広島県立福山葦陽高等学校

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広島県立福山葦陽高等学校
福山葦陽高等学校の校舎正面
過去の名称 広島県深安郡福山町立福山女学校
広島県深安郡福山町立福山高等女学校
広島県立福山高等女学校
広島県福山葦陽高等学校
広島県福山南高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 広島県の旗 広島県
校訓 強く・正しく・美しく
設立年月日 1906年4月18日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程、定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 34148H
所在地 720-0083
広島県福山市久松台3-1-1
外部リンク 公式サイト
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1945年(昭和20年)戦災概況図。地図中央やや左に"高女校"が確認できる。

広島県立福山葦陽高等学校(ひろしまけんりつ ふくやまいようこうとうがっこう)は、広島県福山市久松台にある県立高等学校

概要[編集]

歴史
1906年明治39年)創立の高等女学校を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により、新制高等学校となる。数回の改称を経て現校名になったのは1968年(昭和43年)。2016年平成28年)に創立110周年を迎えた。
校名の由来
かつて福山城二の丸跡に校舎があったため、福山城の別名である葦陽城にちなんだものである。
設置課程・学科
全日制課程 普通科
定時制課程 普通科(昼間)
校訓
「強く 正しく 美しく」
校章
高校再編で「広島県福山南高等学校」になった1949年(昭和24年)に制定。Mの文字を3つ合わせて「南」を表し,中央に2枚の葉と「高」の文字を置いている。
校歌
作詞は篠崎正夫、作曲は鈴木けんごによる。歌詞は2番まであり、2番の歌詞中に校名の「葦陽」が登場。

沿革[編集]

  • 1906年(明治39年)4月18日 - 「広島県深安郡福山町立福山女学校」が開校。
  • 1909年(明治42年)3月 - 「広島県深安郡福山町立福山高等女学校」と改称。
  • 1913年大正2年)7月1日 - 県立移管により、「広島県立福山高等女学校」と改称。
  • 1939年(昭和14年)3月 - 福山葦陽学院を併設。
  • 1946年(昭和21年)4月 - 修業年限が5年に改められる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制)が行われる。
    • 高等女学校としての募集を停止。
    • 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
    • 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたもので、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校4・5年生として在籍(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1948年(昭和23年)5月3日 - 学制改革により高等女学校が廃止され、新制高等学校広島県福山葦陽高等学校」が発足。
    • 通常制普通課程(全日制普通科)を設置。この時点では女子校であった。
    • 高等女学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年として収容。
    • 併設中学校が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月31日 - 併設中学校を廃止。
    • 4月30日 - 高校三原則に基づく、公立高等学校再編により、福山工業高等学校との統合で総合制の「広島県福山南高等学校」となる。普通課程・家庭課程(後の家政科)・工業課程を設置。男女共学を開始。
    • 7月5日 - 校章を制定。
  • 1953年(昭和28年)4月1日 - 工業部が広島県福山工業高等学校として分離独立したため、校名を「広島県福山葦陽高等学校」(再)に戻す。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 同窓会の経営による福山葦陽学院を再設置。
  • 1963年(昭和38年)
    • 3月31日 - 福山葦陽学院を廃止。
    • 4月1日 - 家政科の募集を停止し、普通科(甲型・乙型)を設置。定時制課程(昼間2部制)を設置。
    • 10月1日 - 「広島県立福山葦陽高等学校」(現校名)となる(県の後に「立」が付される)。
  • 1971年(昭和46年)4月1日 - 普通科の甲乙型を廃止。
  • 1976年(昭和51年)4月1日 - 第9学区総合選抜制(市内5校[1])を開始。
  • 1982年(昭和57年)3月31日 - 現在地へ移転を完了。旧校地には広島県立歴史博物館が建てられている。
  • 1988年(昭和63年)4月1日 - 第9学区が東西に分けられ、第9学区西部総合選抜(市内3校[2])を開始。
  • 1998年(平成10年)4月1日 - 総合選抜を廃止し、単独選抜を導入。
  • 2002年(平成14年)4月2日 - 定時制課程を従来の昼間2部制から昼間1部制に移行。
  • 2006年(平成18年)10月29日 - 創立100周年記念式典を挙行。

部活動[編集]

全日制課程
1994年(平成6年)広島県東部地区初の全国高等学校サッカー選手権大会広島県代表となる。準々決勝で、その年優勝した、川口能活田中誠などを擁した強豪清水市立商業高等学校(現:静岡市立清水桜が丘高等学校)に敗れベスト8となる。当校出身の世良公則などがスタンドに応援しに来た。(第72回全国高等学校サッカー選手権大会

著名な出身者[編集]

交通[編集]

最寄りの鉄道駅

脚注[編集]

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  1. ^ 福山葦陽、福山誠之館松永大門市立福山
  2. ^ 福山葦陽、松永、市立福山。

関連項目[編集]