川上 優子(かわかみ ゆうこ、1975年8月1日 - )は、1990年代後半~2000年代初期に活躍した、元陸上競技(長距離走)女子選手。1996年アトランタオリンピック(7位入賞)と2000年シドニーオリンピック(10位)は共に女子10000m代表として出場した。
熊本県下益城郡松橋町(現宇城市)出身、熊本信愛女学院高校卒業、元沖電気工業(OKI、2009年3月末で廃部)所属。身長:152cm、体重:40kg
経歴[編集]
- ベスト記録 :
- 5000m 15分17秒34 国際グランプリ大阪大会 1997年6月10日
- 10000m 31分09秒46 ニューバランスメインディスタンスクラシック(米メーン州) 2000年7月1日
- ハーフマラソン 1時間09分38秒 全日本実業団ハーフマラソン 2002年3月10日
- マラソン 2時間34分09秒 名古屋国際女子マラソン 1999年3月14日
1996年6月、日本陸上競技選手権大会では女子10000mに出場。当時の日本新記録で優勝した鈴木博美に敗れたが2位に入り、この成績でアトランタオリンピック代表に選ばれた。
その後川上は、同年8月開催されたアトランタ五輪女子10000m本番の予選レースを通過。そして決勝レースでも、五輪初出場とは思えない積極的な走りを見せる。終盤に入ると、川上はさすがに苦しい表情になりながらも粘り強く走り続けた。結果、五輪メダル獲得には届かなかったものの、千葉真子の5位に次いで、川上も31分23秒23の記録で見事7位に食い込んだ(鈴木博美は16位で入賞ならず)。長距離トラック種目で日本女子選手が2人同時に入賞するのは、五輪史上初であった。
このシーズンはロードになっても好調は続き、全日本実業団女子駅伝では、最長の五区(11.6Km)を走り、先頭のリクルートの高橋尚子との40秒差を逆転し(35分56秒の区間新)、沖電気宮崎の初優勝に貢献した。
さらに、都道府県対抗女子駅伝では熊本県チームのアンカーとして、31分01秒の区間新で熊本の初優勝に花を添えた。この時の区間タイムは現在でも歴代2位のタイムである。
その後の大きな飛躍が期待され、10000Mのメダルも期待された。しかし、1997年シーズン中にケガをしてからは、好調を維持することができず伸び悩んだ。それでも、1998年バンコクアジア大会女子10000mでは、優勝を果たして金メダルを獲得。また1997年世界陸上アテネ大会女子5000m代表(15位)、1999年世界陸上セビリア大会女子10000m代表(12位)と、五輪以外の国際大会にも出場を果たしている。又駅伝競走などでも活躍し、1996年、1997年、1999年と12月に岐阜県で行われる全日本実業団対抗女子駅伝大会で、OKI(当時沖電気宮崎)の3度の総合優勝にも貢献した。
1999年3月、名古屋国際女子マラソンへ川上自身初めてフルマラソンに出走する。レース前半はペースメーカーのハイペースについていき、25km地点で先頭に立つも、その後は後続の選手に抜かれ2位に下がるとズルズルと後退し、後半は完全にスローダウン。ゴールタイムは2時間34分台で9位と平凡な成績に終わり、ゴール後本人曰く「もう死にました。地獄を見ました」とマラソンの難しさを痛感する。結局川上のフルマラソンはこの名古屋が最初で最後となった。
翌2000年4月、シドニーオリンピック女子10000mの選考会だった兵庫リレーカーニバルに出走。レース終盤は渋井陽子らとデッドヒートとなったが、最後の100mで川上が抜け出して優勝。アトランタに続く2大会連続の五輪出場を決めた。又同年7月はアメリカの大会で、女子10000mで当時鈴木博美の持つ日本記録を4年ぶりに更新した。
同年9月のシドニー五輪女子10000m本番でも前大会同様に予選レースを通過、決勝レースではメダルも期待されていた。しかし決勝は序盤から超高速なペースとなり、川上も含め日本女子3人は中盤付近で先頭集団から脱落。川上だけ辛うじて周回遅れは免れたがメダル争いに加われず、31分27秒44の記録で10位に終わり、アトランタに続く五輪連続入賞もならなかった(高橋千恵美は15位、弘山晴美は20位)。
シドニー五輪後は足腰の故障に泣き、出走予定レースの欠場や、ケガをおして出場するも不本意な成績が続いていた。2002年3月に山口県で行われた全日本実業団ハーフマラソンでは自己最高記録で優勝、復活の兆しを見せたが、長くは続かなかった。同年6月の日本陸上選手権でも不甲斐ない結果となり、同年9月に陸上競技選手としての現役引退を表明。当時の川上は27歳、まだ年齢的にもこれからという時の早過ぎる引退劇だった。引退会見時、川上のライバルとして頭角を現し始めた渋井陽子や福士加代子らに対して、「どこまでやれるか是非挑戦し続けて欲しい」と笑顔でエールを送っている。
1975年度生まれの同期では、陸上競技の長距離走・マラソン選手として活躍した日本女子選手は多い。川上と仲が良かった五輪代表の高橋千恵美と大島めぐみ、世界陸上代表の大南博美・敬美双子姉妹・小崎まり・橋本康子のほか、坂下奈穂美、赤木純子らがいた。
その後ゴルフアナリスト・加納徹也の指導の下、女子プロゴルファーを目指し特訓に専念した時期もあったが、現在では元オリンピック代表選手として、陸上競技の指導やマラソン大会のゲストランナー等も並行して活動中。
2018年4月、キヤノンアスリードクラブ九州のコーチを経て、2019年1月~キヤノンアスリードクラブ九州の監督に就任。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
全日本実業団女子駅伝5区区間賞 |
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1980年代 |
- 82 柏木千恵美(関西実業団)
- 83 北野昌世(旭化成)
- 84 熊野千景(京セラ)*
- 85 石田潔美(京セラA)*
- 86 井上ひとみ(三田工業)*
- 87 金刺貴子(三田工業)
- 88 石倉あゆみ(京セラ)*
- 89 有森裕子(リクルート)*
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1990年代 |
- 90 松本初美(ワコール)*
- 91 志水見千子(リクルート)
- 92 王秀婷 (東海銀行)
- 93 川崎麻衣子(天満屋)
- 94 片岡純子(富士銀行)*
- 95 岡本幸子(沖電気宮崎)*
- 96 川上優子(沖電気宮崎)*
- 97 エスタ・ワンジロ(日立)
- 98 高橋尚子(積水化学)
- 99 川上優子(沖電気宮崎)
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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- *は区間新、**は現行区間記録
- 1区
- 2区
- 3区
- 4区
- 5区
- 6区
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全国女子駅伝4区区間賞 |
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1980年代 |
- 83 立原立子(茨城・東海南中),北村伊津美(千葉・東葛飾高)
- 84 北村伊津美(千葉・雪印乳業)*
- 85 北村伊津美(千葉・雪印乳業)*
- 86 長谷川まゆみ(三重・白子中)*
- 87 椛島順子(京都・京セラ)*
- 88 岩本初美(京都・ワコール)
- 89 藤原恵(京都・ワコール)*
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1990年代 |
- 90 藤原恵(京都・ワコール)*
- 91 藤原恵(京都・ワコール)
- 92 加藤明子(京都・宇治高)
- 93 宮崎安澄(福岡・筑紫女学園高)
- 94 宮崎安澄(福岡・リクルート)
- 95 笠井宏美(京都・立命館宇治高)
- 96 川上優子(熊本・沖電気宮崎)
- 97 小島江美子(埼玉・埼玉栄高)*
- 98 竹元久美子(埼玉・NEC)
- 99 松岡理恵(兵庫・天満屋)
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2000年代 |
- 00 小崎まり(兵庫・ノーリツ)
- 01 阪田直子(京都・立命館宇治高)
- 02 坂本直子(岡山・天満屋)
- 03 五十嵐晴美(大阪・ダイハツ)
- 04 藤岡里奈(神奈川・パナソニックモバイル)
- 05 吉野恵(京都・京セラ)
- 06 小崎まり(京都・ノーリツ)*
- 07 樋口紀子(京都・立命館大)
- 08 小崎まり(京都・ノーリツ)
- 09 重友梨佐(岡山・天満屋)
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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- *は区間新、**は区間記録
- 1区
- 2区
- 3区
- 4区
- 5区
- 6区
- 7区
- 8区
- 9区
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全国女子駅伝9区区間賞 |
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1980年代 |
- 83 金子るみ子(東京・順天高)
- 84 佐々木七恵(岩手・ヱスビー食品)*
- 85 田崎裕子(鹿児島・京セラ)
- 86 小林良子(和歌山・住金化工)
- 87 荒木久美(鹿児島・京セラ)
- 88 松野明美(熊本・ニコニコドー)
- 89 朝比奈三代子(宮崎・旭化成)*
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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- *は区間新、**は区間記録
- 1区
- 2区
- 4区
- 5区
- 6区
- 7区
- 8区
- 9区
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