市川武史

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市川 武史(いちかわ たけし)は、日本アマチュア野球選手。

来歴・人物[編集]

1980年夏、国立高校が、都立として初めて甲子園(第62回全国高等学校野球選手権大会)出場した時のエース[1]。また1年の浪人後東京大学に入学し、東京六大学野球で投手として7勝(22敗)を挙げるなどの活躍をした[2]

高校時代[編集]

西東京予選では全7試合81イニングを投げ抜き、ノーシードから優勝を果たす原動力となる。大会直前にオーバースローからサイドスローに変え、同じ直球でも縫い目の指の掛け方を工夫した(現在でいうツーシームやムービングボール)ことが功を奏し、並み居る強豪を封じ込める。国立高校の予選での打率が0.243と非力で、コールドゲームは0試合。市川にかかる負担はあまりに大きく、しかも準々決勝の佼成学園戦は1-1のまま延長18回でも決着つかず再試合となる。それでも再試合を6-3で制すると、準決勝では堀越を2-0で完封し、ついに決勝まで駒を進めた。3連投で迎えた決戦は、おそらく市川の疲労もピークに達していたと思われるが、神宮につめかけた観客は大半が“都立の星”を応援し、それが大きな力となった。相手の駒大高はそれに萎縮したのか市川から点を奪えず、両軍ゼロ行進のまま迎えた9回表、国立は2点をもぎ取ると、市川がその裏を見事抑え、都立初の偉業を成し遂げる。 甲子園では初戦で前年度(1979年)春夏連覇を達成した和歌山県代表の箕島高校と対戦し0-5で敗戦した。

1980年 第62回全国高校野球選手権大会の戦績

  • 西東京大会
    • 1回戦 ○ 2-0 都武蔵村山
    • 2回戦 ○ 4-0 都武蔵村山東
    • 3回戦 ○ 7-2 私武蔵
    • 4回戦 ○ 4-0 錦城
    • 準々決勝 △ 1-1 佼成学園(延長18回引き分け)
    • 準々決勝 ○ 6-3 佼成学園
    • 準決勝 ○ 2-0 堀越
    • 決勝 ○ 2-0 駒大高
  • 甲子園大会

箕島 000 210 002=5

国立 000 000 000=0

  • 市川個人成績
    • 投手成績:9回11安打 奪三振2 四死球5 自責3 防御率3.00
    • 打撃成績:2打数0安打 打率 .000

大学時代[編集]

高校卒業後は駿台予備校で1年間の浪人生活を過ごした後に、東京大学に入学。東大入学当初は一年浪人し体力が落ちたので野球部に入るのは失礼と思い、ゴルフ部に所属。しかし当時の平野監督から「気にせず入部して欲しい。」との要請により1年生の途中から野球部に入部。秋のシーズンは最初二塁手として出場する。その後のリーグ戦では早大から完封勝利を挙げるなど80年代前半の「赤門旋風」に貢献し活躍する。東京大学理学部卒業後はキヤノンに技術者として就職している[3]

脚注[編集]

  1. ^ 日刊スポーツ2008年8月14日付記事 2011年4月16日閲覧。
  2. ^ 4年に進級した1985年には週刊ベースボール増刊「大学野球春季リーグ展望号」にカラーページでの特集記事が掲載されている。
  3. ^ 日本経済新聞 投手・市川氏「野球は体の一部、考え方の土台に」「都立の星」の甲子園 国立高・元ナインに聞く(上) 2015年8月3日付記事、2015年8月3日閲覧。