岩松義雄
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岩松 義雄 | |
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生誕 |
1886年5月3日![]() |
死没 | 1958年4月18日(71歳没) |
所属組織 |
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軍歴 | 1905 - 1942 |
最終階級 |
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岩松 義雄(いわまつ よしお、1886年(明治19年)5月3日[1][2] - 1958年(昭和33年)4月18日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴[編集]
旧尾張藩士・岩松義行の長男として生れる[1]。愛知一中、名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1905年3月、陸軍士官学校(17期)を卒業、翌月、陸軍少尉に任官し歩兵第10連隊付となる[1][3]。1918年11月、陸軍大学校(30期)を卒業した[1][4]。
歩兵第61連隊中隊長、参謀本部付勤務、参謀本部付(支那駐在)、参謀本部員(支那課)、参謀本部付(上海駐在)、参謀本部員、欧州出張、台湾歩兵第1連隊付、台湾歩兵第2連隊長、第5師団参謀長、参謀本部支那課長、参謀本部付(南京駐在)などを経て、1934年3月、陸軍少将に進級する[1][4]。
歩兵第21旅団長、台湾守備隊司令官などを歴任し、1937年8月、陸軍中将となった[1][2][4]。第1独立守備隊司令官を経て、第15師団長として中国で転戦[1][2]。中部防衛司令官、中部軍司令官を経て、第1軍司令官として中国で活動した[1][2][4]。1942年8月1日には軍事参議官[5]となり、同年12月、予備役に編入され、翌年12月、新民会最高顧問に就任した[1][2]。
栄典[編集]
家族親族[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。