岡林信康

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岡林 信康
生誕 (1946-07-22) 1946年7月22日(73歳)
出身地 日本の旗 日本 滋賀県近江八幡市
学歴 同志社大学神学部中退
ジャンル フォークソング
ロック
職業 ミュージシャン
シンガーソングライター
音楽プロデューサー
担当楽器 ボーカルギターハーモニカ
活動期間 1968年 (1968) -
レーベル URCレコード
ビクターエンタテインメント
ソニー・ミュージックエンタテインメント
日本コロムビア
東芝EMI
日本クラウン
共同作業者 はっぴいえんど(バックバンド)
松本隆(プロデューサー)
加藤和彦(プロデューサー)
公式サイト fuji-okabayashi.com
ボブ・ディラン

岡林 信康(おかばやし のぶやす、1946年7月22日  – )は、日本ミュージシャン。血液型はO型(本人はA型に近いO型と語っている)。

実家は教会で、父親は牧師。現在は京都府亀岡市在住。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

父親は新潟県の出身で30歳まで新潟で農業をしていた[1][2][3]。しかし、閉鎖的な村社会が嫌になって故郷を飛び出し、滋賀県紡績工場に就職[3]。その時期に宣教師ウィリアム・メレル・ヴォーリズに出会い、牧師となるため大阪神学校に通った後、近江八幡市の田んぼのど真ん中に西洋建築の教会を建てた[1][2](教会の礼拝堂は現存し、2012年に国の有形文化財に登録[4])。当地で信康は生まれる。近江兄弟社中学滋賀県立八日市高等学校を経て、1966年同志社大学神学部入学。熱心なキリスト教信者であったが、実家の教会の不良少女の扱い(お祈りをさせないなど)に疑問を感じ「脱出」[2]、その後社会主義運動に身を投じる中で、高石ともやに出会いギターを始める。

フォークシンガーとして[編集]

1968年、京都で行われた第3回フォークキャンプに参加。同年9月、山谷に住む日雇い労働者を題材とした「山谷ブルース」でビクターよりレコードデビュー。翌年までに、「友よ」「手紙」「チューリップのアップリケ」、「くそくらえ節」、「がいこつの歌」など、名作・問題作を発表。その内容から、多くの曲が放送禁止となる。当時、岡林とともに高石友也、高田渡、加川良、五つの赤い風船なども活躍し、プロテスト・フォーク、反戦フォークが若者の間でブームとなった[5]。中でも岡林は一世を風靡し、「フォークの神様」と言われたが、勤労者音楽協議会との軋轢や周囲が押しつけてくるイメージと本人の志向のギャップ(同時期、岡林はすでに直接的なプロテストソングに行き詰まりを感じており、ロックへの転向を模索していた)などにより1969年9月、3カ月余りのスケジュールを残したまま一時蒸発した[1]。書き置きは「下痢を治しに行ってきます」[1]

1970年4月、コンサートに再登場、「ごめんやす。出戻りです。お互い堅くならんといきましょう」と話した[1]。この時期からボブ・ディランに影響を受けたロックを、当時無名だったはっぴいえんどをバックに展開し始める。「それで自由になったのかい」「私たちの望むものは」「自由への長い旅」などの作品を発表、喝采を浴びて東京に移り住み、一夫一婦制ナンセンスを唱えて自由なヒッピー風生活をするが行き詰る[1]

1971年日比谷野外音楽堂での「自作自演コンサート 狂い咲き」および、「第3回中津川フォークジャンボリー」を最後に、再び表舞台から姿を消す。

4年間の農耕生活[編集]

やがて岡林は人ぎらい、街ぎらいとなり、三重県農業共同体を営んでいた山岸会を見学し、「ヤマギシズム」に傾倒[1]。自然の環境に身を置こうと岐阜県中津川近くの山村に移り住み、約1年後京都府綾部市の総戸数17戸の過疎村に居を移し農耕生活を始める[1][2][6]

農村に移住して、村の生活の中でリラックスし始めていたが、ギターに触れることもせず、歌手であることも忘れようとしていた(たまにゲスト出演などで他人のコンサートに出ても円形脱毛症になることがあった)[7]。そんな中つぶれかけの蔵の中で座禅・瞑想を30分ほどするようになり、半年ばかり過ぎた頃、誰かがポンと肩を叩いたような感覚になり、「無理をしてきたなぁ。もうこれから無理をする必要はないんだよ」という声が聞こえ、突如背中に電気が走ったようになり、涙がとめどなく溢れてきた。30分ほど泣き続け、体中をしばっていた鎧が粉々に飛び散ったような爽快感が広がっていくようであった[7][8]。それ以降、どんどんリラックスするようになり、いろんな価値観が変わっていくようになり、自分の歪をもっと知りたいと精神分析の本も読み漁ったりする中、新しい音楽を作る気持ちになった[7][8]

1973年ソニーへ移籍し、活動を再開。松本隆をプロデューサーに迎え制作されたロック路線のアルバム『金色のライオン』、『誰ぞこの子に愛の手を』などを発表。いかに今まで無理してきたかを普通の表現法では無理だったため、ディラン風の暗喩を多用した「あの娘と遠くまで」、「26番目の秋」などの曲などを発表するが、相変わらず「フォークの神様」を期待するファンは多かった[7]

復帰後[編集]

数年間の農村生活の間、文明との接点は古ぼけたステレオだけ、次第に肩肘から力がとれた[1]。知人である黒田征太郎宅のテレビで、西川峰子の「あなたにあげる」を聴いて感激[1][9][10]。「おれのものも歌だが、演歌もまた歌だ。歌にはいろいろな役目がある」と、ぽつりぽつりと自分だけの演歌を作り始めた[1]。作り始める中、いろんな演歌のレコードを買いあさり、演歌にのめり込んでいる中、自身の音楽のルーツが賛美歌やクラシック音楽だけではなく、ラジオから流れて聴いていた演歌にもあったことに気づく[9][10]。「月の夜汽車」「風の流れに」が美空ひばりに採用される。4年間にわたる農耕生活を終え[6]山を降り亀岡市に転居。

1975年には、岡林本人もコロムビアに移籍し、演歌路線のアルバム『うつし絵』をコロムビアより発表。美空ひばりの後押しも受け、12月に中野サンプラザで久しぶりのワンマンコンサートも行った[11]。コロムビアでは他に、新録の2枚組ベストアルバム『岡林信康』、私小説的弾き語りの『ラブソングス』を発表。

音楽評論家の中村とうようが「岡林が演歌をやめてフォークに戻ってきた」と評し、再び「フォークの神様」に戻ることを危惧するも、久しぶりにギター1本で約1年100箇所あまりの村や町を旅した[12]。昔の自分を求める観客との間に微妙なズレを感じつつも、どこの会場も大盛況だった[12]。弾き語りを100箇所も続けていると、他のミュージシャンと一緒にプレイしたくなり、そんな想いが強くなった頃、ニール・セダカポール・アンカといったアメリカンオールディーズにひかれ、今度はこれらの曲を聴きまくった[12]。子どもたちがファンであったピンク・レディーのレコードをかけてくれとしょっちゅうせがまれた影響もあり、歌謡ポップス・アルバムを作ってやれと捻り出して作ったアルバム『セレナーデ』を発表[12][13]。これを皮切りに、パロディ色の強い、ニューミュージック路線を展開した[14]

古巣のビクターに再び移籍し、さらに『街はステキなカーニバル』、『ストーム』、『グラフィティ』を発表し路線を深めていく。「ミッドナイト・トレイン」、「Good-bye My Darling」、「山辺に向いて」などがこの時代の代表曲である。

1980年、テレビドラマ『服部半蔵 影の軍団』のエンディング・テーマである「Gの祈り」を発売。しかし、『ストーム』制作の際、プロデュースを担当した加藤和彦に、それまでの作詞の根本としていた部分を「逃げ」だとして批判されたことで、再び新たなスタイルを模索することになる。

1980年代中頃より、メジャーレーベルとの契約が切れたことなどもあり、往年のフォークスタイルであるギターとハーモニカによる弾き語りツアー「ベアナックルレビュー」を開始し、全国を巡る。また、この頃より、封印していた初期の曲の一部を再び歌うようになる。

エンヤトットの完成〜現在[編集]

1981年ロンドンキング・クリムゾンロバート・フリップに「俺たちの真似じゃない。日本人のロックを聴かせろ。」と言われたことで、日本民謡的なリズムに乗せた独自のロック「エンヤトット」を思案[14]。平野融らとともに模索を続ける中、韓国の打楽器集団サムルノリと出会い、開眼する。

1987年、自主制作テープ『エンヤトットでDancing!!』を発表。その後、東芝EMI日本クラウンなどでアルバムを発表。全国各地でコンサートを行う。

「古いファンからはあまり喜ばれなかった」と本人が語る「エンヤトット路線」ではあったが、2007年10月20日に36年ぶりの日比谷野外音楽堂ライブ「狂い咲き2007」を行うまでに至る。また、前述の日比谷野音ライブに前後した時期から、10年以上「封印状態」にあったURCレコード時代の音源を含む全アルバムが、紙ジャケットで再発された。また、岡林を敬愛するサンボマスターとの競演や、フジロックフェスティバルCOUNTDOWN JAPANなどのロックフェスへの参加、ロック時代の曲を数十年ぶりに再演するミニライブの開催、数々のテレビ出演など、より積極的な活動を行っている。

2009年九段会館のコンサートで「越後獅子の唄」をカバーしたことをきっかけに、翌2010年、EMIから美空ひばりのカバー曲を中心とした『レクイエム〜我が心の美空ひばり〜』を発表。5月には久々となる全国ツアーも行った。

2011年、「岡林信康コンサートツア-2011」を行い、東名阪のZEEPでライブを行った。

2012年、14年ぶりに作詞作曲をした自主制作シングル「さよならひとつ」を発表した。2016年にはフリー・ジャズの山下洋輔とも共演した。

人物[編集]

名前の由来[編集]

父方の姓は「下杉」といい、上杉謙信の子孫だったとのこと[3]。そのため、本来「下杉信康」だったということになると著書に書いている[3]

信康という名前は、キリスト教信仰の「信」と、三歳で病死した兄がいて、次に生まれてくる子は健康であってほしいという願いから「康」がとられ、「信康」となった[3]

楽器との関わり[編集]

小さい頃、父から無理やりピアノを習わされた(教会で賛美歌のオルガン奏者をみつけるのに苦労し、自分たちの子どもにそれをやってほしいという思いから、姉も弟も習わされていた)が苦痛で、小学校二年から始めて三年間でバイエル四十番までしかいかず、教える先生もさじを投げるほどだった[15]

ギターを始めたのは、高石友也がきっかけではなく、浪人していた頃友達がギターを置かしてくれと持って来たのを、その友達に「ギターにはコードっていうのがあって、コードはこうやって弾くんだよ」と教えてもらい、これでグループサウンズの歌なんかができるんだぞって言われ、弾き語りをしたり、作曲をしたりしたと言う。加山雄三の詩に違うメロディーをつけて作曲もしていた。加山雄三に影響を受けてギター始めたっていうのは格好悪いから、いちいち訂正はしていないが、本格的にやり始めたのは高石友也を聴いてから[16]

被差別部落[編集]

被差別部落に関わるきっかけは、山谷での日雇い労働での経験から来ており、それまで見たことのない人々や社会にショックを受け、地元の滋賀に帰ってから、琵琶湖のほとりでテントを張り、自問自答していく中で、自分の身近にある社会問題に目を向けたところ、それが被差別部落問題だった。そのことから、山谷に行ったり来たりしながら、地元の被差別部落区域でも日雇い労働を経験しながら、部落開放運動にも参加した。そのとき生れたのが初期の傑作「山谷ブルース」「流れ者」「手紙」「チューリップのアップリケ」である。この部落差別をテーマにした「手紙」「チューリップのアップリケ」は、放送禁止歌の代表例といわれる(実際のところ、放送禁止になっている歌というものは存在しない。抗議などを恐れての自主規制・自粛である)。

作品の特徴[編集]

岡林の作品の特徴として、「くそくらえ節」のように関西弁東京弁を混ぜた歌詞もあれば、「山谷ブルース」のように東京弁だけを使用した歌詞もあったりする。

前述のように、プロテストソングとしての評価は高く、先輩の小室等は、「岡林、よくぞ歌ってくれた」と『昭和は輝いていた』で絶賛していた。ただし、フォークの神様の称号が、一人歩きする苦悩も垣間見たという。

便利や快適さへの懸念[編集]

便利や快適さを追い求めることに対しての危惧については、様々な著書で訴えている[17]。京都の過疎地区で暮らした際に、自然農法を始めたのもそれで、化学肥料、農薬による弊害、機械による農業への否定などから、自分でどうにか自然農法の、無農薬、有機肥料を使った農法をやってみたかった。現在は、化学肥料も完全否定ではなく、農薬は極力使わないにして、化学肥料もタイミングを見計らって少量だけ使っている[18]

動物[編集]

元々動物好きで、小さい頃はを買っていたが、50を過ぎた辺りでテレビで鳩が登場する番組があり、それを見てからまた鳩を飼いたくなり、34年ぶりに鳩小屋を作ってドイツ鳩を飼い始めた[19]

金魚も長年飼っており、金魚の歴史についても詳しい[20]

日曜大工[編集]

京都の山奥の農村で暮らしていた頃から、日曜大工が好きで、それは今でも続いている。特に酒をやめてからは、以前に増して日曜大工をする時間が増え、テーブルや椅子を作りすぎて、「置き場所がない、邪魔になる」と奥さんに怒られたりもしている[21]

[編集]

昔はコンサートの後、店でさんざん呑んだ後、「ホテルに帰ったら、俺の部屋に集合!」と号令をかけるほどお酒好きで、あのC.W.ニコルが「岡林はバケモノだ」と驚くほどの酒豪だったが、年を取っても若い頃と同じ量の酒を呑んでおり、段々と体にこたえるようになり、今はやめている[22][21]。おかげで、コンサートでも以前より声が出るようになったと周りから言われ、もう酒飲みには戻れないと言っている[22]。「それぐらい強い俺が、ひばりさんの前では子どもだよ」と例えるほど、美空ひばりは酒に強かったという[22]。酒をやめたら人生の楽しみが消えるんじゃないかと心配していたが、前述のように、日曜大工が楽しくて、体がいくつあっても足りなくなるほど忙しくなった[21]

小室哲哉の5億円詐欺事件[編集]

小室哲哉が逮捕された「5億円詐欺事件」からは、多くを学んだという。彼も最初は「いい歌ができた」という達成感が大きな喜びだったのに、いつの間にかたくさん売れるということが目的にすり変わっていった。考えたら、エンヤトットは売れないじゃないかと地団駄を踏んでいる自分も小室君と同じじゃないか。だから評価や売れることを目的にするのはやめようと思った[23]

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

発売日 規格 規格品番 タイトル
ビクターレコード
1968年5月 (1968-05)[注釈 1] EP SV-1019 A ほんじゃまあおじゃまします
B 山谷ブルース
1968年9月5日 (1968-09-05) EP SV-1028 A 山谷ブルース
B 友よ
1969年3月5日 (1969-03-05) EP SV-1043 A 流れ者
B チューリップのアップリケ
1970年2月15日 (1970-02-15) EP SV-1080 A 私たちの望むものは
B 性と文化の革命
1971年6月5日 (1971-06-05) EP SF-1 A もずが枯木で
B お父帰れや
1971年10月5日 (1971-10-05) EP SF-12 A 山谷ブルース
B 流れ者
1971年10月5日 (1971-10-05) EP SF-13 A チューリップのアップリケ
B 私たちの望むものは
1971年11月5日 (1971-11-05) EP SF-14 A ゆきどまりのどっちらけ
B つばめ
URCレコード
1969年8月1日 (1969-08-01) EP URS-0003 A くそくらえ節
B がいこつの唄
1970年5月 (1970-05) EP URS-0017 A それで自由になったのかい(1970年8月9日全日本フォークジャンボリー実況録音)
B 手紙
1970年5月20日 (1970-05-20) EP URS-0028 A 愛する人へ
B ラブ・ゼネレーション
1970年10月5日 (1970-10-05) EP URS-0029 A だからここに来た
B コペルニクス的転回のすすめ
1971年2月20日 (1971-02-20) EP URT-0050 A 家は出たけれど
B 君を待っている
1971年3月5日 (1971-03-05) EP URT-0052 A 自由への長い旅
B 今日をこえて
1971年4月25日 (1971-04-25) EP URT-0053 A 手紙
B それで自由になったのかい(1970年8月9日全日本フォークジャンボリー実況録音)
1971年6月25日 (1971-06-25) EP URT-0056 A 俺らいちぬけた
B 申し訳ないが気分がいい
1971年8月25日 (1971-08-25) EP URT-0065 A 墜ちた鳥のバラード
B いくいくお花ちゃん
1972年1月1日 (1972-01-01) EP URO-1001[注釈 2] A 大ダイジェスト版 三億円強奪事件の唄[注釈 3]
B 砂漠[注釈 4]
CBS・ソニー
1973年11月21日 (1973-11-21) EP SOLB-86 A 26ばんめの秋
B あの娘と遠くまで
1975年1月21日 (1975-01-21) EP SOLB-208 A 誰ぞこの子に愛の手を
B 怪人二十面相を追いつめろ
日本コロムビア
1975年8月25日 (1975-08-25) EP CD-252 A 青い月夜の散歩道
B うつし絵へのひとり言
1975年10月5日 (1975-10-05) EP CD-263 A わかれ雨
B 橋〜実録仁義なき寄合い
1977年6月20日 (1977-06-20) EP LK-38-A A からっぽの唄
B 五年ぶり
1978年10月4日 (1978-10-04) EP LK-84-A A 淋しき街角
B ミッドナイ・トレイン
ビクターレコード
1979年9月25日 (1979-09-25) EP VIH-1059 A Good-bye My Darling
B 遠い朝
1980年4月21日 (1980-04-21) EP VIH-1084 A Gの祈り
B 君に捧げるラブソング
1980年11月5日 (1980-11-05) EP VIH-1525 A ダンスマン
B ミス・ベンリー
1982年4月5日 (1982-04-05) EP VIH-1570 A ラスト・モーニング
B たそがれの20世紀
日本コロムビア
1988年11月1日 (1988-11-01) EP AH-991 A ペンノレ(日本語版)
B ペンノレ(韓国語版)
東芝EMI
1989年9月1日 (1989-09-01) EP PRT-1480 A Dance Music
B 君に捧げる Love Song '90
1996年4月17日 (1996-04-17) 8cmCD TODT-3699 1 祈りの朝
2 祈りの朝(ゴスペススタイル)
3 祈りの朝(ソロ)
日本クラウン
1998年1月21日 (1998-01-21) 8cmCD CRSN-525 1 風詩
2 乱の舟唄
EMIミュージック・ジャパン
2010年5月12日 (2010-05-12) CD TOCT-22355 1 レクイエム〜麦畑のひばり
2 山谷ブルース
3 悲しき口笛
4 お祭りマンボ
自主制作盤
2012年5月23日 (2012-05-23) CD ON-1 1 さよならひとつ
2 遥かなるこの旅を
3 さくら雨の朝に

アルバム[編集]

オリジナル・アルバム[編集]

発売日 規格 規格品番 アルバム
URCレコード
1969年8月1日 (1969-08-01) LP URL-1007 わたしを断罪せよ 岡林信康フォーク・アルバム第一集
1970年6月1日 (1970-06-01) LP URG-4001 岡林信康アルバム第二集 見るまえに跳べ
1971年8月1日 (1971-08-01) LP URG-4008 岡林信康アルバム第3集 俺ら いちぬけた
CBS・ソニー
1973年11月1日 (1973-11-01) LP SOLL-52 金色のライオン
1975年1月20日 (1975-01-20) LP SOLL-118 誰ぞこの子に愛の手を
日本コロムビア
1975年7月25日 (1975-07-25) LP CD-7140 うつし絵
1977年4月25日 (1977-04-25) LP LX-7015 ラブソングス
1978年9月25日 (1978-09-25) LP LX-7050 セレナーデ
インビテーション / ビクター
1979年10月25日 (1979-10-25) LP VIH-6057 街はステキなカーニバル
1980年10月21日 (1980-10-21) LP VIH-28021 ストーム
1981年11月21日 (1981-11-21) LP VIH-28059 GRAFFITI
自主制作
1987年 (1987) カセットテープ BMT-0001 エンヤトットでDancing!!
東芝EMI / イーストワールド
1990年4月18日 (1990-04-18) CD TOCT-5661 ベア・ナックル・ミュージック
2009年5月13日 (2009-05-13) CD(紙ジャケット) TOCT-26813
1991年 (1991)7月12日 CD TOCT-6199 信康
2009年5月13日 (2009-05-13) CD(紙ジャケット) TOCT-26814
1992年10月 (1992-10)28日 CD TOCT-6794 メイド・イン・ジャパン
2009年5月13日 (2009-05-13) CD(紙ジャケット) TOCT-26815
日本クラウン
1998年1月21日 (1998-01-21) CD CRCN-20202 風詩
2009年5月13日 (2009-05-13) CD(紙ジャケット) CRCP-20436

ライヴ・アルバム[編集]

発売日 レーベル 規格 規格品番 アルバム 備考
1969年6月 (1969-06) URCレコード LP URL-1003
  • 休みの国/岡林信康リサイタル
  • 現:あんぐら音楽祭 岡林信康リサイタル
  • 1969年3月29日 (1969-03-29) 神田共立講堂
片面は「休みの国」で、片面は岡林信康
1979年1月25日 (1979-01-25) SMS Records LP SM38-4005 URLレコード版の岡林信康に曲数を大幅アップして、「幻のフォークライブ傑作集 岡林信康ファースト・コンサート」として発売
2008年10月24日 (2008-10-24) FUJI CD FJ-1004〜1005 2008年 (2008)デジタルリマスター盤、「アメリカちゃん」「We Shall Overcome〜友よ」の2曲を追加収録
2013年3月20日 (2013-03-20) FUJI CD ONL-1004 2008年 (2008)デジタルリマスター音源使用
1970年8月 (1970-08) URCレコード カセットテープ URCT-10001 私たちの望むものは 音楽舎春場所実況録音 1970年4月12日 (1970-04-12)・24日 文京公会堂・渋谷公会堂
2009年3月20日 (2009-03-20) FUJI CD FJ-1015 2009年デジタルリマスター盤
2013年3月20日 (2013-03-20) FUJI CD ONL-1015 2013年 (2013)デジタルリマスター盤
1971年2月 (1971-02) URCレコード LP URL-1016〜7
  • 岡林信康コンサート
  • 1970年12月1日 (1970-12-01) 神田共立講堂
2008年10月24日 (2008-10-24) FUJI CD FJ-1006
2013年3月20日 (2013-03-20) FUJI CD ONL-1006 2013年 (2013)デジタルリマスター盤
1971年11月 (1971-11)20日 URCレコード LP URL-1019〜21
  • 岡林信康自作自演コンサート 狂い咲き
  • 1971年7月28日 (1971-07-28) 日比谷野外音楽堂
1992年12月2日 (1992-12-02) 東芝EMI CD TOCT-6874 「ヘライデ」未収録
2008年10月24日 (2008-10-24) FUJI CD FJ-1008 2008年 (2008)デジタルリマスター盤、「ヘライデ」収録の完全版
2013年3月20日 (2013-03-20) FUJI CD ONL-1008 2013年 (2013)デジタルリマスター盤、「ヘライデ」収録の完全版
1972年 (1972)3月 ビクターレコード LP SF-1017 岡林信康オンステージ 日比谷大音楽堂”狂い咲きコンサート・ライブ” URCレコードから出した同LIVEより、12曲をピックアップしたもの
1975年11月 (1975-11) ビクターレコード LP SF-10012
1974年 (1974)6月1日 CBS・ソニー LP SOLJ-95、96 1973PM9:00→1974AM3:00
1979年1月25日 (1979-01-25) SMS Records LP SM38-4005 岡林信康 ファースト・コンサート ”MOVEMENT”
1979年2月25日 (1979-02-25) SMS Records LP SM22-4009 岡林信康ライブ with はっぴいえんど
1979年5月25日 (1979-05-25) SMS Records LP SM22-4017
  • 岡林信康ライブ 中津川フォーク・ジャンボリー
  • 1970年8月8日 (1970-08-08)-9日 1971年8月7日 (1971-08-07)-9日 岐阜県中津川
2008年12月19日 (2008-12-19) FUJI CD FJ-1011
2013年3月20日 (2013-03-20) FUJI CD ONL-1011 2013年 (2013)デジタルリマスター盤
1979年11月25日 SMS Records LP SM22-4024
  • '70岡林信康ロックコンサート
  • 現タイトル:岡林信康ろっくコンサート
  • 1970年10月9日 (1970-10-09) 日比谷野外音楽堂
2008年12月19日 (2008-12-19) FUJI CD FJ-1012 2008年 (2008)デジタルリマスター盤、「コペルニクス的転回のすすめ」収録
2013年3月20日 (2013-03-20) FUJI CD ONL-1012 2013年 (2013)デジタルリマスター盤、「コペルニクス的転回のすすめ」収録
1979年12月21日 (1979-12-21) SMS Records LP SM22-4029
  • '70岡林信康ロックコンサートPartⅡ
  • 現タイトル:岡林信康壮行会
  • 1970年4月24日 (1970-04-24) 渋谷公会堂
2008年12月19日 (2008-12-19) FUJI CD FJ-1013 2008年 (2008)デジタルリマスター盤
2013年3月20日 (2013-03-20) FUJI CD ONL-1013 2013年 (2013)デジタルリマスター盤
1980年8月21日 (1980-08-21) ビクターレコード LP VIH-28011 GOOD EVENING 岡林信康LIVE!
1995年7月5日 (1995-07-05) ビクターレコード CD VICL-18200
2008年5月21日 (2008-05-21) ビクターレコード CD(紙ジャケ) VICL-62564 2007年 (2007)デジタルリマスター盤
1993年9月8日 (1993-09-08) 東芝EMI CD TOCT-8155 岡蒸気
2009年5月13日 (2009-05-13) ユニバーサルミュージック CD(紙ジャケ) TOCT-26816
2009年3月20日 (2009-03-20) FUJI CD ONL-1018 岡林信康ライブ レアトラックス 2009年 (2009)デジタルリマスター盤
2009年9月12日 (2009-09-12) 岡林信康レーベル CD OK-005 岡林信康リサイタル 中野サンプラザ・1975 初音源化、2013年 (2013)デジタルリマスター盤
2010年11月10日 (2010-11-10) 岡林信康レーベル CD OK-006 ロックミュージック
2014年11月19日 (2014-11-19) FUJI CD ONL-5 ライブ45周年記念 2013/12/14 日比谷公会堂
2019年7月24日 (2019-07-24) FUJI CD ONL-12 岡林信康デビュー50周年記念コンサート

セルフカバー・アルバム[編集]

発売日 レーベル 規格 規格品番 アルバム 備考
1976年7月25日 (1976-07-25) 日本コロムビア LP LZ-7001-02 岡林信康ベスト・アルバム
1994年5月21日 (1994-05-21) 日本コロムビア CD COCA-11604
2009年2月18日 (2009-02-18) 日本コロムビア CD(紙ジャケ) COCP-35451 12ページ写真集をCDサイズで復刻添付。
2009年2月21日 (2009-02-21) 岡林信康レーベル CD OK-1 歌祭り
2009年2月21日 (2009-02-21) 岡林信康レーベル CD OK-2 歌祭りセカンド
2009年2月21日 (2009-02-21) 岡林信康レーベル CD OK-3 歌祭りサード
2013年5月5日 (2013-05-05) FUJI CD ONL-1 アナザー・サイド・オブ・オカバヤシ〜岡林信康、吉岡治を歌う
2018年9月5日 (2018-09-05) FUJI LP ONLR-11 森羅十二象
FUJI CD ONL-11

ベスト・アルバム[編集]

発売日 レーベル 規格 規格品番 アルバム 備考
1971年6月5日 (1971-06-05) ビクターレコード LP SF-1001 岡林信康の世界 第2集
1975年11月 (1975-11) ビクターレコード LP SF-10001
1971年7月5日 (1971-07-05) ビクターレコード LP SF-1002 岡林信康の世界 第1集
1975年11月 (1975-11) ビクターレコード LP SF-10002
1972年10月 (1972-10) ビクターレコード LP SF-5009-10 岡林信康ベスト・コレクション
1975年12月 (1975-12) URCレコード LP URH-5002 大いなる遺産
2008年12月19日 (2008-12-19) FUJI CD FJ-1014 2008年 (2008)デジタルリマスター盤
2013年3月20日 (2013-03-20) FUJI CD ONL-1014 2013年 (2013)デジタルリマスター盤
1976年1月 ビクターレコード LP DX-10034 ザ・ワースト・オブ岡林信康
1979年11月25日 (1979-11-25) 日本コロムビア LP LA-7078 航跡
1982年9月5日 インビテーション / ビクター LP VIH-28093 岡林信康Vol.1
1982年9月5日 インビテーション / ビクター LP VIH-28094 岡林信康Vol.2
1986年4月21日 ビクターレコード LP VDR-5051 岡林信康ベスト・コレクション
1987年 (1987) 自主制作 カセットテープ T-200755
  • 岡林信康 ベストコレクション Vol.1
  • 現タイトル:岡林信康 ベストコレクション
2017年9月6日 (2017-09-06) FUJI CD ONL-10
2009年2月21日 (2009-02-21) 岡林信康レーベル CD OKBYS 御歌囃子参上!! 岡林信康エンヤトットミュージック ベストコレクション
2009年3月20日 (2009-03-20) FUJI CD(紙ジャケ) FJ-1016 岡林信康URCシングル集 2009年 (2009)デジタルリマスター盤、ボーナス・トラック8曲入
2013年3月20日 (2013-03-20) FUJI CD ONL-1016 2013年 (2013)デジタルリマスター盤、ボーナス・トラック8曲入
2013年5月15日 (2013-05-15) FUJI CD ONL-2 岡林四十五景〜デビュー45周年記念ベスト盤
2015年9月9日 (2015-09-09) FUJI CD ONL-8 弾き語り フォーク作品集

オムニバス・アルバム[編集]

発売日 レーベル 規格 規格品番 アルバム 備考
1969年10月 URCレコード LP URL-1005~06 第4回フォーク・キャンプ・コンサート
1970年10月5日 ビクターレコード LP SJV-477~78 第2回全日本フォーク・ジャンボリー
1970年10月10日 キングレコード LP KR-7018~19 自然と音楽の48時間
1971年10月10日 キングレコード LP SKK-712~13 自然と音楽の72時間
1971年10月25日 ビクターレコード LP SF-1013 '71全日本フォーク・ジャンボリー第二集
1972年10月25日 URCレコード LP URL-1028~30 ゲームは終わり 五つの赤い風船名義
1974年 HEM LP KILS-2009 29通の手紙 朗読で参加
1979年12月21日 SMS Rrecords LP SM38-4035~36 '69第一回中津川フォーク・ジャンボリー

企画・アルバム[編集]

  • レクイエム〜我が心の美空ひばり(2010年1月20日 (2010-01-20)、ユニバーサルミュージック、TOCT-26935)  – 美空ひばりのカバーアルバム。

ボックス・セット[編集]

  • 岡林信康withはっぴいえんど 7インチBOX(2018年7月25日 (2018-07-25)、FUJI)  – 岡林信康がはっぴいえんどと共にURC時代にシングル盤としてリリースしたシングルを収納した限定7インチBOXセット。ボーナス・レコードとして、はっぴいえんどとの最後のスタジオ録音となった「私たちの望むものは」を加えた6枚組。

ビデオ[編集]

発売日 レーベル 規格 規格品番 タイトル
1991年10月27日 東芝EMI VHS TOVF-1171 今夜は朝まで踊りましょ

1993年5月22日 平塚市民センター、7月25日 真宗大谷派名古屋別院、モンゴル・中国での模様を収録。

2013年12月11日 ユニバーサル ミュージック DVD TYBN-10006
1994年11月28日 リットーミュージック VHS RMFR-002 日本ロック映像全集 Vol.2
2007年1月24日 ビクターエンタテインメント DVD VIBY-269 NHK映像歌年鑑 ~そういえばあの時この歌~ 1968-1969
2009年8月21日 NHKエンタープライズ DVD NSDS-13534 BS永遠の音楽 大集合!青春フォークソング
2010年12月15日 ポニー・キャニオン DVD PCBP-11993 だからここに来た! -全日本フォーク・ジャンボリーの記録-
2011年11月23日 松竹 DVD DB-5555 映画 きつね

関連ミュージシャン[編集]

URC時代[編集]

バックバンド[編集]

岡林が影響を受けた人物[編集]

岡林から影響を受けた人物[編集]

楽曲提供[編集]

カバーされた曲[編集]

主な出演[編集]

テレビドラマ[編集]

バラエティ番組[編集]

映画[編集]

CM[編集]

書籍[編集]

自著[編集]

  • 『フォーク・キャンプ監修 フォークは未来をひらく―民衆がつくる民衆のうた』(1969年・社会新報)- 高石友也中川五郎との共著
  • 『岡林信康の村日記』(1982年・講談社・ISBN 978-4062002608)
  • 『かんとりーソングス』(1984年・芸文社・ISBN 978-4874651490)- 巻末に、糸井重里との対談
  • 『ぼくの歌の旅―ベアナックルレヴュー道中記』(1987年・晶文社・ISBN 978-4794950703)
  • 『伝説 岡林信康』(1991年・小学館・ISBN 978-4093633819 → 2009年・増補改訂新装版・白夜書房・ISBN 978-4777102365)
  • 『バンザイなこっちゃ!』(2005年・ゴマブックス・ISBN 978-4777102365)
  • 『ぼくの村は美しい国 竜太の日記 [We love childrenアーティストによる絵本シリーズ 5]』(2007年・ランダムハウス講談社・ISBN 978-4270002216)
  • 『岡林、信康を語る』(2011年・DISK UNION・ISBN 978-4925064415)

解説書等[編集]

  • 『岡林信康読本(CDジャーナル・ムック)』(2010年・音楽出版社・ISBN 978-4861710667)

岡林信康について書かれている本[編集]

  • 『山谷キューバフォーク』(1979年3月20日・田頭道登著・三友会出版)
  • 『岡林信康黙示録』(1980年8月1日・田頭道登著・三友会出版)- 山谷で知り合った田頭道登と岡林信康との手紙のやり取りを中心とした本。蒸発後の岡林と秦政明(高石事務所社長)とのやり取りも掲載されている。
  • 『日本フォーク私的大全』(なぎら健壱著・1995年・筑摩書房、1999年・ちくま文庫)

参考文献[編集]

  • James Dorsey, “Breaking Records: Media, Censorship, and the Folk Song Movement of Japan’s 1960s.” In Asian Popular Culture: New, Hybrid, and Alternate Media, ed. John A. Lent and Lorna Fitzsimmons. Lanham, MD: Lexington Books, 2013, pp. 79〜107.

関連項目[編集]

  • 愛という名のもとに  – 1992年に放送された、フジテレビのテレビドラマ。「友よ」「私たちの望むものは」が挿入歌として使用された。
  • 僕たちの好きだった革命  – 2007年に上演され、2009年に再演もされた、KOKAMI@networkの舞台作品。「私たちの望むものは」の一部が挿入歌として使用された。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 発売中止。
  2. ^ URCレコードから非売品として出たお年玉規格レコード。
  3. ^ 高田渡の歌に、岡林信康が合いの手を入れている。
  4. ^ 歌:西岡たかし

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k サンデー毎日、1982年1月3日、10日号44-47頁
  2. ^ a b c d 週刊文春、2011年9月8日号、94-97頁
  3. ^ a b c d e 「バンザイなこっちゃ!」岡林信康著、ゴマブックス、2005年10月20日、ISBN-10: 477710236X、ISBN-13: 978-4777102365、88-96頁
  4. ^ 文化遺産オンライン 日本基督教団近江金田教会礼拝堂、文化庁、2020年4月27日閲覧。
  5. ^ http://www.warewaredan.com/folk01.html
  6. ^ a b 「伝説 信康」岡林信康、小学館、1991年7月、ISBN-10: 4093633819、ISBN-13: 978-4093633819、47頁
  7. ^ a b c d 「伝説 信康」岡林信康、小学館、1991年7月、ISBN-10: 4093633819、ISBN-13: 978-4093633819、75-77頁
  8. ^ a b 『村日記』岡林信康著、講談社、1982年、164-171頁
  9. ^ a b 「伝説 信康」岡林信康、小学館、1991年7月、ISBN-10: 4093633819、ISBN-13: 978-4093633819、88-89頁
  10. ^ a b 『村日記』岡林信康著、講談社、1982年、178-190頁
  11. ^ 【岡林信康】引き出しから奇跡の新曲 美空ひばりからの手紙35年ぶり息吹
  12. ^ a b c d 「伝説 信康」岡林信康、小学館、1991年7月、ISBN-10: 4093633819、ISBN-13: 978-4093633819、125-131頁
  13. ^ 『村日記』岡林信康著、講談社、1982年、236-237頁
  14. ^ a b 山口隆著『叱り叱られ』
  15. ^ 「バンザイなこっちゃ!」岡林信康著、ゴマブックス、2005年10月20日、ISBN-10: 477710236X、ISBN-13: 978-4777102365、60-61頁
  16. ^ 『岡林、信康を語る』岡林信康、ディスクユニオン、2011年7月13日発行、25頁。
  17. ^ 『岡林、信康を語る』disk UNION、2011年7月13日発行、192-197頁。
  18. ^ 『岡林、信康を語る』disk UNION、2011年7月13日発行、254-258頁。
  19. ^ 『岡林、信康を語る』岡林信康、ディスクユニオン、2011年7月13日発行、215-237頁。
  20. ^ 『岡林、信康を語る』岡林信康、ディスクユニオン、2011年7月13日発行、237-240頁。
  21. ^ a b c 「バンザイなこっちゃ!」岡林信康著、ゴマブックス、2005年10月20日、ISBN-10: 477710236X、ISBN-13: 978-4777102365、201-206頁
  22. ^ a b c 『岡林、信康を語る』岡林信康、ディスクユニオン、2011年7月13日発行、261-264頁。
  23. ^ 『岡林、信康を語る』岡林信康、ディスクユニオン、2011年7月13日発行、163-164頁。