川崎悦行

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川崎 悦行(かわさき えつこう、かわさき えつぎょう、1901年 - 1923年11月12日)は、戦前の日本政治運動家、初期の共産主義運動家である。

経歴[編集]

石川県輪島市出身。本名川崎 憲次郎。輪島男児尋常高等小学校を経て、1915年石川県立金沢商業学校に入学。在学中弁論部員として活動するかたわら、社会運動に関心をもち中途退学した。帰郷して總持寺祖院に入り、禅僧となって「悦行」の僧名を受けた。

1921年、上京して暁民会に参加、のち日本社会主義同盟の機関紙編集にたずさわった。1922年7月15日日本共産党の結成に参加した。

1923年2月4日の党第2回大会で、共産青年同盟の組織準備委員に任命され、4月5日創立された日本共産青年同盟の初代中央委員となった[1]

6月5日の共産党弾圧(第一次共産党事件)で検挙され、11月12日病気のため市ヶ谷刑務所で獄死した[2][3]

脚注[編集]

  1. ^ 福家崇洋 <論文>「1920年代前期における学生運動の諸相(上):京都帝国大学社会科学研究会を中心に」 『京都大学大学文書館研究紀要』京都大学大学文書館 28-Feb-2011 9 pp.15-37
  2. ^ 川崎悦行 かわさき-えつこうデジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
  3. ^ 「民医連院所のある風景 石川/輪島診療所 『やさしい心と科学の目』を」『民医連医療』2009年12月号 No.448