元号

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1989年1月7日総理大臣官邸にて新元号「平成」を発表する内閣官房長官小渕恵三元号法に基づき史上初めて内閣が元号を選定した。また、元号の発表が史上初めてテレビ中継された。
2019年4月1日、総理大臣官邸で新元号「令和」を発表する内閣官房長官菅義偉。憲政史上初めて元号が事前公表された。また、元号の発表が史上初めてインターネット配信された。

元号(げんごう)は、日本の年代に付けられる称号。また、日本を含むアジア東部における紀年法の一種。特定の年代に付けられる称号で、基本的にを単位とするが、元号の変更(改元)は一年の途中でも行われ、一年未満で改元された元号もある。

日本においては、難波宮で行われた大化の改新時に使用が始まり、以降、「日本」という国号の使用も始まったとされる。この他、日本では年号(ねんごう)と呼ばれることもある。公称としては、江戸時代慶応)までは「年号」が多く使われ、明治以降は一世一元の制が定着し元号法制定以後、「元号」が法的用語となった[1]

総説[編集]

紀年法のうち、西暦イスラム紀元皇紀(神武紀元)などが無限のシステム(紀元)であるのに対して、元号は有限のシステムである。皇帝など君主即位、また治世の途中にも行われる改元によって元年から再度数え直され(リセット)、名称も改められる。元号の元年は「1年目」に当たる。英訳すると、元号は「regnal era name」などとなる。

元号は、古代中国前漢武帝の時代に始まった制度で[2]皇帝時空統治権を象徴する称号である[3]。『春秋公羊伝』隠元年では「元年者何。君之始年也」とあり、これは皇帝権力の集中統一を重視する「大一統」思想の国制化であった[3]。時の政権に何らかの批判を持つ勢力が、密かに独自の元号を建てて使用することもあった[注 1]

元号は漢字2字で表される場合が多く、まれに3字、4字、6字の組み合わせを採ることもあった。最初期には改元の理由にちなんだ具体的な字が選ばれることが多かったが、次第に抽象的な、縁起の良い意味を持つ字の組み合わせを、漢籍古典を典拠にして採用するようになった。日本の場合、採用された字は現在の令和の時点でわずか73字であり[4]、そのうち21字は10回以上用いられている。一番多く使われた文字は「永」で29回、2番目は「天」「元」のそれぞれ27回、4番目は「治」で21回、5番目は「応」「和」で20回である[5]。なお、近代以降の元号のうち令和の「令」や平成の「成」、昭和の「昭」はそれぞれ初めて採用されたものである。また、平成の「平」は12回[6]大正の「大」は6回「正」は19回、明治の「明」は7回使われている[5]

独自の元号が建てられた国家には、以下の項目に挙げる他、柔然高昌南詔大理渤海がある。また西遼西夏中国史に入れる解釈もあるが、いずれも独自の文字を創製しており、元号も現在伝えられる漢字ではなく、対応する独自文字で書かれていた。

中国[編集]

で発行された大明通行宝鈔と呼ばれる紙幣。左下に洪武の元号が書かれている。

元号制度が始まるのは前漢武帝の時代のことである[2]。武帝の治世・紀元前115年頃に、統治の初年に遡って「建元」という元号が創始されて以降、まで用いられた。

中国の元号は、中国王朝の冊封を受けた朝鮮南詔渤海琉球などでもそのまま使われた(南詔、渤海は独自の元号も使用した)。

武帝以前は王や皇帝の即位の年数による即位紀元の方式が用いられていた[2]。当時の紀年法では新しい天子が即位した翌年を始めの年とする認識がとられていることが多い[2]。例えば『資治通鑑』によれば威烈王23年の翌年が安王元年、高祖12年の翌年が高后元年となっている[2]。また『史記』の孝武本紀では孝景の崩じた翌年を元年としている[2]。このように王暦において即位の翌年から次の天子の元号を始めることを「踰年称元」という[2]。ただし『史記』でも孝文本紀と孝景本紀とでは記載に混乱がみられ、史書によっても混乱がみられる部分がある[2]。そのため史書の編纂の過程で『資治通鑑』のような体裁に整えられていったとする説がある[2]

元号制度が始まるのは前漢の武帝の時代からだが、の洪武帝(朱元璋)により一世一元の制がとられるまでしばしば改元された[2]。武帝の時、「元」は祥瑞によって決めるべきで、即位の年を「建」、彗星出現の年を「光」、一角獣麒麟)捕獲の年を「狩」とすることが献策された。これによって「建元」「元光」「元狩」といった元号が作られ、以後、このような漢字名を冠した元号を用いる紀年法が行われるようになった。

中国では元号制度が正式に設けられた後も、即位改元の場合は原則として前皇帝が亡くなった年のうちは改元を行わず、新皇帝は翌年正月に改元する方式がとられた(踰年改元)[2]伊藤東涯は『制度通』において「先君崩薨の後、明年を元年と云、踰年改元すと云、是なり。」としている[2]。ただし、王朝交替時には新皇帝の即位とほぼ同時、政変・譲位の時は新皇帝の即位と同時か間をおいて改元されることが多かった[2]

の太祖(朱元璋)は、皇帝即位のたびに改元する一世一元の制を制定した。これにより実質的に在位紀年法に戻ったといえるが、紀年数に元号(漢字名)が付されることが異なっている。また元号が皇帝の死後の通称となった。

1911年辛亥革命によってが倒れると元号は廃止された。各省政府は当初、革命派の黄帝紀元を用いていたが、これもまた帝王在位による紀年法であり、共和制になじまないという理由で、中華民国建国に際し、1912年を中華民国元年(略して民国元年)とする「民国紀元」が定められた。1916年袁世凱帝制中華帝国)を敷いた時には「洪憲」の元号を建てた。ただし、清室優待条件によって宣統帝溥儀紫禁城で従来通りの生活が保障されており、宮廷内部(遜清皇室小朝廷)では「宣統」元号が引き続き使用されていた。このことが溥儀の「復辟(帝制復活)」への幻想を生んだ。

満州国1932年に建国すると「大同」と建元し、1934年に溥儀が皇帝に即位すると「康徳」と改元され、1945年の満州国の滅亡で再び元号は廃止された。

中華人民共和国が大陸を制覇すると、「公元」という名称で西暦が採用されるもキログラムが「公斤」と、キロメートルが「公里」と表記されるのと同じで、これは元号ではなく、中国語表記である。一方、中華民国(台湾)では民国紀元が現在に至るまで用いられているが、これは黄帝紀元と同じ紀元であって元号ではない。西暦2019年は、中華民国108年(民国108年)である。

日本[編集]

元号を用いた日本独自の紀年法は、西暦に対して和暦(あるいは邦暦や日本暦)と呼ばれることがある。

日本国内では今日においても西暦グレゴリオ暦)と共に広く使用されている。

西暦2019年は、1月1日から4月30日までが「平成31年」、5月1日から12月31日までが「令和元年」に当たる。

元号名 期間 年数 通算
年日数
天皇名 改元理由
公的 当時
漢字 読み 始期 現在 始期 現在
令和 れいわ 令和元年(2019年)
5月1日
令和元年(2019年
9月18日(継続)
令和元年(2019年)
5月1日
令和元年(2019年
9月18日(継続)
0年 140日間 徳仁 皇室典範特例法に基づく明仁の退位及び徳仁の即位による改元。

2019年5月1日[7]に、前日4月30日天皇の退位等に関する皇室典範特例法施行での天皇明仁の退位(上皇となり)のため、皇太子徳仁親王が第126代天皇今上天皇)に即位した。この皇位の継承に伴い元号法の規定により「平成」から「令和」(日本における最初の元号大化」から数えて248番目の元号)に改元された。

元号制定の条件[編集]

『昭和大礼記録(第一冊)』によると、一木喜徳郎宮内大臣(現:宮内庁長官)は、漢学者宮内省(現:宮内庁図書寮の編修官であった吉田増蔵に「左記の五項の範囲内に於て」元号選定にあたるように命じた[8]

  • 元号は本邦はもとより言うを俟たず、支那朝鮮南詔交趾(ベトナム)等の年号、その帝王后妃、人臣の諡号名字等及び宮殿土地の名称等と重複せざるものなるべきこと。
  • 元号は、国家の一大理想を表徴するに足るものとなるべきこと。
  • 元号は、古典に出拠を有し、その字面は雅馴にして、その意義は深長なるべきこと。
  • 元号は、称呼上、音階調和を要すべきこと。
  • 元号は、その字面簡単平易なるべきこと。

なお歴史的には、「他国でかつて使われた元号等と同じものを用いてはならない」という条件はなかった。異朝でかつて使われた元号を意図して採用した例すらある。例えば、後醍醐天皇の定めた「建武」は、王莽を倒して漢朝を再興した光武帝の元号「建武」にあやかったものであった。また、徳川家康の命によって用いられた「元和」は、憲宗の年号を用いたものである。近代の「明治」も大理国で用いられた例があり、「大正」もかつてベトナムの莫朝で用いられた(ただし、読みは「たいせい」)。

元号選定手続について[編集]

1979年(昭和54年)10月、第1次大平内閣大平正芳首相)は、「元号法に定める元号の選定」について、具体的な要領を定めた(昭和54年10月23日閣議報告)[9]

これによれば、元号は、「候補名の考案」、「候補名の整理」、「原案の選定」、「新元号の決定」の各段階を践んで決定される。まず、候補名の考案は内閣総理大臣が選んだ若干名の有識者に委嘱され、各考案者は2〜5の候補名を、その意味・典拠等の説明を付して提出する。総理府総務長官(後に内閣官房長官)は、提出された候補名について検討・整理し、結果を内閣総理大臣に報告する。このとき、次の事項に留意するものと定められている。

  1. 国民の理想としてふさわしいようなよい意味を持つものであること。
  2. 漢字2字であること(3文字以上は不可。但し、749年から770年にかけては、漢字4文字の元号が使用されている)。
  3. 書きやすいこと。
  4. 読みやすいこと。
  5. これまでに元号又はおくり名として用いられたものでないこと(過去の元号の再使用は不可)。
  6. 俗用されているものでないこと(人名・地名・商品名・企業名等は不可)。

整理された候補名について、総理府総務長官、内閣官房長官、内閣法制局長官らによる会議において精査し、新元号の原案として数個の案を選定する。全閣僚会議において、新元号の原案について協議する。内閣総理大臣は、新元号の原案について衆議院及び参議院の議長及び副議長に連絡し、意見を聴取する。そして、新元号は、閣議において、改元の政令の決定という形で決められる。

元号の字数[編集]

日本の元号は伝統的に「二文字」であるが、元号に用いることのできる文字数は明確に制限されていない[注 2]。この例外は聖武天皇光明皇后の時代から約四半世紀、天平感宝天平勝宝天平宝字天平神護神護景雲の5つ(四文字)のみである。

元号使用の歴史[編集]

宗福寺にある源清麿の墓。左下に「安政」の元号が刻まれている。
1895年(明治28年)11月8日、
三国干渉の結果となった遼東半島還付条約。日本の「明治」との「光緒」、二ヶ国の年号が記されている。

一般に難波宮で行われた大化の改新645年)時に「大化」が用いられたのが最初であり、以降、日本という国号の使用が始まったとされる。なお、即位改元は南北朝以後から江戸時代前半期の数例(寛永など)を除いて確実に実施されている[2]

前史[編集]

日本書紀』の王暦は原則として王の即位の翌年を元年とする記述で整理されている[2]。ただし『日本書紀』は後世に編纂されたもので各王の時にどのような紀年法だったかは別問題である[2]

『日本書紀』の王暦は前王の崩御と同じ年に即位したか翌年に即位したかにかかわらず原則として即位の翌年を元年とする記述で整理されている[2]。例外的に孝徳天皇文武天皇の王暦は即位年が元年となっているが、いずれも譲位により即位した例で、諒闇即位の時は翌年を元年とし、譲位即位の時は同年を元年としている[2]。『日本書紀』の王暦における即位翌年に改元する越年称元(踰年称元)は那珂通世によって指摘された[2]。元号制度が確立されてからも即位翌年に改元する踰年改元の例は江戸時代までみられた[2]

飛鳥時代〜江戸時代[編集]

一般には「大化」が日本最初の元号とされている。

元号制度が安定的にみられるのは文武天皇5年(701年)に「大宝」と建元してからで、以降、独自の元号制度が展開されている[2]。飛鳥時代の「大宝」から江戸時代末期の「慶応」までは一代の天皇の間に複数回改元しうる制度であった[2]

平安時代末期、源頼朝は、寿永二年十月宣旨によって朝敵認定を赦免され東国支配権を認められるまで、養和ついで寿永への改元をいずれも認めず、それ以前の治承の年号を使い続けるなど、元号は強い政治性を帯びていた。

南北朝時代には、持明院統北朝)、大覚寺統南朝)が独自に元号を制定したため、1331年から1392年まで2つの元号が並存した[10]建武元年、同2年は、南北共通)。

室町時代には、朝廷が定めた新元号を、将軍吉書として総覧して花押を据える「吉書始」と呼ばれる儀式で改元を宣言して、武家の間で使用されるようになった。そのため元号選定には武家の影響力は強いものであった。特に足利3代将軍の義満以降、改元に幕府の影響が強まった。一方で京都室町幕府と対立した鎌倉府が改元を認めずに反抗するという事態も生じた。また応仁の乱などで朝廷と幕府が乱れると朝廷による改元と幕府の「吉書始」の間が開くようになり、新元号と旧元号が使用される混乱も見られた。

戦国時代末期、織田信長元亀4年7月、将軍足利義昭を京都から追放した直後に元亀から天正への改元を主導し、織田政権の開始を象徴する出来事となった。

江戸時代に入ると幕府によって出された禁中並公家諸法度第8条により「漢朝年号の内、吉例を以て相定むべし。但し重ねて習礼相熟むにおいては、本朝先規の作法たるべき事(中国の元号の中から良いものを選べ。ただし、今後習礼を重ねて相熟むようになれば、日本の先例によるべきである)」とされ、徳川幕府が元号決定に介入することになった。また、改元後の新元号を実際に施行する権限は江戸幕府が有しており、朝廷から連絡を受けた幕府が大名旗本を集めて改元の事実を告げた日(公達日)より施行されることになっていた。これは朝廷のある京都においても同様であり、朝廷が江戸の幕府に改元の正式な通知をして、幕府が江戸城で諸大名らに公達を行い、江戸から派遣された幕府の使者が京都町奉行に改元の公達を行い、町奉行が改元の町触を行った後で初めて施行されるものとされた。京都の役人や民衆はたとえ改元の事実を知っていても、町触が出される前に新元号を使うことは禁じられていた[11]。 広く庶民にも年号が伝わるようになったのは、江戸時代になってからのことである[12]

江戸時代まで元号は一代の天皇の間に複数回改元しうるもので後世になるほど祥瑞や辛酉年での改元が増えた[2]。即位改元では9世紀以降は践祚の翌年に改元する踰年改元、江戸時代には即位儀の翌年に改元するのが通例であった(ただし中国のように改元の月は正月に固定されなかった)[2]。また、南北朝以後から江戸時代前半期にかけて即位改元が実施されなかった例がいくつかある(後水尾天皇の時に改元された「寛永」は明正天皇が即位しても改元されなかった例など)[2]

明治時代以後[編集]

慶応以前は、在位した天皇の交代時以外にも随意に改元(吉事の際の祥瑞改元、大規模な自然災害や戦乱などが発生した時の災異改元など)していた。しかし、戊辰戦争の結果として全国政府の座を奪取した明治政府は、明治に改元した時に一世一元の詔を発布し、明治以後は、現在に至る、新天皇の即位時に限定して改元する「一世一元の制」に変更された。これにより、辛酉改元や甲子改元も廃止された。さらに、1872年(明治5年)には、西洋に合わせて太陽暦グレゴリオ暦)へと移行することになり、「旧暦太陰太陽暦)に代わるとして永久にこれを採用する」との太政官布告により採用された[13](詳細は「グレゴリオ暦#日本におけるグレゴリオ暦導入」を参照)。それに伴い、元号や干支、神武天皇即位紀元(皇紀、神武暦)[注 3]に加えて、キリスト紀元(西暦、西紀)の使用も始まったが、第二次世界大戦時には西暦はむしろ敵性語扱いされた節もあった。その後、太陽暦に移行しても、1910年代までは旧来の太陰太陽暦(天保暦)での暦が併記されていたように、年数を数えるにおいて民衆には浸透しづらかった側面もある。そして、1889年(明治22年)に公布された旧皇室典範1909年(明治42年)に公布された登極令皇室令の一部)に「(天皇の)践祚後は直ちに元号を改める」と規定され、元号の法的根拠が生じた。

第二次世界大戦敗戦後に、日本国憲法制定に伴う皇室典範の改正をもって、元号の法的根拠は一時消失した。しかし、官民を問わず「昭和」の元号が使用され続けた。だが、第二次世界大戦終結の翌年に当たる1946年(昭和21年)1月には、尾崎行雄帝国議会衆議院議長に改元の意見書を提出した。この意見書において、尾崎は、第二次世界大戦で敗れた1945年(昭和20年)限りで「昭和」の元号を廃止して、1946年(昭和21年)をもって「新日本」の元年として、1946年(昭和21年)以後は無限の「新日本N年」の表記を用いるべきだと主張した。これに対して、石橋湛山は、『東洋経済新報1946年(昭和21年)1月12日号のコラム「顕正義」において、「元号の廃止」と「西暦の使用」を主張した。1950年(昭和25年)2月下旬になると、国会参議院で「元号の廃止」が議題に上がった。ここで東京大学教授の坂本太郎は、元号の使用は「独立国の象徴」であり、「西暦の何世紀というような機械的な時代の区画などよりは、遙かに意義の深いものを持って」いる上、更に「大化の改新であるとか建武中興であるとか明治維新」という名称をなし、「日本歴史日本文化と緊密に結合し」ていることは今後も同様であるため、便利な元号を「廃止する必要は全然認められない」一方で「存続しなければならん意義が沢山に存在する」と熱弁をふるった[14]

1950年(昭和25年)6月に朝鮮戦争が勃発すると、元号の議題は棚上げされた。以来、元号の廃止や新たな元号に関する議論は低調にとどまり、現在に至るまで元号と西暦の双方が使用され続けている。一方で、皇紀(神武天皇即位紀元)に関しては(文化的な場での使用を除き)公文書でも使用されなくなった。

その後、論争を経て1979年(昭和54年)に元号法が制定された。これは昭和天皇の高齢化と、1976年(昭和51年)当時の世論調査で国民の87.5%が元号を使用している実態[15]に鑑みたものである。元号法では「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」と定められ、明治以来の「一世一元の制が維持された。ここで再び元号の法的根拠が生まれ、現在に至っている。

最も期間の長い元号と短い元号[編集]

日本の元号で最も期間の長い元号は「昭和」の62年と14日。最も期間の短い元号は「暦仁」の2か月と14日である。昭和は日本だけでなく、元号を用いていた全ての国の元号の中でも最も長い元号である。

年数で最も長い元号も「昭和」で、64年まである。逆に元年だけしか使われなかった元号は「朱鳥」と「天平感宝」がある。暦仁は期間内に元日を挟んでいるため2年まである。

元号使用の現状[編集]

日本において、元号は1979年制定の「元号法」(昭和54年法律第43号)によってその存在が定義されており、法的根拠があるが、その使用に関しては基本的に各々の自由で、私文書などで使用しなくても罰条などはない。一方で、西暦には元号法のような法律による何かしらの規定は存在しない(法令以外では日本産業規格[注 4]に見られるような公的な定義例がある)。なお、元号法制定にかかる国会審議で「元号法は、その使用を国民に義務付けるものではない」との政府答弁があり[注 5]、法制定後、多くの役所で国民に元号の使用を強制しないよう注意を喚起する通達が出されている。また、元号法は「元号は政令で定める事」「元号は皇位の継承があった場合に限り改める事(一世一元の制)」を定めているにすぎず、公文書などにおいて元号の使用を規定するものではない。しかしながら、公文書の書式においては生年などを記載する際、西暦を選択しまたは記載するためのスペースはほとんど設けられていない。そのため、日本共産党などは、事実上西暦が否定されており「元号を使わなければ受理しないなど、元号の使用が強制されているのは不当」であると主張している[16]。同様に、キリスト教原理主義者団体などは「元号の使用を強制し西暦の使用を禁止するのは、天皇を支持するか否かを調べる現代の踏み絵である」と主張している[17]

日本国政府)、地方公共団体などの公文書ではほとんど元号が用いられる。ただし、ウェブサイトについては本文は元号を使用していても最終更新日やファイル名などは西暦を使用していることもある。また、官公庁の中長期計画の名称など、キャッチフレーズとして年を印象付けさせる場合は、西暦が用いられることが多い[18][19]。国において西暦が使用されている具体例には以下のものがある。

  • 2002年(平成14年)制定の気象測器検定規則(平成14年3月26日国土交通省令第25号)に定められた気象機器の検定証印の年表示[注 6]など、西暦を使用するよう規定した法令も少数ながら存在する。
  • 旅券(パスポート)は日本国外でも用いられるため、名義人の生年が西暦で記載されている。
  • 個人番号カード(マイナンバーカード)やかつて発行されていた住民基本台帳カードは、有効期限が西暦で表記されている。個人番号カードの生年月日は日本国籍者については元号で、日本以外の国籍を有する者については西暦で表記されている[21]。また法務大臣が日本以外の国籍を持つ人に交付する在留カード特別永住者証明書は、券面に記載されている年号は全て西暦で記載されている[22][23]
  • 都道府県公安委員会が発行する運転免許証は所持者の生年月日、交付年月日、有効期限年月日、各3種類(自動二輪車・小型特殊自動車・原動機付自転車、その他、第二種)の免許取得年月日の全てが元号のみで表記されている。なお、2018年8月6日から同年9月4日まで、運転免許証の有効期限年を西暦表記に変更するための表示の見直し等の「道路交通法施行規則の一部を改正する内閣府令案」に係るパブリックコメントが実施され[24]、その結果2019年3月末頃から順次、有効期限の西暦の後に括弧書きで元号を表示することに決まった[25]
有効期限に西暦と元号が併記された運転免許証。
改元政令が施行される前に発行された証明書ではその時点での元号が用いられている[26]
  • 特許庁が発行する公開特許公報等の工業所有権公報は、「平成22年1月1日(2010.1.1)」の形で元号表記と西暦表記の日付を併記している[27]。また、特許の出願番号等も「特許2000-123456」のように「西暦年+6桁の通番」の形式とされている[28]。これは、日本以外での利用を考慮したためで、世界知的所有権機関が定める標準に準じて行われている[29]
  • 2018年(平成30年)3月30日の改正により、計量法に基づく計量法施行規則(平成5年通商産業省令第69号)第15条に規定する修理年、並びに食品店等の質量計燃料油メータータクシーメーター等が対象である特定計量器検定検査規則(平成5年通商産業省令第70号)第28条の3及び第56条に定める検定証印の年表示を西暦に限定した。但し2018年12月31日までは経過措置として従前の元号表示も可としている[30]
  • 食品表示法に基づく食品表示基準(平成27年内閣府令第10号)に係る通知「食品表示基準について」(平成30年7月10日消食表第375号)の「(加工食品)」1-(3)-⑤に定める消費期限又は賞味期限表示例では元号との選択可として西暦の表示例も明記されている[31]
  • 2018年(平成30年)6月15日に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2018」(骨太方針)において、表紙の日付、「平成n年度税制改正」等の名称中に含まれるもの、及び脚注の出典制定日を除外すると、64ページの「平成31年」1箇所を除き、過去未来共に西暦のみの表記となっている[32]
運転免許証に見る元号の使用例

日本国内において西暦の併用が増加したのは、1964年(昭和39年)の東京夏季オリンピックに向けてのキャンペーンを経た後である。皇室典範改正により元号が法的根拠を失った後も、東京オリンピックのキャンペーンが始まる前までは、1952年(昭和27年)4月28日サンフランシスコ講和条約発効に伴う独立・主権回復以後も、米国による統治下に置かれ日本から切り離された沖縄小笠原諸島千島列島を除き、前述の背景により元号のみが常用されていた。とはいえ、1976年(昭和51年)に行われた元号に関する世論調査では、「国民の87.5%が元号を主に使用している」と回答しており、「併用」は7.1%、「西暦のみを使用」はわずか2.5%であった。元号が昭和から平成に変わると、「西暦を併用する人」「西暦を主に使用する人」も次第に多くなってきた。殊に21世紀に入った今日ではインターネットの普及などもあり、日常において「元号より西暦が主に使用されるケース」は格段に増えているため、元号では「今年が何年なのか判らない」「過去の出来事の把握が難しい」という人の割合も多くなってきている[33]

報道機関では『朝日新聞』が1976年(昭和51年)1月1日に、『毎日新聞』が1978年(昭和53年)1月1日に、『読売新聞』が1988年(昭和63年)1月1日に、『日本経済新聞』が1988年(昭和63年)9月23日に、『中日新聞』『東京新聞』が1988年(昭和63年)12月1日に、日付欄の表記を「元号(西暦)」から「西暦(元号)」に改めた。それでも昭和年間の末期には、未来の予測(会計年度など)を「(昭和)70年度末」といった表記をすることが多かった。1989年(平成元年)1月8日平成改元以降、その他の各報道機関も本文中は原則として西暦記載、日付欄は「2012年(平成24年)」の様に「西暦(元号)」という順番の記載を行うところが多くなった。『産経新聞[注 7]や『東京スポーツ』、一部の地方紙[注 8]NHKの国内ニュースのように本文中は原則元号記載、日付欄は「平成29年(2017年)」の様に「元号(西暦)」という順番の記載を行っている報道機関もある。日本共産党の機関紙しんぶん赤旗』は平成改元以降、日付欄の元号併記を取りやめ西暦表記のみに変更していたが、2017年(平成29年)4月1日より元号を併記する「西暦(元号)」表記に改めた(本文中は引き続き西暦表記のみ)[34][35][36]

企業決算有報など社外向け資料、鉄道などの乗車券金融機関預金通帳なども、以前は和暦表記(元号の年部分表記)が主流であったが、2019年の改元を前に、西暦表記に改める動きもみられる[37][38][39]

切手における元号[編集]

日本で発行されている切手には元号および西暦で発行年が記載されている。ただし歴史的にみれば大きな変遷がある。なお、記念切手には万国郵便連合(UPU)によって原則として西暦で発行年を入れるように規定されている。

日本の切手で発行年が入るものに記念切手があるが、記念切手の印面に戦前までは元号が入る場合と全くない場合が混在していた。ただし国立公園切手の小型シートには皇紀(西暦)とアラビア数字で記入されたものがある。戦後、発行された記念切手には「昭和二十二年」といったように漢数字で表記されていたが、経緯は不明であるが1949年(昭和24年)頃から西暦のみで表記されるようになった。ただし、年賀切手の中に一部例外があるほか、皇室の慶事に関する記念切手は元号のみの表示の場合があった。また年賀小型シートなどには「お年玉郵便切手昭和三十一年」といった元号による表記があるほか、切手シートの余白には元号で発行年月日が入っていたが、1960年(昭和35年)頃からなくなった。

1979年(昭和54年)に施行された元号法による政策のためか、1979年(昭和54年)7月14日に発行された「検疫制度100年記念切手」から西暦と元号で併記されるようになった。ただし、毎年発行される国際文通週間記念切手については西暦しか表記されていない。また切手シートの余白に1995年(平成7年)頃から「H10.7.23」というローマ字による発行年月日が、さらに2000年(平成12年)からは「平成12年7月23日」という元号表記が入るようになった。なお、令和に改元された2019年5月から9月までは切手面・余白の発行年月日ともに西暦のみの表記で、令和の使用は10月からとなっている。

なお、世界的に見ると切手に記入される年号としては西暦のほかには仏滅紀元イスラム暦北朝鮮主体暦中華民国台湾)の民国紀元などがある

元号と商標[編集]

日本においては、元号としてのみ認識される商標(例えば「平成」)は、識別力がないとされ商標登録を受けることはできない。また、元号と普通名称等の識別力のない文字(例えば饅頭についての「まんじゅう」)とを組み合わせた商標(例えば「平成まんじゅう」)等も、同様に商標登録を受けることはできない。

ただし、その商標を使用し続けたことによって、識別力が生じた場合(例えば「平成まんじゅう」という商標を長年使い続けた結果、だれもが「平成まんじゅう」といえばその饅頭のことだと分かるようになった場合)には商標登録される場合もある[40]としており、実際に食品会社の「明治[41]」や「大正製薬[42]」は商標登録されている。

特許庁では、以前から旧元号も現行の元号と同様に取り扱われるとの解釈であったが、商標登録できないのは現元号に限られ、旧元号は商標登録できる(例えば改元後には「平成」も商標登録できる)とも解釈される可能性があり、実際にそのような報道もなされていた[43][44]。そのため、特許庁では2019年1月30日に審査基準の改訂を行い、現元号以外の元号(旧元号や改元前に公表された新元号)も原則、登録を認めないことを明確化した[40][45][46]

元号使用の不都合[編集]

以下の理由から西暦を使用する者や西暦を使用せざるを得ない者、または元号自体に否定的な姿勢を示す者もいる。

  • 西暦には終わりがなく、紀年数は常に変わらないが、元号には終わりがあり、いつかは変更される。明治維新前は大事件や政権を担う征夷大将軍の都合などで幾度と変更され、明治維新後は新天皇の即位(天皇崩御または生前退位による次期皇位継承者への譲位)によって変更されている。このため、例えば「平成40年」(西暦2028年)のような遠い未来の紀年を正確に表現できない[注 9]
  • 印字コストあるいは記載スペース等の都合で元号名を省略して年数字だけを表記する様式があるが、短い間隔(数年も有りうる)で改元が続いた場合、これらの書類は年の特定が困難になる。一方、相当する下2桁のみの省略形式の西暦では長期的考慮が不要な用途ならば問題ない。
  • 元年より前の過去を表現する場合、西暦では「紀元前N年」という形で表現できるが、元号には「紀元前」の概念が設けられていない。このため、例えば「明治前28年」(西暦1840年。実際は天保11年)という過去の紀年を正確に表現できない。そして、元号そのものが施行される前の過去は、もはや表現できない。
  • 日本独自の紀年であり、国外では通用しないため、外国人には理解されにくい。日本国内でも、元号ではなく西暦で時期を覚えている人には、同様の問題が生じる[52]
    • 特定の国・地域で公的に用いられている紀年法の例として、中華民国(台湾)の「民国紀元」や、北朝鮮の「主体暦」などがあり、これらも日本では通用しない。
  • 西暦では1年に対する紀年数が常に1対1の関係にあるのに対し、日本の元号制度では「立年改元」ではなく「即日改元」を採用しているため、1つの西暦年に対して複数の元号(1860年=安政7年・万延元年。1912年=明治45年・大正元年、1926年=大正15年・昭和元年、1989年=昭和64年・平成元年、2019年=平成31年・令和元年)が混在する例や、翌月が新しい元号の「元年」ではなく「2年」になる例が発生する。
    • 過去の日本では、749年に、天平天平感宝天平勝宝と、3つの元号が混在した例がある。また、大正15年(西暦1926年)12月10日の1ヶ月後の日付は、昭和2年(西暦1927年)1月10日である。明治以後の現在は一世一元の改元であり、年に3代の天皇が即位する可能性は極めて低いが、当該事項のように複数の元号を充てる必要が発生した場合、大きな混乱が予想される。これらは特に、コンピュータで年を扱う際の事務処理や変換のアルゴリズムが煩雑になる(「昭和100年問題」のような年問題も発生させている。後述)。
  • 元号が変更される度に、各種印刷物記載の旧元号を新元号に修正する作業のための、余計な時間と費用を発生させる。また修正が困難である(一度公に出回ったもので回収や再配布にコストがかかるもの)か修正に時間がかかる[注 10]ため古い元号の使用を続けざるを得ない場合があり混乱の元となる。
  • 元号が異なる2つの年の前後関係を判別するには、元号の順序を記憶していなければならない。また、元号が異なる2つの年の間隔を計算するには、西暦などの無限の紀年法に換算するか、元号の継続年を知っていなければならない(例:明治30年から平成10年まで何年離れているか、というような年数を数えにくい)。特に「和暦表記のみ」と「西暦表記のみ」が混在する場合はさらに混乱しやすい(例:昭和58年から1996年まで何年離れているか、など)。
  • 年度の区切りが改元の区切りと一致せず、改元後年度の終了日までの呼称は旧元号による(例えば平成元年3月31日は昭和63年度に属する)ため、混乱を生じやすい。ただし、2019年の令和への改元時の2019年度(2019年4月1日から2020年3月31日まで)の国の予算は改元日以後、「令和元年度予算」として扱うものとされたため、平成31年4月1日から4月30日は新元号の年度である令和元年度に属することとなった[53]

元号をめぐる事件・出来事[編集]

  • 歴史上の大正初日は1912年7月30日であるが、この日受付の郵便物(実逓便)には「(明治)45年7月30日」の日付印が押印されている。「(大正)1年」の日付印が押印されたのは翌31日受付の郵便からであるとされている。「(大正)1年7月30日」の日付印が押印された実逓便の存在は確認されていない[54]
  • 大正16年元旦」(1927年1月1日)に配達される予定であった年賀郵便には「(大正)16年1月1日」の日付印が押印されていたが、1926年(大正15年・昭和元年)末の12月25日に大正天皇が崩御したため、年賀郵便の取扱いそのものが中止になった。ただし、それまでに引き受けていた年賀郵便は年が明けて配達された。訂正の意味で「(昭和)2年1月1日」の日付印が押印されていたものもある[55]
  • 大正から昭和へ改元される際、『東京日日新聞』(現『毎日新聞』)が新しい元号を「光文」との誤報を流した(詳細は「光文事件」を参照)。
  • 盗難預金通帳を偽造された保険証で本人確認をして銀行が払い戻しをした過失に対する民事訴訟で、銀行側が保険証の生年月日が「昭和元年6月1日」という存在しない日付(上記のとおり、昭和元年は12月25日からの1週間しかない)なのに気が付かなかった過失があるとして敗訴した事例[56]がある。
  • 平成から令和への改元に当たって「改元に乗じた詐欺」が相次いで発生し、被害者まで出た。ほぼ同時期には新元号の号外を手に入れようと人々が殺到し、怪我人まで現れた。

コンピュータでの処理[編集]

元号を採用している日本においても、コンピュータでは元号よりも西暦による処理の方が次の点において便利であるとされる。

  • 元号では改元される毎に新元号に換算する処理を追加する必要があるが、西暦ではそれが不要である。ただし、アプリケーションによっては、コンピュータの内部処理として特定の日付を基準とした。例えばExcelでは1900年(明治33年)1月1日を基準日とする。シリアル値で管理しているので、西暦であっても基準日以前を使用する場合は別途計算処理が必要となる。
  • 西暦を使用する外国の情報を利用する際に、元号で表記するには西暦から和暦に換算する処理が必要となる。
  • オペレーティングシステムの大半は、ファイル作成日付に見られるように西暦を使用している。
  • 「㍾ (Unicode U+337E)」「㍽ (Unicode U+337D)」「㍼ (Unicode U+337C)」「㍻ (Unicode U+337B)」については合字が準備されており、「(Unicode U+32FF)」にも新たに合字が準備された[57]。これら以外の元号は入っておらず、4つ連続していたUnicodeの前後には別の文字が割り当てられている(U+337Aは㍺、U+337Fは㍿)。

これらの点から、日本でもコンピュータでの処理に際しては内部で西暦を用いているが、ほとんどの公文書(前述の通り、補助的に西暦を併用しているものも存在している)では元号を使用することを始め、一般にも書類事務は元号を用いるというニーズが根強いため、表示や入力に際しては元号を使用できるアプリケーションが多い。これは、特に使用者を限定せず多様な用途が想定されているオフィススイートに顕著である(ExcelOpenOffice.orgなど多種)。

なお、昭和年間に使用されていたアプリケーションの中には、年を「昭和○○年」として入力し、処理されているものがある。平成以降も、内部的に昭和の続きとして扱うため、1989年(平成元年=昭和64年)、1990年(平成2年=昭和65年)、1991年(平成3年=昭和66年)…として処理される。しかし、3桁になる2025年(令和7年=昭和100年)に誤作動が起きる可能性(昭和100年問題)が懸念されている。

Excel 98以前は、2桁で入力した場合は元号優先で処理していた。例えば、「08.03.01」と入力した場合、Excel 98以前のバージョンでは「平成8年(1996年)3月1日」と処理されていた(詳細は「Microsoft Excel#日付の変換問題」を参照)。なお、Excel 2000以降のバージョンでは西暦(この場合、「2008年(平成20年)3月1日」)で処理されるようになっている。

なお、コンピュータにおけるファイル名の先頭部分に元号を用いた場合、単純に文字コードの順序で並べ替えると、利用者の意図しない順序になり、混乱を招くおそれがある。例として、「元治→慶応→明治→大正→昭和→平成→令和」の順序にすべきところが、「慶応→元治→昭和→大正→平成→明治→令和」の順序になる(文字コード「シフトJIS」の昇順で並べ替えた場合)。

西暦と元号との変換[編集]

西暦年から元号年を簡易に計算する方法として、知りたい年の西暦の紀年数から各元号の元年の前年(0年)の西暦を引いて元号の紀年数を算出する方法がある(逆に、加えると西暦が算出できる)。減算は、下2桁同士でもよい。

  • 1867年=慶応3年=明治0年
    • 1878年:78-67=明治11年
    • 明治11年:1867+11=1878年
    • 1967年:1967-1867=明治100年
    「明治100年」の式典1968年(昭和43年)の10月23日に行われた。
  • 1911年=明治44年=大正0年
    • 1919年:19-11=大正 8年
  • 1925年=大正14年=昭和0年
    • 1947年:47-25=昭和22年
    • 昭和63年:1925+63=1988年
    昭和は西暦と下1桁が5ずれているので、比較的数えやすい。
  • 1988年=昭和63年=平成0年
    • 1990年:90-88=平成2年
    • 1999年:99-88=平成11年
    • 2008年:108-88=平成20年
    西暦に12を足して下二桁を読むことで、平成年を算出することもできる。
  • 2018年=平成30年=令和0年

元号一覧[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ このほか、日本では室町幕府と対立した古河公方足利成氏が改元を無視して以前の元号を使い続けたという例もある。ただし改元詔書を室町幕府方の関東管領上杉氏のみに下したとの説もある。詳細は「享徳」を参照。
  2. ^ 元号法に定める元号の選定について、第1次大平内閣大平正芳首相)が具体的な要領を定めている(昭和54年10月23日閣議報告)。この要領では留意すべきことの一つとして「漢字2文字であること」としている。
  3. ^ 1840年代から1860年代にかけては、藤田東湖など国学者が皇紀を用いていた。
  4. ^ 情報における日時データ形式を規定する JIS X 0301 においては国際規格 ISO 8601 に準じて、西暦年をメートル条約の調印年を「1875」年としてこの起点から年の値を増減両方向に定義する紀年法として定めている。
  5. ^ 元号法案(趣旨説明)での答弁(参議院会議録情報 第087回国会 本会議 第13号1979年昭和54年)4月27日)を以下に抜粋する。
    • 国務大臣(三原朝雄君):(中略)次に、本法案が制定をされた後において、公の機関の手続あるいは届け出等において強制的な措置がとられるのではないか、現在でもそういうのが見られるがという御指摘でございました。御承知のように、私ども、本法案が制定されますれば、公的な機関の手続なりあるいは届け出等に対しましては、行政の統一的な事務処理上ひとつ元号でお届けを願いたいという協力方はお願いをいたします。しかし、たって自分は西暦でいきたいという方につきましては、今日までと同様に、併用で、自由な立場で届け出を願ってもこれを受理すると、そういう考えでおるわけでございます。
    • 国務大臣(古井喜実君):法務に関する部分についてお答えを申し上げます。従来、戸籍などの諸届けの用紙に、不動文字で「昭和」と、こういうことを刷り込んでおることは事実でございます。これは申請者に便宜を与える、便宜を図るというだけの趣旨のものでございまして、強制するとか拘束するとかという趣旨ではございません。新しい元号法が施行されるといたしまして、その場合、この辺につきましては誤解が起こらぬように、強制する、拘束するものではないという趣旨を十分徹底して、行き違いがないようにいたしたいと思っております。
    • 国務大臣(渋谷直蔵君):私に対する質問は二問ございますが、一つは、ただいま法務大臣からも御答弁がありましたように、市町村における戸籍上の届け出、住民登録、印鑑登録など、現在法的根拠がないにもかかわらず強制しておるのではないかと、こういう御質問でございます。現在の住民基本台帳、それから印鑑登録のそれらの様式は、いずれもこれは市町村が自主的な判断で定めておるわけでございますが、一般に元号が使用されておりますけれども、これはもう御承知のように、従来からの慣行によって行われ、協力を求めておる、強制するというものでないことは言うまでもございません。このことによって別に不都合なことは生じておらないと考えております。
  6. ^ 13条2項で、検定証印の数字を「西暦年数の十位以下を表すものとする」と定めている[20]
  7. ^ 産業経済新聞社が発行する産経新聞は国内の記事に関して一貫して元号表記のみを行っており、同社が発行する『サンケイスポーツ』も原則元号表記のみとなっている(ただし、産経新聞の記事を配信するウェブサイト「産経ニュース」では、トップページの今日の日付は「2010(平成22)年04月04日」、個々の記事タイトルの下にある配信日時は「2010.4.4 02:04」、記事の本文中では「平成22年」のように不統一が見受けられる)。また同社が発行する新聞では夕刊フジもかつては同様であったが、2007年(平成19年)2月1日より原則西暦表記に変更している。さらに、同社が発行するタブロイド版日刊紙『SANKEI EXPRESS』は西暦を主に使用するなど、新聞によって方針が異なっている。
  8. ^ 河北新報』『静岡新聞』『熊本日日新聞』など。
  9. ^ 昭和年間には、行政庁の政策計画に「昭和7n年」(昭和70年代)なるものまで存在した例や、荒俣宏の小説『帝都物語』に「昭和73年」(1998年、実際の元号は平成10年)の用例がある。また、運転免許証の有効年月日が「昭和66年」(当時は3年有効のみ)という存在しなくなった年度のものを使用していた者も当時は少なくなかった。より極端な例では「昭和230年」(西暦2155年)と表記したものも見られた[47]。2018年現在においても、例えば復興特別所得税が「平成49年」(西暦2037年)まで徴収されるという表記が見られる[48]ほか、公文書の保存期限に「平成61年」(西暦2049年)などという表記も行われている例もある[49]。なお、平成3桁の年では、「平成122年」(西暦2110年)[50]、「平成222年」(西暦2210年)[51]などという表記が見られるものの、昭和230年などの例と異なり、西暦を併記している場合がほとんどである。
  10. ^ 1989年に発行された硬貨がこの例に当てはまる。昭和天皇が逝去した直後も、「平成元年」の金型ができ上がるまでの期間は、刻印の製作が完了していなかった50円と100円硬貨以外の額面の硬貨は「昭和64年」の刻印で発行された。また平成最初の日である1989年1月8日日曜日であり、新聞社によってはあらかじめ印刷されていた日曜版を後日配達したため、その日付が「昭和64年1月8日」という存在しない日になった。

出典[編集]

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  6. ^ 『朝日新聞』1989年(平成元年)1月8日14版第3面(『昭和から平成へ : その日の朝日新聞 特別縮刷版』朝日新聞社、1989年。ISBN 4022584556。所収)
  7. ^ 官報特別号外第9号”. インターネット版官報. 2019年4月1日閲覧。
  8. ^ 猪瀬直樹『日本の近代 猪瀬直樹著作集10 天皇の影法師』小学館、2002年、162頁。ISBN 4-09-394240-4。
  9. ^ 元号選定手続について、昭和54年10月23日、内閣官房、国立公文書館(ref.本館-3A-015-00・平11総01509100)。
  10. ^ 『アラサーの平成ちゃん日本人だから知りたい日本史を学ぶ』101頁。著者はもぐら。発行所は竹書房。2015年4月2日発行。
  11. ^ 久保貴子「改元にみる朝幕関係」『近世の朝廷運営-朝幕関係の展開-』(岩田書院、1998年) ISBN 4-87294-115-2 P241-242
  12. ^ 山本博文『元号全247総覧』悟空出版、2017年、30頁。ISBN 978-4-908117-39-8。
  13. ^ 改暦ノ詔書並太陽暦頒布(明治5年11月9日太政官布告第337号) 改暦詔書の全文
  14. ^ 「日本の年号の一考察―平成の改元を中心に―」王福順(2007年9月)
  15. ^ 「元号に関する世論調査」
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  22. ^ 法務省入国管理局. “在留カードとは?”. 2018年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月13日閲覧。
  23. ^ 法務省入国管理局. “特別永住者の皆さんへ 2012年7月9日(月)から特別永住者の制度が変わります!”. 2017年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月13日閲覧。
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  50. ^ 国立社会保障・人口問題研究所 (2012年1月30日). “日本の将来推計人口(平成24年1月推計)”. 2018年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月15日閲覧。 - 参考推計に“平成73(2061)年 - 平成122(2110)年”とある。
  51. ^ 秋田県鹿角郡小坂町 (2016年6月14日). “小坂町人口ビジョン (pdf)”. 2018年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月15日閲覧。 - 35ページ(図表37)に「平成222年(2210年)」などの表記が見られる。
  52. ^ 若者の被告が相手の裁判 「元号」で検事困る[リンク切れ]
  53. ^ 元号を改める政令等について
  54. ^ 「収友たちの宴会談義 番外編 郵便史の大正改元は7月31日であった、とすべきでしょう」『郵趣』(日本郵趣協会)1995年4月号、82頁。
  55. ^ 「私の好きなこのマテリアル 大正16年1月1日の引受印と昭和2年1月1日の到着印の年賀状」『郵趣』1993年8月号、89頁。(「16年1月1日」と「2年1月1日」の日付印が押印されている年賀はがきの写真が掲載)
  56. ^ 昭和元年6月1日」ひよっこ支部長の司法書士ブログ(BLOG)、2005年2月23日
  57. ^ “アドビのフォントが新元号「令和」に対応--2パターンの合字を追加”. CNET Japan. (2019年4月1日). https://japan.cnet.com/article/35135080/ 2019年4月3日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 所功 『日本の年号 揺れ動く<元号>問題の原点』雄山閣、1977年
    • 続刊『年号の歴史 元号制度の史的研究』 雄山閣出版、1988年、増補版1996年
  • 葦津珍彦村松剛ほか 『元号 いま問われているもの』 日本教文社、1977年
  • 瀧川政次郎 『元号考証』 永田書房、1974年、新版1988年
  • 歴史と元号研究会 『日本の元号』 新人物往来社文庫、2012年、ISBN 404-6029501

関連項目[編集]

  • 即位紀元英語版 - 君主の即位を紀元とする紀年法(例:便宜的国教徒禁止法案には「10 Anne」と書かれているが、これは「アン女王即位から10年目」の意である。)
  • 君主リスト英語版 - 上記の即位紀元を読み解くのに必要な君主の一覧