広瀬治

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広瀬 治 Football pictogram.svg
名前
愛称 ヒロ
カタカナ ヒロセ オサム
ラテン文字 HIROSE Osamu
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1965-06-06) 1965年6月6日(53歳)
出身地 埼玉県与野市
(現さいたま市中央区)
身長 176cm[1]
体重 72kg[1]
選手情報
ポジション MF / DF
利き足 両足
■テンプレート(■ノート ■解説■サッカー選手pj

広瀬 治(ひろせ おさむ、1965年6月6日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー(リベロ)、ミッドフィルダー(守備的MF、攻撃的MF)。

来歴[編集]

小学校3年生の時にサッカーを始め、5年生の時にクラブチームの三菱養和SCへ加入。中学は地元の与野西中学校へ進学したが中学ではサッカー部に所属せず、引き続き三菱養和でサッカーを学んだ。

高校進学の際には「全国高校サッカー選手権でプレーをしたい」という希望から東京都の帝京高等学校へ進学。1年次からレギュラーの座を掴むと同期の平岡和徳と共に中盤を形成し、1983年の高校選手権でベスト4進出。3年次の全国高校サッカー選手権では膝の故障もあって万全のコンディションではなかった[2] が、同校の3度目の全国高校選手権制覇に貢献した。

高校卒業後の1984年4月に三菱重工業へ入社し、日本サッカーリーグ1部の三菱重工業サッカー部(現浦和レッドダイヤモンズ)に入部。加入初年度から出場機会を掴むと同年10月14日のJSL第13節、本田技研戦で初得点を決めると、その後も帝京高校の先輩である名取篤らと共に三菱の中盤を支え、2部リーグへ降格となった1989-90シーズンには25アシストを記録しJSL2部のアシスト王に輝いた。

1992年Jリーグ創設に伴い浦和レッドダイヤモンズが誕生すると名取と共にチーム最古参の選手としてチームを牽引。主に攻撃的MFを務め正確なプレースキックには日本リーグ時代から定評があった[3]。が、その一方で20代後半に差し掛かった広瀬のプレースタイルを「プレーが遅い」「厳しいプレッシャーの中では通用しない」と評する関係者もいた[3]

しかし、1995年ホルガー・オジェックが監督に就任すると守備的MFにコンバート。新人の土橋正樹とのコンビでレッズの中盤を構築すると、冷静な読みと正確無比なロングパス、ウーベ・バインへのリンクマンとしてのショートパス、強烈なドルシュート武器にサントリーシリーズ3位に貢献しオジェック体制で欠かすことの出来ない存在となっていった。オジェックは1995年の開幕前のインタビューで、「広瀬のような経験のある視野の広い選手と出合えて私は幸せだ。彼ほどングパスが正確な選手はめったにいない。」という主旨の発言をしている。翌1996年はギド・ブッフバルトを負傷で欠いたこともありリベロへコンバート。ブッフバルトの復帰後もこのポジションを務め、最後尾からチームを統率した。2000年に引退するまでいぶし銀のプレーで、前身の三菱時代を含め17シーズンにわたって同クラブの中盤を支え続けた。

現役引退後は指導者の道へ進み、浦和レッズジュニアユースのコーチに転身。浦和レッズユースの監督を経てトップチームのコーチを務めた。

人物[編集]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

2000年シーズン終了時の成績[4][5][6][7][8]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1984 三菱 20 JSL1部 13 1 1 1
1985 三菱 20 JSL1部 20 5 3 1
1986-87 三菱 20 JSL1部 22 0 2 2
1987-88 三菱 20 JSL1部 15 2 1 0
1988-89 三菱 JSL1部 16 0 2 0
1989-90 三菱 JSL2部 25 6 0 0 1 0 26 6
1990-91 三菱 6 JSL1部 18 1 1 0 2 0 21 1
1991-92 三菱 6 JSL1部 18 3 1 0 2 0 21 3
1992 浦和 - J - 7 0 3 2 10 2
1993 浦和 - J 26 2 1 1 2 0 29 3
1994 浦和 - J 18 4 2 0 0 0 20 4
1995 浦和 - J 49 2 - 2 0 51 2
1996 浦和 - J 24 4 9 0 4 0 37 4
1997 浦和 8 J 19 1 4 0 0 0 23 1
1998 浦和 8 J 23 0 4 1 2 0 29 1
1999 浦和 18 J1 13 0 3 0 2 0 18 0
2000 浦和 18 J2 7 0 0 0 0 0 7 0
通算 日本 J1 172 13 30 2 15 2 217 17
日本 J2 7 0 0 0 0 0 7 0
日本 JSL1部 122 12 13 4
日本 JSL2部 25 6 0 0 1 0 26 6
総通算 326 31 29 6

その他の公式戦

記録[編集]

指導歴[編集]

  • 2001年 浦和レッドダイヤモンズ ジュニアユースコーチ
  • 2004年 浦和レッドダイヤモンズ ユースコーチ
  • 2005-2006年 浦和レッドダイヤモンズ ユース監督
  • 2007-2008年 浦和レッドダイヤモンズ コーチ
  • 2009-2010年 浦和レッドダイヤモンズ 強化部
  • 2011年 浦和レッドダイヤモンズ コーチ
  • 2012年- 浦和レッドダイヤモンズ ユースコーチ

脚注[編集]

  1. ^ a b 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2000』、トランスアート、2000 ISBN 4-88752-102-2、161頁
  2. ^ 『サッカーダイジェスト』1985年1月号135頁
  3. ^ a b 『浦和レッズ10年史』26-27頁
  4. ^ 『1990-1991JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1990年 ISBN 4-523-31032-7
  5. ^ 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991年 ISBN 4-523-31033-5
  6. ^ 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993年
  7. ^ 『浦和レッズ10年史』ベースボール・マガジン社、2002年、ISBN 978-4583036854
  8. ^ R-File”. URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE. 2012年3月10日閲覧。

参考文献[編集]

  • 「THIS IS MY SOCCER LIFE 59」『サッカーダイジェスト』1985年1月号
  • 三菱自動車フットボールクラブ『RED DIAMONDS OFFICIAL HANDBOOK 1994』南雲堂、1994年 ISBN 4-523-31036-X

関連項目[編集]