山内積良

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やまうちせきりょう
山内積良
生誕 1883年
死没 1949年
国籍 日本の旗 日本
職業 実業家(山内房治郎商店2代店主)
親戚 山内溥(孫)

山内 積良(やまうち せきりょう、本名は同じ、旧姓:金田1883年 - 1949年)は、日本の実業家、山内房治郎商店2代店主。元任天堂取締役社長の山内溥は孫にあたる。

来歴[編集]

京都府京都市に「任天堂骨牌」(山内房治郎商店)を創業し花札の製造販売を始めた山内房治郎は男児に恵まれず、1907年に金田弥兵衛の二男積良を長女の婿養子として迎え入れた[1]

積良は1929年に山内房治郎商店2代店主に就任。房治郎から家督を相続し、花札製造業をいっそう発展させた。房治郎が並行していた建材業(石灰・セメント)は積良自身も行っていたが、次女の婿に灰孝本店を継承させ、分家独立させた[2]

1933年には合名会社山内任天堂を設立。手狭になった本社を移転し、同時に生産機構の合理化、経営効率の改善をおこなった。かつての山内任天堂本社社屋は任天堂正面営業所となっている。

1947年には、販売子会社「株式会社丸福」を設立、同時にかるたトランプの自主流通を始める。株式会社丸福は「株式会社丸福かるた販売」「任天堂かるた株式会社」「任天堂骨牌株式会社」を経て1963年に任天堂株式会社となっている。任天堂製花札のパッケージに丸福の印が使用されている[3]

積良も房治郎同様、家督を相続すべき男児に恵まれず(旧民法では家督相続者は「長男」でなければいけなかった)、長女の婿養子に工芸家出身の稲葉鹿之丞を迎え入れ、二人の間に念願の長男・博(山内溥)が生まれる。しかし、鹿之丞が近所の女性と駆け落ち出奔)してしまい、幼い孫の博が残された[4]

1949年、病でこの世を去る。66歳没。死の直前、家督をわずか22歳で継ぐことになった孫の博の「任天堂で働く山内家の者は自分以外に必要ない」と言う条件を呑み、会社にいた山内家の従兄弟達を会社から退けた[5]

脚注[編集]

  1. ^ 灰孝本店と任天堂の基礎を築いた山内房治郎(山内一正さん)”. 明治150年京都のキセキ. 京都市 (2017年12月13日). 2018年1月30日閲覧。
  2. ^ 沿革”. 灰孝本店 (2012年). 2018年1月30日閲覧。
  3. ^ 山崎功 『任天堂コンプリートガイド−玩具編−』 主婦の友社、2015年、123頁。
  4. ^ 山崎 2015, p. 124.
  5. ^ 山崎 2015, p. 125.
ビジネス
先代:
山内房治郎
任天堂社長
第2代:1929年 - 1949年
次代:
山内溥