島津忠持

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
島津忠持
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 明和3年6月29日1766年8月4日
死没 天保2年1月26日1831年3月10日
改名 勝丸(幼名)、忠持
別名 又之進(通称
戒名 徳寿院殿前淡州刺吏仁誉崇興翫山大居士
墓所 宮崎県宮崎市佐土原町の高月院
官位 従五位下淡路守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治家斉
日向佐土原藩
氏族 島津氏
父母 島津久柄島津重豪義妹梅
兄弟 忠持、久充、久儔、久留島通同正室、
九鬼隆張正室、樺山久年室ら
雅姫
忠徹、小川久徳、久業
テンプレートを表示

島津 忠持(しまづ ただもち)は、日向国佐土原藩9代藩主。島津宗家の島津重豪の従弟であり、義理の甥である。幼名は勝丸。通称は又之進。官位は従五位下、淡路守。

生涯[編集]

明和3年(1766年)6月29日、第8代藩主・島津久柄の三男として生まれる。天明5年(1785年)5月23日、父の隠居により跡を継ぐ。寛政5年(1793年)に幕府に対して海防の意見書を出している。藩財政再建のために藩士の知行のうち半分を3ヵ年上納させた。また、藩士に崎門学派の儒者御牧直斎のもとで学ばせた。文化13年(1816年)、長男・忠徹に家督を譲って隠居した。文化14年4月、全国諸山での修行を終えた野田泉光院と会見する。天保2年(1831年)1月26日に死去した。享年66。

系譜[編集]