岡崎惟素

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岡﨑 惟素(おかざき これもと、1840年(天保11年) - 1905年(明治38年)5月20日)は、岡山藩士、三菱商会本社副支配人、日本郵船長崎支店長、日本逓業取締役、東京株式取引所理事。

生涯[編集]

備前国御野郡内田村(現・岡山市)出身。明治10年、36歳の時に岩崎弥太郎が創設した三菱商会に書記係として入社。のちに本社副支配人となる。明治20年より、日本郵船に出向した。

茶道を趣味とし、織部流の古田宗関より皆伝を受け淵冲(えんちゅう)と号した。明治31年、松浦詮(心月庵)が在京の華族 、知名士等と設立した「和敬会」の会員となる。会員は岡崎、松浦詮のほか、青地幾次郎(湛海)・石黒忠悳(况翁)伊藤雋吉(宗幽)伊東祐麿(玄遠)・岩見鑑造(葎叟)・金澤三右衛門(蒼夫)・戸塚文海(市隠)東胤城(素雲)東久世通禧(古帆)久松勝成(忍叟)・松浦恒(無塵)・三田葆光(櫨園)・三井高弘(松籟)・安田善次郎(松翁)の以上16人で、世に「十六羅漢」と呼ばれた。著書に茶道の点前を比較した『点茶活法』がある。

家族[編集]

養子に岡崎遠光がいるが早世した。友人としては、朝吹英二渡辺荘が特に親しかった。

参考文献[編集]

  • 宮下玄覇『岡崎淵冲』宮帯出版社