川内追廻

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川内追廻
多くの住民が移転して空き地だらけとなった追廻(大橋のそばから2008年5月撮影)
川内追廻の位置(仙台市中心部内)
川内追廻
川内追廻
川内追廻の位置(宮城県内)
川内追廻
川内追廻
川内追廻の位置
座標: 北緯38度15分23.21秒 東経140度51分32.77秒 / 北緯38.2564472度 東経140.8591028度 / 38.2564472; 140.8591028
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Miyagi Prefecture.svg 宮城県
市町村 Flag of Sendai, Miyagi.svg 仙台市
行政区 青葉区
人口 (2017年(平成29年)10月1日現在)[1]
 - 計 5人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 980-0863
市外局番 022[2]
ナンバープレート 仙台
画像外部リンク
川内追廻の写真
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昭和20年代前半撮影
当初は、画一的な仮設住宅が建設された。
昭和30年代後半撮影
当時一般的な瓦屋根の住宅に新改築された。
昭和30年代初期撮影
追廻公園の様子。
昭和51年(1976年)撮影の空中写真
昭和47年(1972年)の建築確認開始により、現代的な住宅への建て替えが進んだ。

川内追廻(かわうちおいまわし)は、宮城県仙台市青葉区にある地名(地図 - Google マップ)。仙台城本丸および三の丸の東側崖下、広瀬川右岸にあり、面積は約7ha[3]大橋西詰付近に接続する1本の市道[4]以外は袋小路となっている。

1950年代には約600世帯、約4000人が住んでいた[5]が、核家族化が進んだ平成に入る頃には600世帯弱ながら人口は約1/3まで減少した[1]青葉山公園整備事業を進める市の方針により、2015年(平成27年)時点で居住しているのは3世帯のみとなっている[5]

歴史[編集]

仙台城三の丸とは長沼を隔てた外側、広瀬川の内側にあたり、江戸時代には仙台城の防衛上重要な地であった。大橋の北西角にあたる北側が家臣の片倉家の仙台屋敷で、追廻はその南に続く南北に細長い地区であった。城に近い西側に馬場、その東隣に三つの厩、その隣に馬事にかかわる役人の屋敷が並んだ[6]

明治維新後、仙台城に第二師団が置かれると、建物が取り払われた。射撃場や練兵場、競馬場などとして利用された。1920年代には青葉軌道長町駅から通町駅まで川内追廻を通って電車を引く計画を立てたが、実現しなかった[要出典]

戦後住宅営団により仙台空襲で焼け出された市民や仙台村などからの引揚者を収容する仮設住宅が建設される。1948年(昭和23年)、営団が解散することが決定し、仙台市に住宅地の買取を打診したが拒否される。これにより、住人が営団から住宅を購入することとなった。しかし、仙台市が川内追廻地区を含む「青葉山公園整備計画」を1946年にすでに立てており、「もともと市有地であったところに、住宅営団が仮設住宅を建てたのだから、無償で返却されるべき」という立場を採ったため住人と対立が深まった。仙台市は整備計画を続行し、個別に住民と話し合いながら立ち退き料名目で土地の買取を進めインフラストラクチャー整備や住宅の建築確認申請を拒否していたため、電気、水道、道路補修等は自治会によって行われている。[要出典]

現在に至るまで住民と市の対立が続き、公園整備計画は遅れ、住宅の建築確認1972年(昭和47年)から認められるようになった[要出典]

その後仙台市は、宮城野区新田東北農政局に隣接する仙台政府倉庫の敷地を取得し、2009年(平成21年)から市営住宅を建設して集団移転先とする方針を決定。2015年度(平成27年度)に開業した仙台市地下鉄東西線国際センター駅から仙台城に至る途上にある追廻住宅跡地は、青葉山公園の「いこい・にぎわいゾーン」として再整備される予定[要出典]

年表[編集]

  • 1945年(昭和20年)
  • 1946年(昭和21年)
    • 11月11日、仙台市の戦災復興計画において、「追廻住宅」を含む当地(約22.5ha)が「仙台総合運動場」として都市計画決定(戦災復興院告示 第244号)[7][8][9]
    • 12月23日、住宅営団が閉鎖機関に指定せられ、同時に解散(以降は清算法人)[10]。これにより住宅営団の賃貸住宅だった「追廻住宅」では、建物は入居者に払下げられ、国有地である土地は東北財務局が管理して入居者と賃貸契約を結んだ[7]
    • 住民が公園計画を知らないまま建物を買い取らされたとして、公園計画に反対し「追廻住宅住民会議」を結成した[7]
  • 1952年(昭和27年)、住民が「追廻住宅親和会」を結成した[7]
  • 1953年(昭和28年)、「仙台総合運動場」が都市公園として開園[8]
  • 1955年(昭和30年)、「仙台総合運動場」を「青葉山公園」に名称変更(建設省告示 第1293号)[8]
  • 1957年(昭和32年)、「青葉山公園庭球場」(地図)開設[8]。同球場に至るためには必ず「追廻住宅」を通過しなくてはならず、一般市民が日常的に来街するようになった。
  • 1963年(昭和38年)、仙台市から3つの解決案が提示されたが、追廻住宅親和会は拒否した[7]
  • 1996年(平成8年)11月、「青葉山公園基本計画」策定[8]
  • 1997年(平成9年)7月、「青葉山公園整備事業」認可(宮城県告示 第842号)[8][11]
  • 2005年(平成17年)10月、仙台市が追廻の地元町内会に、最終的な移転候補地として宮城野区新田地区を提示した[11]
  • 2006年(平成18年)
    • 5月、追廻の地元町内会が総会で集団移転を決定(ただしこの時点で、11区画は立ち退きに同意していない)[11]
    • 9月30日、国と住民との間の借地契約が終了[3]
  • 2008年(平成20年)2月6日、追廻からの集団移転先として、東北農政局宮城野庁舎に隣接する「仙台政府倉庫(運用期間:1936年 - 2005年3月[12])」の敷地(宮城野区新田、地図)を仙台市が取得し、倉庫を取り壊して市営住宅を建設することになった[11]
  • 2009年(平成21年)3月、国・市・住民により、追廻の土地の明け渡し期限についての合意が成立[3]
  • 2011年(平成23年)

世帯数・人口[編集]

各年10月1日現在の世帯数・人口(住民基本台帳
(2段の場合は、上段が4月1日現在、下段が10月1日現在)[1]
世帯数 人口
1989年 593 世帯 1,471 人
1990年 577 世帯 1,414 人
1991年 567 世帯 1,387 人
1992年 568 世帯 1,362 人
1993年 551 世帯 1,313 人
1994年 527 世帯 1,245 人
1995年 518 世帯 1,184 人
1996年 484 世帯 1,098 人
1997年 453 世帯 1,004 人
1998年 374 世帯 787 人
1999年 309 世帯 650 人
2000年 261 世帯 536 人
2001年 221 世帯 454 人
2002年 198 世帯 395 人
2003年 178 世帯 355 人
2004年 166 世帯 326 人
2005年 145 世帯 275 人
2006年 110 世帯 207 人
2007年 84 世帯 159 人
2008年 72 世帯 138 人
2009年 67 世帯 秘匿措置
66 世帯 秘匿措置
2010年 65 世帯 秘匿措置
64 世帯 秘匿措置
2011年 57 世帯 102 人
13 世帯 24 人
2012年 11 世帯 秘匿措置
8 世帯 16 人
2013年 8 世帯 秘匿措置
8 世帯 秘匿措置
2014年 8 世帯 秘匿措置
7 世帯 秘匿措置
2015年 6 世帯 秘匿措置
6 世帯 秘匿措置
2016年 秘匿措置 秘匿措置
秘匿措置 秘匿措置
2017年 5 世帯 8 人
4 世帯 5 人
  • 秘匿措置が採られている統計値は、グラフ上において0で示す。

住民基本台帳 世帯数(各年10月1日現在)

100
200
300
400
500
600

各年10月1日の世帯数の前年比(2015年まで)

住民基本台帳 人口(各年10月1日現在)

250
500
750
1,000
1,250
1,500

脚注[編集]

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出典[編集]

  1. ^ a b c 町名別年齢(各歳)別住民基本台帳人口” (日本語). 仙台市 (2017年10月10日). 2017年12月5日閲覧。
  2. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  3. ^ a b c d e 8世帯なお移転拒否 仙台・追廻住宅の明け渡し(河北新報 2011年6月8日)
  4. ^ 仙台市道青葉1340号・追廻天主台線
  5. ^ a b 残された「無番地」の街読売新聞追憶の風景 戦後70年」 2015年5月12日)
  6. ^ 鈴木省三『仙台風俗志(全)』53頁。
  7. ^ a b c d e f 旧軍用地に係る土地政策と転用実態 ―終戦直後から戦災復興期の都市部における旧軍用地転用― (PDF) (土地総合研究 2015年夏号)pp.152-153
  8. ^ a b c d e f 巻末資料 (PDF) (仙台市)
  9. ^ 事業概要 (PDF) (仙台市建設局 2016年8月)
  10. ^ 第6回国会 参議院建設委員会 会議録 第2号 (PDF) (1949年11月9日。国立国会図書館
  11. ^ a b c d 移転先「政府倉庫」敷地に決定 仙台・追廻住宅(河北新報 2008年2月7日)
  12. ^ 仙台政府倉庫建造物調査報告書仙台市教育委員会 2009年3月)

参考文献[編集]

  • 鈴木省三『仙台風俗志』、1937年。鈴木省三・著、青木大輔・中山栄子・編『仙台風俗志(全)』、歴史図書社、1977年に収録。
  • 仙台学 vol6 2008 『戦争ー場所の記憶を訪ねて』

関連項目[編集]