島之内寄席

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
島之内教会

島之内寄席(しまのうちよせ)は、上方落語協会主催で1972年2月21日から続く、上方落語の定席寄席落語興行。

概要[編集]

1972年2月21日に上方落語協会会長であった6代目笑福亭松鶴発案の元に南区千年町(現・中央区東心斎橋)の島之内教会内に開場させる。すでに同教会で小劇場の上演を開催していた牧師の西原明の協力により実現したものであった[1]。教会での寄席の開催は1974年2月まで実施された[1]。第1回の直前に松鶴に入門し、最初から手伝いをした笑福亭鶴瓶は、「ぼくら、当時の若手はあそこで育ったンです。若い子が皆、<島之内寄席>へ行くのが『楽しみや!』って言いましたもン」と回想している[2]。所属事務所に関係なく噺家が集まれたことで、明石家さんまともそこで知り合うことができたという[2]

その後1974年4月に心斎橋ブラザーミシンビル、12月には船場センタービル地下のボウリング場1975年にはダイエー京橋店で「島之内京橋ダイエー亭」と題して続くも月3日興行に縮小、1984年4月に南区畳屋町にある料亭「暫」に移るも1987年にビル改装のため閉鎖、1987年に心斎橋のCBカレッジへ移り月1回に縮小、1993年天王寺一心寺シアター1996年ワッハ上方開館に伴いレッスンルームへ移転。2005年ワッハホールへと会場を移し、ワッハホールの閉館に伴い、2011年千日前TORII HALLに移転し、月1日興行ながら現在も続いている。

第1回目の演者と演目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 戸田学『上方落語の戦後史』岩波書店、2014年、pp.366 - 370
  2. ^ a b 戸田学(編)『六世笑福亭松鶴はなし』岩波書店、2004年、pp.21 - 22(「桂春団治師に聞く」)