帯笑園

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地図

帯笑園(たいしょうえん)は、静岡県沼津市原にある日本庭園江戸時代後期に東海道駿河原宿豪農であった植松家により整備された。東海道きっての名園ともいわれたが、一般的な日本庭園のように池や築山、巨石を配して風景を写したものではなく、各所から集められた様々な花や草木を鑑賞することに主眼を置く点に特色がある。

歴史[編集]

植松家は、1584年天正12年)に原宿に入植して以来、開墾や植林に励むとともに花卉類の収集にも努め、やがて「花長者」と呼ばれるようになった[1]。この庭園は江戸時代後期に造られ、芍薬万年青松葉蘭桜草などのほか、各地の珍しい植物が集められ、外国の草花も取り寄せられた。当初は「菊花園」「植松叟花園」と呼ばれていたが、1791年寛政3年)に儒学者で経世家の海保青陵が「帯笑園」と名付けたとされ、高島秋帆筆の木額が残っている。当時としては珍しい温室もあり、花をその最も良い状態で鑑賞するための工夫もされていた。庭の中心に「望嶽亭」と名付けられた茶室を設け(現存せず)、そこから見える富士山と庭の眺めを楽しんだという。また、東海道の原宿に面していたことから、街道を行き交う公家、大名、武士、農民、町人も立ち寄って見物し、花や文芸、文化交流を楽しんだ。花壇に植えられた花の品種名や栽培の記録、園記、柱聯、帯笑園を詠んだ詩歌など庭の姿や訪問者たちとの交流の様子を伝える資料が多数残され、当時の庭の有り様を伝えている。庭園を訪れた人物の芳名帳(吟海草帖)には、徳川家茂井伊直弼伊藤博文大正天皇の名前も残されている。1826年文政9年)に訪れた医師のシーボルトは、著書『江戸参府紀行』の中で、

今迄日本にて見たるものの中にて、最も美しくまた鑑賞植物に最も豊かなるものなり

と讃えている。

園内には、皆川淇園撰・巻菱湖筆になる庭園の来歴を刻んだ石碑、「望嶽亭」跡の大きな沓脱石、玉石敷の延段、蓮などの栽培のための陶製水盤、石灯ろう、賀茂季鷹(かも の すえたか)の歌碑などが残り、園芸に関する豊富な資料も保存されていることから、近世後期から近代にかけて花卉類の収集・展示の場となった庭園の事例として、2012年平成24年)9月19日に国の登録記念物(名勝地関係)に登録された。現在は、沼津市が敷地を取得し、帯笑園の保存と顕彰を行っている。

所在地[編集]

  • 静岡県沼津市原194-4

交通[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 帯笑園について - 帯笑園、2019年8月3日閲覧。

座標: 北緯35度7分28.4秒 東経138度47分54.6秒 / 北緯35.124556度 東経138.798500度 / 35.124556; 138.798500