とあるが、こほり(こおり)という地方行政単位が敷かれるのは大宝元年(701年)発布の大宝令による。天智天皇6年(667年)の時点では郡より軍事的性格の強いこほり(こおり)が敷かれていた[19]。係る文を含む全文は、評制時代の出来事を郡制時代になってから書き起こしたか、あるいは、用語の統一性を優先させて書き直したものと考えられる。

もっとも、昭和時代以前の調査では屋島の山上にそれらしき遺構は見当たらず、実体の掴めない幻のであった。注目すべき知見がもたらされたのは1998年平成10年)、南嶺山上における石塁の発見をきっかけに城門跡が発掘され、これをもって『日本書紀』に記された古代山城の実在したことが確かめられた[21][22][23]

屋島寺(南面山千光院屋島寺)は真言宗御室派古刹である。その前身は北嶺に遺る山岳寺院・千間堂跡地に所在していたという。寺伝によれば、北嶺から南嶺への遷移は嵯峨天皇勅願を受けた弘法大師(空海)によってなされた。鎌倉時代には盛衰を繰り返した。その後は荒廃していたが、江戸時代初期になって勧進による再興が果たされた。江戸時代中は山田郡屋島の時々の領主(高松藩主)であった阿波生駒家知行期間:1587年-1640年)と高松松平家(知行期間:1642年-1871年)から庇護を受けて整備された[1][21]元和4年(1618年)建立の本堂と、本尊である十一面千手観音像(木造十一面千手観世音菩薩坐像。10世紀頃の作)、および、梵鐘貞応2年〈1223年〉銘)は、国の重要文化財に指定されている[24][25](本堂と本尊は1955年〈昭和30年〉指定、梵鐘は1967年〈昭和42年〉指定)。

平安時代末における屋島は、治承・寿永の乱(源平合戦)の局地戦の一つである一ノ谷の戦いに敗れた伊勢平氏安徳天皇を奉じたまま撤退してきた四国東端の軍事要衝であったが、翌年の元暦2年2月ユリウス暦換算1185年3月頃[* 11])に源氏の追撃を受け、屋島の戦いの戦場となった。『平家物語』のほか、この戦いで源氏方の那須与一が平氏方の軍船に掲げられたの的を射落とした逸話などが、今日まで語り継がれている[21][26]

登山・ハイキング[編集]

東西を横断するコースもあるが、代表的な南北嶺の縦走コースは下記の通り。

最寄駅から、屋島競技場屋島小学校屋島寺に至る、歩行者専用の屋島登山道(参道・遍路道・四国のみち・県道)を目指す。車止めを過ぎれば、舗装された歩行者専用道路になる。加持水(かじすい)、不喰梨(くわずのなし)、畳石(たたみいし)を経て、屋島寺の仁王門に到着する。屋島寺の本堂から四天門に折り返して西側のみやげ物店を通ると、獅子ノ霊巌(ししのれいがん)の展望所である。遊歩道を歩み、北嶺入口を越えると北東角の、談古嶺(だんこれい)展望所である。北嶺入口に折り返し、舗装された遊歩道を進むと、北嶺周回の三差路に出合う。三差路の奥に千間堂広場が広がる。東西の遊歩道か、千間堂広場から北上する土道の遊歩道を進むと北端で合流する。北方のウバメガシの林を抜けると、北嶺北端の遊鶴亭(ゆうかくてい)の展望所である。遊鶴亭から山道をジグザグに下ると[* 12]県道の北嶺登山口に出る。県道を横切り林の中の山道を進むと、未舗装の車道に下り立つ。北に進み階段を下れば、海が広がる砲台跡の長崎ノ鼻の先端に到着する。帰路は車道を戻り、県道に出て、右折れして屋島西町方面に進むと、屋島健康ランド前のバス停に到着する。余裕があれば、最寄駅まで歩く。そして、本コースに、山上の南嶺南端の冠ケ嶽の折り返しを加える登山者もいる[16]

山麓の最寄駅からシャトルバスが屋島山上を往復する。シャトルバスを利用した種々のコースで、登山者・ハイカーウォーカーは、四季折々に天空の散策を楽しむ[15][16][27]

観光[編集]

四季を通して観光客・四国霊場巡礼者・登山客が訪れる屋島は、県下の小・中学生の学習場所として活用され、県民も四季の屋島を楽しむ[* 13]

山上は南嶺と北嶺ゾーンに区分できる。南嶺には、四国八十八箇所霊場第84番札所の屋島寺、蓑山大明神、屋島寺宝物館、新屋島水族館がある。また、屋嶋城の城門遺構の復元と見学路が整備され、2016年(平成28年)3月からは一般公開されている[28][29]

屋島寺と祭事風景
瀬戸大橋(獅子ノ霊厳)
談古嶺で小豆島方面を遠望

南嶺の獅子ノ霊巌(ししのれいがん)からは、高松市街、石清尾山五色台瀬戸大橋、琴平山(象頭山)を望める。談古嶺(だんこれい)からは、源平合戦の屋島古戦場や、五剣山を望める。そして、北嶺北端の遊鶴亭(ゆうかくてい)からは瀬戸内の多島海が眺望でき、これら3箇所とそこからの眺望は、それぞれに総じて「屋島三大展望台」「屋島三大展望」と呼ばれている。また、夕景・夜景の展望景観は、「日本の夕陽百選[30]・「日本夜景遺産[31]・「夜景100選」[32]に選定されている。

南北嶺の山上は歩行者専用の探勝遊歩道が周回し、北嶺北端の遊鶴亭に加え、南嶺南端の冠ケ嶽で讃岐平野と阿讃の山並を楽しむ散策者もいる。また、岡山県鷲羽山などの山並みと、兵庫県の南西部の山並みに加え、淡路島も遠望できる。さらに、晩秋から冬季は、剣山明石海峡大橋も視野に入る。そして、 談古嶺では、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケ地で、四国本島最北端の庵治町は眼下に、映画「二十四の瞳」・「八日目の蝉」のロケ地の小豆島も一望できる。その他、女木島男木島大島は眼下、直島豊島も一望できる。

日本三名狸の1尊に数えられる化け狸太三郎狸(屋島太三郎狸)は、蓑山大明神として屋島寺の境内に祀られている。一夫一婦の契も固く、家庭円満・縁結びの神とされている[33]井上ひさし著の小説『腹鼓記』に登場する屋島ノ禿狸や、高畑勲監督のアニメーション映画平成狸合戦ぽんぽこ』に登場する太三郎禿狸は、この化け狸をモデルとしている。

名物は、「いいだこおでんかわらけ投げ」などがある。

屋島スカイウェイ[* 7]は南嶺東斜面を縦走する。山上に近いヘアピンカーブのトンネルを貫け、西斜面に出て駐車場(有料)に至る。東斜面に、2か所の展望所がある。このスカイウェイは、「日本風景街道」[34]の「源平ロマン街道」[35]に指定され、屋島山上~海沿いの庵治半島~道の駅「源平の里むれ」を結ぶ風景街道である。

屋島スカイウェイの東斜面中腹の山側に、 「ミステリーゾーン」 の表示板がある。この場所の路面は、上り坂が目の錯覚で下り坂に見えるとされている[36][37]

屋島スカイウェイの山麓の山側には、祭神が徳川家康松平頼重の屋島神社(讃岐東照宮)と、四国民家博物館(四国村)が隣接して存在する[26]

東岸の入江(屋島湾)と、入江を囲む屋島東町牟礼町庵治町・屋島の南に隣接した高松町が、源平合戦の屋島古戦場である。歴史と数々のエピソードを有する『平家物語』他が織り成す史跡が点在する[26]

香川県には、屋島を筆頭とするメサと、飯野山(讃岐富士)を筆頭とするビュート状の小山が混在し、特異な景観を有する[38]。この様子は、屋島山上からも展望できる。

屋島は、瀬戸大橋の開通時の賑わいを最後に観光客が激減した。みやげ物店・宿泊施設が相次いで閉鎖された後、廃屋が林立する状況に至った。2011年(平成23年)、大西秀人市長は屋島の活性化を宣言し[39]、屋島活性化基本構想・屋島活性化推進計画を策定した。その後、廃屋撤去跡の整備・屋嶋城の城門遺構の復元・屋島スカイウェイ高松市道化)ほか、種々の活性化策が展開されている[2]

2017年(平成29年)、環境省の「国立公園満喫プロジェクト展開事業」に、「屋島の絶景プロモーション事業」が採択された。文化・観光の拠点となる、「屋島山上拠点施設」ほかの整備計画が展開されている[40]

その他[編集]

  • 屋島の国有林は、四国の「レクリエーションの森の風景林」に指定され、北嶺にはウバメガシの純林などが広がる[41]
  • 屋島の818ヘクタールは、香川県の鳥獣保護区に指定されている[42]
  • 山麓から屋島寺に至る屋島登山道と、相引川側に沿った八栗寺に至る道は、国土交通省の「四国のみち」に指定されている[43]
  • 四国百名山」に「屋島」として選定されている[44]
  • 新日本観光地百選」や「日本二十五勝」などに「屋島」として選定されている。
  • 遊歩百選」に「屋島」として選定されている。
  • 美しい日本の歩きたくなるみち500選」に「源平合戦史跡を巡るみち」として選定されている。
  • 山麓には、うどんの「わら屋」・骨付鳥の「一鶴」・「やしま第一健康ランド」などがある。
  • 髙松市のシンボル屋島は、市庁舎の入口正面壁画と、市議会議場の正面どん帳に描かれている。また、市内の多くの小・中学校や高校の校歌の歌詞に採用されている[45]
  • 屋島は当初、国の「名勝」として指定が検討されていた。しかし、屋島を含む備讃瀬戸が日本初の国立公園に指定されたため、名勝的価値は国立公園に委ねられた[46]

交通アクセス[編集]

山上へは、屋島山上行きシャトルバス・タクシーの利用、または自動車・二輪車・自転車・徒歩で屋島スカイウェイ[* 7]を利用する。シャトルバス・タクシーの利用は、JR高徳線屋島駅または高松琴平電気鉄道(琴電)志度線琴電屋島駅が最寄駅となる。山上は南嶺の駐車場を除いて歩行者天国、自動車・二輪車・自転車の走行は許可申請を要する。登山の場合は、琴電潟元駅・琴電屋島駅またはJR屋島駅で下車、屋島小学校の前を通り、歩行者専用の屋島登山道(参道・遍路道・四国のみち・県道)を登る。かつては屋島ケーブルがあったが、2004年(平成16年)に廃止された。

探訪[編集]

獅子ノ霊厳から備讃瀬戸(西方)を遠望

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 「屋島の山容」を、卓状およびテーブル状とたとえる例もある。遠望の屋島を東西からは「寄棟形の屋根」、南方からは「切妻形の屋根」、山麓の南からは「屋島富士」にたとえる例もある。
  2. ^ 平家物語とその派生文化では、「八嶋(八島)」と表現されていることが多い。
  3. ^ 「世界で誇れる高松市のシンボル」として再生するため、「屋島活性化基本構想」を策定した(わがまちの自然公園/髙松市、大西秀人。国立公園 NO.717号、2013年、24-25頁)。
  4. ^ 雲仙国立公園および霧島国立公園と同時に指定された。
  5. ^ 5世紀初頭の全長約45mの前方後円墳で、石棺は阿蘇溶結凝灰岩製である。
  6. ^ 屋島寺の前身の仏堂跡(礎石建物)で、基壇から多口瓶が3個体出土している。
  7. ^ a b c 旧屋島ドライブウェイは、2018年(平成30年)5月27日高松市道として供用を開始した。自転車・徒歩での通行も可能であるが、駐車場は有料である。
  8. ^ 香川県は「瀬戸内海国立公園 屋島案内図」の説明板を、山上の遊歩道と山麓の要所に設置している。
  9. ^ 旧暦和暦)の天智天皇3年8月1日と8月30日(同月最終日)は、西暦(ユリウス暦)の664年8月27日と9月25日に相当する。
  10. ^ 旧暦(和暦)の天智天皇6年11月1日と11月30日(同月最終日)は、西暦(ユリウス暦)の667年11月21日と12月20日に相当する。
  11. ^ 旧暦(和暦)の元暦2年年2月1日と2月29日(同月最終日)は、西暦(ユリウス暦)の1185年3月4日と4月1日に相当する。
  12. ^ この登山道は、「長崎屋島北嶺線遊歩道」である(『香川の瀬戸内海国立公園 ガイド』、香川県 みどり保全課、2016年、16頁)。
  13. ^ 山麓には小・中学生を対象にした県立の集団宿泊施設、「屋島少年自然の家」がある。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 『屋島 ―シンボリックな大地に刻まれた歴史―』、高松市歴史資料館、2014年、2・8・12・16・25・27頁。
  2. ^ a b 屋島活性化基本構想(PDF) - 高松市。2018年6月29日閲覧
  3. ^ 香川県のしまっぷ ー第六管区海上保安本部
  4. ^ 屋島(火山台地を中心としたコース 香川県
  5. ^ 讃岐ジオサイト (10) 屋島 - 香川大学
  6. ^ a b 屋島風土記編纂委員会 『屋島風土記』、屋島文化協会、2010年、52・58頁。
  7. ^ 国立公園 - 環境省
  8. ^ 瀬戸内海国立公園 - 環境省
  9. ^ 瀬戸内国立公園 パークガイド 瀬戸内海 東部地域』、自然公園財団、2004年、33頁。
  10. ^ 『髙松市史跡天然記念物屋島保存整備等基本構想』、髙松市、1995年、9-10頁。
  11. ^ 屋島 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  12. ^ a b c 屋島 - 文化遺産オンライン(文化庁
  13. ^ 史跡天然記念物屋島の調査- 高松市
  14. ^ 「屋島」天然記念物- 高松市
  15. ^ a b 「香川の瀬戸内海国立公園ガイドブック」、香川県 みどり保全課、2016年、15-16頁。
  16. ^ a b c 高松勤労者山の会『香川県の山』、山と溪谷社、〈分県登山ガイド 36〉、2017年、10-15頁。
  17. ^ 長谷川修一 他 著 『讃岐ジオサイト探訪』、香川大学生涯学習教育センター、2013年、1-5・50-53頁。
  18. ^ 林巍 監修「屋島」『里山に遊ぶ』、里山悠遊クラブ・自然探訪の会、2003年、84頁。
  19. ^ a b c d e 高松市教育委員会 (2012年11月24日). “古代山城プレサミット シンポジウム (PDF)”. 公式ウェブサイト. 高松市. p. 26. 2019年7月23日閲覧。 “大敗北を喫した百済復興の企てであったが、敗北を機に、倭国は、唐・新羅の侵攻を防ぐために急速な軍事防衛体制の整備と国制変革へと向かった。664年(天智3)、対馬嶋壱岐嶋筑紫国等に(さきもり)と(のろし)を置き、水城を築造し、665年(天智4)八月に長門国に城、筑紫国大野城基肆城を築造し、667年(天智6)倭国高安城、讃吉国山田郡(当時は)の屋嶋城、対馬国の金田城を築造した。すなわち、664年から数年の間に、一斉に北九州、瀬戸内海の南北に山城を造営したのである”
  20. ^ 『日本書紀』巻第二十七天智天皇紀”. 個人ウェブサイト. 個人. 2019年7月23日閲覧。
  21. ^ a b c 澁谷啓一 「屋島」『歴史考古学大辞典』、吉川弘文館、2007年、1167頁
  22. ^ 向井一雄 「屋嶋城跡」『東アジア考古学辞典』、東京堂出版、2007年、525頁
  23. ^ 『史跡天然記念物屋島』、高松市教育委員会、2003年、63・124頁。
  24. ^ 国指定文化財等データベースー文化庁
  25. ^ 『香川の文化財』、香川県教育委員会、1996年、11・104・165頁。
  26. ^ a b c 香川県の歴史散歩編集委員会『香川県の歴史散歩』、山川出版社、2013年、41・45-47頁。
  27. ^ 「屋島」『野山への招き PARTⅢ』、髙松市ハイキング協会、2001年、47-50頁。
  28. ^ 歴史ロマン「開門」。四国新聞、2016年3月19日閲覧。
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  30. ^ 高松市 -日本の夕陽百選選考委員会
  31. ^ 屋島獅子ノ霊巌 - 日本夜景遺産事務局
  32. ^ 夜景100選(香川県) - 新日本三大夜景・夜景100選事務局
  33. ^ 「蓑山大明神之屋島太三郎狸」の説明板による。
  34. ^ 日本風景街道 - 日本風景街道戦略会議
  35. ^ 源平ロマン街道 - 四国風景街道協議会
  36. ^ 「るるぶ 香川'18」、JTBパブリッシング、2017年、56頁。
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  40. ^ 大西秀人「瀬戸内海国立公園の多島美を世界へ」『国立公園』 NO.762号、2018年、19-20頁)。
  41. ^ 四国の「レクリエーションの森」 - 林野庁
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  44. ^ 『四国百名山』、山と渓谷社、2000年、89頁。
  45. ^ 大山晃 著「屋島は高松市のシンボルか」『高松の校歌』、高松市図書館、2001年、4頁。
  46. ^ 『屋島名勝調査報告書』、高松市教育委員会・京都府公立大学法人、2016年、報告書抄録。

参考文献[編集]

  • 高松市歴史資料館 編 『屋島 ―シンボリックな大地に刻まれた歴史―』(史跡・天然記念物屋島指定80周年記念企画展)、高松市、2014年。
  • 長谷川修一・鶴田聖子 著 『讃岐ジオサイト探訪』、香川大学生涯学習教育センター、2013年。