島津久統

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
島津久統
Shimazu Hisanori.jpg
島津久統像
時代 江戸時代後期
生誕 安永10年(1781年
死没 天保5年7月9日1834年8月13日
改名 岩次郎(幼名)→久統
別名 石見(通称
戒名 仁量院殿智鑑達道大居士
墓所 宮崎県都城市都島町の都城島津家墓地
主君 島津斉興
薩摩藩都城私領主
氏族 都城島津家
父母 父:島津久倫、母:島津久亮の娘
兄弟 鉄袈裟(島津久謀室)、久統、熊八郎、
壮袈裟(島津久陸室)、於金(北郷久福室)、
資誠
正室:(島津久尹の娘)
継室:肝付兼満の娘
岩、久本、鶴(島津久寛正室)、資将

島津 久統(しまづ ひさのり)は、江戸時代後期の薩摩藩士。都城私領主である都城島津家23代当主。

生涯[編集]

安永10年(1781年)、22代当主島津久倫の嫡男に生まれる。寛政元年(1789年)、鹿児島城に於いて元服し、久統と名乗る。

文化9年(1812年)、宗家島津斉興の拝謝使として家老以下を随え江戸へ赴き、将軍徳川家斉に拝謁し、太刀、馬などを献上する。文政2年(1819年)、父久倫から家督を譲り受ける。同8年(1825年)、家臣を登用するにあたり格式よりも実力を重んじる旨を布告した。また、3代続けて職務に精励した家は家格を昇進させるが、職務を懈怠した家は持高および屋敷を没収する旨定めた。その他、家臣に対し常に文武を奨励するようたびたび通達を出している。

文政年間、前家老安山松巌を大和国河内国に派遣し、綿の栽培法を視察させ、また肥後国にも派遣し、養蚕を視察させ、領内に綿の栽培や養蚕を広めた。また、父久倫が着手した領内の地誌編纂事業の成果として『庄内地理志』全113巻が完成した。現在、102巻が現存しており、江戸時代後期の都城を知る貴重な史料となっている。

天保5年(1834年)、鹿児島にて54歳で死去。龍峰寺に葬られた。

参考文献[編集]

  • 瀬戸山計佐儀『都城島津家歴代史 全』三州文化社、1992年
  • 『都城市史』
  • 『都城盆地 史跡ガイドブック ①旧都城市編』南九州文化研究会、2014年