平川松太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

移動先: 案内検索
平川松太郎

平川 松太郎(ひらかわ まつたろう、明治10年(1877年5月15日[1] - 昭和18年(1943年5月19日[2])は、日本の衆議院議員憲政会立憲民政党)、弁護士

経歴[編集]

広島県双三郡和田村(現在の三次市)出身。1901年東京法学院(現在の中央大学)を卒業。弁護士試験に合格し、弁護士を開業。また小田原商業学校校長も務めた。

1924年第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は7回を数えた。その間、濱口内閣小泉又次郎逓信大臣秘書官を、第2次若槻内閣で逓信参与官を、平沼内閣で逓信政務次官をそれぞれ務めた。

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、6頁。
  2. ^ 官報』第4918号、昭和18年6月7日。

参考文献[編集]