平野平左衛門

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平野 平左衛門(ひらの へいざえもん、1849年嘉永2年)9月8日 - 1927年昭和2年)8月5日)は、日本人で初めて鉄道機関士になった人物。

生涯[編集]

嘉永2年(1849年)9月8日[1]江戸芝露月町に生まれる。家は先祖代々加賀藩[2]の刀剣商であったが、明治になると商売が成り立たなくなっていた[3]1874年(明治7年)25歳のときに、新橋火夫見習として採用され、機関車清掃や給水作業[4]、石炭運搬作業など雑用をこなしていった。当時の機関方(機関士)は全員が御雇外国人で外国人と日本人の間のトラブルは多く[5]、また高給取りであり日本人の技術者養成は急務であった。

そこで機関士を養成すべく、火夫の中から選抜した者に対して機関車各部の構造、機関の操作方法、緊急時に使用する工具の使用方法を教えていき、機関車の分解組み立てができるようになると、実地訓練をおこなった。平野は、山下熊吉とともに新橋 - 横浜間の複線化の工事列車の運転をするようになった。火夫と機関方を1日交替でおこない、当初運転には苦労したが積載した砂利を徐々に増やしていき、外国人機関方並みに砂利を満載した列車を運転できるようになっていった。続いて本線での時刻表に沿った運転や入換運転を外国人の監督のもとにおこなっていたが、やがて外国人なしで乗務するようになっていった。

その結果として、1879年明治12年)4月14日に建築師長のホルサムの上申により、落合丑松、山下熊吉らと共に日本人初の機関方として登用されることとなった。同年9月1日から3人は新橋 - 横浜間の列車運転に従事することとなった。その後も日本人機関方は採用され、1880年(明治13年)11月1日以降は新橋 - 横浜間の列車運転はすべて日本人となった。

1889年(明治22年)には山北機関庫主任となる。当時丹那トンネルはなく、現在の御殿場線により箱根の山を越えていた。この線では連続した勾配のため強力な補助機関車が必要とされており、アメリカの会社が売り込みのために機関車を持ち込み試運転を行っていたが成績は不良であった。そこで平野にこの機関車を運転させたところ、見事に運転したという[6]。その後同じ勾配区間を担当する沼津機関区主任、続いて名古屋機関区主任を歴任し、1897年(明治30年)には新橋機関区主任へ返り咲いた。

しかし、新橋機関区主任就任まもなく日本鉄道毛利重輔[7]より誘いを受け、日本鉄道の上野機関庫長に就任するがその時期は短かった。1898年(明治31年)2月に機関車乗務員によるストライキ[8]が起こり、解決後責任をとって辞任した。

辞職後に上武鉄道(秩父鉄道)にうつり汽車課長に就任[9]。その後南満州鉄道にうつり現場巡視員として大連で勤務した。

1913年(大正2年)一旦帰国したが1922年(大正11年)三男博三の満鉄出向に同行し渡満。1927年(昭和2年)大連で死去する。なお平野家は鉄道業に従事するものが多く長男浜五郎が朝鮮鉄道元山機関区長、次男俊太郎が満鉄公主嶺機関庫助役、三男博三が中央教習所から鉄道省旅客課を経て満鉄に出向している。さらに孫・勉二他2人が機関士となった。また文仁親王妃紀子は玄孫にあたる[10]


脚注[編集]

  1. ^ 旧暦か
  2. ^ 藁科安弘『国鉄』教育社、1974年、26頁
  3. ^ 廃刀令(1876年(明治9年)施行)の影響にもよる。
  4. ^ 手押しポンプで重労働であった
  5. ^ 明治末期に機関車乗務員の回顧談が記録されている。外国人の暴力により2ヶ月でやめていった(飯島彦兵衛談)、言葉がわからずとまどっていたら耳を引っ張られ手真似で示された、機関車の掃除をしていたら押さえつけられて丁髷をきられた(富田豊吉)、機関車の汚れは激しく徹夜作業は度々であった(佐々木鶴吉)、その機関車の掃除も非常にやかましく目の届かないところを手で撫でて汚れを見つけるとやりなおしさせられた(岡野芳松)、など。沢和哉『鉄道-明治創業回顧談』築地書館、1981年、186-255頁
  6. ^ 青木槐三「苦い鉄路」『鉄道ピクトリアル』No.60、8頁
  7. ^ 1885年(明治18年)に日本鉄道に出向していた
  8. ^ 2月24日に日本鉄道の機関方及び火夫が待遇改善を求めストライキを決行した。会社は就業を拒否する者に対し解雇処分としたが、事態を収拾できず、結局撤回し要求を受け入れることになり機関方の勝利となった。ちょうど株主間の派閥抗争で社内は混乱している時でもあり、まもなく社長を始め全役員が辞任した。『日本国有鉄道百年史 第4巻』323、325頁
  9. ^ 汽車課長技手、寄居機関庫主任『帝国鉄道要鑑. 第2版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 「秋篠宮家創立」『毎日グラフ 臨時増刊』通巻2118号、1990年、34頁

参考文献[編集]

  • 沢和哉「邦人機関方第1号」『コンコース』No.204 1995年4月 鉄道と未来をつくる会
  • 『日本国有鉄道百年史 第1巻』261、640頁