川勝氏記

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川勝氏記
時代 江戸時代中期
生誕 享保12年(1727年
死没 天明元年5月9日1781年5月31日
別名 吉之丞(通称)
戒名 全英(法名)
墓所 東京都渋谷区神宮前の長泉寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川吉宗家重家治
氏族 本姓:秦氏秦河勝後裔
名字:川勝氏
父母 父:川勝貞徳、母:川勝貞久の娘
兄弟 川勝氏記
正室:広戸昌房の娘
継室:藤田光政の娘
川勝氏徳、川勝氏次(吉太郎)、
女子(松平伯耆守家臣志水元重室)、
女子(木村氏室)
  

川勝 氏記(かわかつ うじのり)は、江戸時代中期の旗本。貞徳流川勝家の2代当主。

目次

生涯

享保12年(1727年)、川勝貞徳の嫡男として江戸に生まれた。元文3年(1738年)3月28日、初めて将軍徳川吉宗に謁見した。氏記、時に12歳であった。宝暦7年(1757年)6月14日、父貞徳の隠居により、その家督(蔵米50俵3人扶持)を継ぎ、小普請となった。

安永8年(1779年)正月14日、二男吉太郎氏次が出奔した事を届出るのが遅れたため、役目[1]をはばかる者に准じられ、同年3月2日に許された。無役のままで、その生涯を終えた。宝暦年間[2]を生きた人物。天明元年(1781年)5月9日、55歳で没した。家督は嫡男の氏徳が継いだ。

脚注

  1. ^ 小禄の旗本が就く下位の役職には、御家人が就任することも少なくなかった。
  2. ^ 享保の改革で年貢収入は増加したが、宝暦年間で頭打ちとなり幕府財政は再び行き詰っていた。

参考文献

  • 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
  • 石井良助監修、小川恭一編著『江戸幕府旗本人名事典(第1巻)』原書房、1989年

関連項目

先代:
貞徳
川勝継氏系貞徳流
2代:1757年 - 1781年
次代:
氏徳

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