平希世

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平希世
時代 平安時代前期
生誕 不明
死没 延長8年6月26日930年7月24日
官位 従四位下右中弁
主君 醍醐天皇
氏族 仁明平氏
父母 父:雅望王
兄弟 随時希世
忠孝、忠依、藤原助信
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平 希世(たいら の まれよ)は、平安時代前期の貴族歌人仁明天皇の第五皇子本康親王の子である左馬頭雅望王の子。官位従四位下右中弁

経歴[編集]

平朝臣姓を与えられ、臣籍降下する。延喜11年(911年)に宇多上皇の主催で亭子院で開かれた酒合戦に酒豪として招聘され参加。大量に飲んで門外に倒れた[1]右兵衛佐内蔵権佐五位蔵人を経て右中弁に任ぜられ、右馬頭を兼任する。延長元年(923年)内蔵頭に任ぜられ、延長3年(925年左近衛少将を兼任。延長6年(928年)従四位下に叙される。

延長8年(930年)に清涼殿落雷があり、希世の顔に直撃する。重傷を負い、修明門から外で運び出されるも、ほどなく卒去(清涼殿落雷事件[2]。最終官位は従四位下行右中弁兼内蔵頭。

この落雷事件で、共に落雷の直撃を受け薨じた大納言藤原清貫昌泰の変に関与したため、菅原道真の怨霊により清貫は報いを受けたと人々は噂したが、一方の希世と道真との関係や、昌泰の変に希世が関与していたかどうかは不明である。

勅撰歌人であり、『後撰和歌集』『玉葉和歌集』に1首ずつ和歌作品が採録されている[3]

系譜[編集]

  • 父:雅望王
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:平忠孝(?-?)
    • 男子:平忠依(?-?)
    • 女子:藤原助信

脚注[編集]

  1. ^ 藤原明衡撰『本朝文粋』中の紀長谷雄「亭子院賜飲記」
  2. ^ 日本紀略
  3. ^ 『勅撰作者部類』

参考文献[編集]