岡越前守

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岡 越前守(おか えちぜんのかみ、? - 元和元年7月29日[1]1615年9月21日))は安土桃山時代から江戸時代の武将。諱は貞綱で、岡貞綱備前宇喜多氏の家臣。父は岡豊前守(家利 / 利勝)。子に岡平内。九郎右衛門?。越前守。

宇喜多直家の小姓として寵愛された岡剛介(清三郎)との関係は不明。

直家の子の宇喜多秀家に、父の没後、重臣として仕えたが、1599年宇喜多氏においてお家騒動が起こると秀家と対立して出奔し、徳川家康に仕えた。

1614年に子の平内がキリスト教禁教令で追放された原胤信を匿っていた罪に問われて改易となり、越前守も平内を勘当することにより幕府から赦免されている[2]。しかし、平内は舅の明石全登を頼って大坂城に入城する。

このことにより内通を疑われたようで大坂城落城後に死罪となり、京都妙顕寺で切腹した[3]。子の平内も殺害され、梟首となった[4]

脚注[編集]

  1. ^ 『寛政重修諸家譜』では7月6日。
  2. ^ 『駿府記』、慶長19年9月19日。
  3. ^ 『駿府記』、元和元年7月29日。
  4. ^ 『駿府記』、同。『寛政重修諸家譜』では江戸にて切腹。