平家貞

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平家貞
Taira no Iesada.jpg
平家貞/『前賢故実江戸時代、画:菊池容斎
時代 平安時代後期
生誕 永保2年(1082年
死没 仁安2年5月28日1167年6月17日
官位 左衛門尉筑後
主君 平忠盛清盛
氏族 伊勢平氏
父母 父:平家房(季房)、または平範季
家継貞能、家実

平 家貞(たいら の いえさだ)は、平安時代後期の武将。伊賀を本拠とする伊勢平氏譜代の有力家人である。平忠盛平清盛の二代に渡って仕え、「一ノ郎等」(『愚管抄』)といわれた。

生涯[編集]

平忠盛の側近として知られ、公卿たちが殿上人になった忠盛を闇討ちにする計画を立てた際、殿上の小庭に武装して控えて未然に防いだという逸話がある(『平家物語』巻一「殿上闇討」)。

忠盛の信頼は厚く、平氏の本領である伊賀国鞆田荘の沙汰人となり、東大寺などの勢力を排除して在地経営に携わった。忠盛が西国の海賊追討に赴くとこれに付き従い、海賊追捕の賞として兵衛尉から左衛門尉に昇進する(『中右記長承3年(1134年)閏12月12日条)。

忠盛の死後は清盛に仕え、保元の乱平治の乱で活躍する。保元3年(1158年)清盛が大宰大弐となり九州へ進出すると、家貞も筑後守に補任され、薩摩の阿多忠景や肥前の日向通良の反乱を鎮圧するなど、平氏の九州での勢力拡大に大きな役割を果たした。『平家物語』は一ノ谷の戦いで戦没したと記しているが、『玉葉』ではこれ以前に既に他界していた旨の記述がある。

関連項目[編集]