岡野 (横浜市)
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岡野 | |
---|---|
![]() 岡野公園 | |
北緯35度27分44.1秒 東経139度36分48.7秒 / 北緯35.462250度 東経139.613528度 | |
国 |
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都道府県 |
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市町村 |
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区 | 西区 |
面積 | |
• 合計 | 0.250km2 |
人口 | |
• 合計 | 3,645人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
220-0073[3] |
市外局番 | 045 (横浜MA)[4] |
ナンバープレート | 横浜 |
岡野(おかの)は神奈川県横浜市西区の町名[5]。現行行政地名は岡野一丁目及び岡野二丁目で、住居表示は実施済み区域[6]。郵便番号は220-0073[3]。
地理[編集]

西区の西部に位置し、北東は県道横浜生田線(新横浜通り)を挟み南幸、南東は帷子川を挟み西平沼町に接する。新田間川を挟んで南西は南浅間町、西から北西にかけて浅間町に接する。帷子川には上流側から沼野橋、平岡橋、元平沼橋および平沼橋、新田間川には烏帽子田橋、藤江橋、霜下橋、浅岡橋、岡野橋、新田間橋が架かる[5]。平岡橋と岡野橋を結ぶ通りの東が一丁目、西が二丁目となる。一丁目には神奈川県立横浜平沼高等学校と、その北東に横浜市西公会堂がある。新横浜通り沿いは横浜駅西口の繁華街に近く、商店や飲食店が多い。二丁目中央部には区内で唯一の野球場やプールなどを備えた岡野公園があり[7]、その北側に岡野福祉会館、横浜市立岡野中学校、西側には横浜川崎治水事務所などが入る横浜西合同庁舎[8]や、古河電気工業横浜事業所、研究所等がある。研究所の敷地の一部には2011年11月30日にサミットストアが開店[9][10]。同社グループの古河電工パワーシステムズの事業所は、2016年11月に海老名市に移転した[11]。
平岡橋を渡った先の西平沼町には相鉄本線平沼橋駅があり、朝夕は平沼高校の通学路としてにぎわう[12]。横浜駅西口から西公会堂付近までは、徒歩で10分ほどである[13]。新横浜通り上の岡野町バス停からは、横浜駅西口から三ツ沢や洪福寺方面、保土ケ谷車庫前から市庁前・本牧を経由して根岸駅を結ぶ路線などが運行されている。
面積[編集]
面積は以下の通りである[1]。
町丁 | 面積(km2) |
---|---|
岡野一丁目 | 0.103 |
岡野二丁目 | 0.147 |
計 | 0.250 |
地価[編集]
住宅地の地価は、2017年(平成29年)1月1日の公示地価によれば、岡野2-17-15の地点で32万円/m2となっている[14]。
歴史[編集]
かつては帷子川河口の湿地帯で、現在の町域のうち南西端の一部は1786年(天明6年)に「藤江茂右衛門」により開拓された藤江新田、残る大半の部分はその後開拓された岡野新田が元になっている。程ヶ谷宿の金物商であった岡野勘四郎良親は、藤江新田を引き継ぐ形で1833年(天保4年)より当地の新田開拓を始める。しかしその3年後、良親は41歳で死去。良親の息子で、当時6歳であった良哉が事業を受け継ぎ1850年(嘉永3年)に完成させた。岡野新田は、岡野の屋号が「鍋屋」であったことから鍋屋新田とも呼ばれた[15]。1859年(安政6年)の横浜港開港の際には、新田の縁に横浜道(現在の新横浜通りに相当)が開通した。1873年(明治6年)、街並みの整ったところに千歳町、新玉町、岡野町を新設。1889年4月1日には町村制の施行により、神戸町、岩間町、帷子町、旧保土ケ谷町と合併して橘樹郡保土ケ谷町が成立、当地は保土ケ谷町大字岡野新田となる[16]。1896年には、良哉の長男の岡野欣之助により神奈川県農事試験場が誘致され、さらに1900年には欣之助は神奈川県立高等女学校に土地と寄宿舎を寄付した[15]。県農事試験場は1908年に保土ケ谷町に移転。その後の再編により、現在は平塚市にある農業技術センターが後継機関となり[17]、岡野町の農事試験場跡地は岡野公園となっている。高等女学校は1950年に共学化され、神奈川県立横浜平沼高等学校に改称した[18]。1901年(明治34年)には保土ケ谷町大字岡野新田は横浜市に編入され、横浜市岡野町となる[16]。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災では、家屋の焼失などの被害が多数発生した。同月には町内に済生会神奈川県病院が新設された(1949年に神奈川区富家町に移転)[19]。1927年(昭和2年)10月1日の区制施行の際には神奈川区の一部となった。1936年には岡野町と浅間町の各一部から南浅間町が新設された。1943年(昭和18年)12月1日には神奈川区から中区に編入され、1944年(昭和19年)4月1日中区から西区が新設された際には西区に編入された。1965年7月1日には西平沼町の一部と岡野町から岡野一・二丁目が新設されるとともに一部が南幸二丁目・浅間町・南浅間町となり、岡野町の町名は廃止された。1982年(昭和57年)には、横浜ゴルフサロン跡に横浜市西公会堂が開館した[19]。
世帯数と人口[編集]
2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
岡野一丁目 | 768世帯 | 1,296人 |
岡野二丁目 | 1,348世帯 | 2,349人 |
計 | 2,116世帯 | 3,645人 |
小・中学校の学区[編集]
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[20]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
岡野一丁目 | 全域 | 横浜市立平沼小学校 | 横浜市立岡野中学校 |
岡野二丁目 | 全域 |
施設[編集]
- 神奈川県立横浜平沼高等学校
- 横浜市立岡野中学校
- 横浜市西公会堂
- 横浜市西地区センター
- 岡野公園
- 岡野神社
- サミットストア
脚注[編集]
- ^ a b “横浜市町区域要覧”. 横浜市 (2016年3月31日). 2018年1月24日閲覧。
- ^ a b “横浜の人口 - 登録者数(市・区・町・外国人) - 町丁別世帯と男女別人口”. 横浜市 (2017年12月31日). 2018年1月24日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月23日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月23日閲覧。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』p1023
- ^ “横浜市西区の町名一覧 (PDF)”. 横浜市市民局 (2016年10月17日). 2017年3月5日閲覧。
- ^ “西区の公園 > 岡野公園”. 横浜市西区役所 (2011年4月1日). 2017年3月13日閲覧。
- ^ “横浜川崎治水事務所へのアクセス”. 神奈川県 横浜川崎治水事務所 (2017年2月9日). 2017年3月13日閲覧。
- ^ “サミットストア「横浜岡野店」開店のお知らせ” (PDF) (プレスリリース), サミット株式会社広報室, (2011年11月16日) 2017年3月13日閲覧。
- ^ “古河電工が横浜事業所の敷地の一部を売却へ/横浜”. 神奈川新聞カナロコ. (2012年2月22日) 2017年3月13日閲覧。
- ^ “横浜事業所移転について” (プレスリリース), 古河電工パワーシステムズ, (2012年11月21日) 2017年3月13日閲覧。
- ^ “西区の橋”. 横浜市 西区役所 (2016年7月15日). 2017年4月5日閲覧。
- ^ “西公会堂”. 西区役所 地域振興課 (2016年12月9日). 2017年4月5日閲覧。
- ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ a b “岡野新田の開発に携わった岡野良親さんってどんな人?”. はまれぽ.com (2012年1月5日). 2017年3月13日閲覧。
- ^ a b 『町名#横浜の町名』p50
- ^ “農業技術センター沿革”. 神奈川県農業技術センター (2013年9月1日). 2017年3月15日閲覧。
- ^ “横浜平沼高等学校沿革”. 神奈川県立横浜平沼高等学校. 2017年3月15日閲覧。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』pp206-207
- ^ “小中学校等通学区域”. 横浜市 (2017年11月15日). 2018年1月24日閲覧。
参考文献[編集]
- 『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』角川書店、1984年6月8日。
- 横浜市市民局総務部住居表示課『横浜の町名』、1996年12月。
- 『県別マップル14 神奈川県道路地図』昭文社、2016年、第6版、12頁。ISBN 978-4-398-62683-7。
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