庄地区

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庄地区
しょう
日章旗 日本
地方 中国地方山陽地方
中国・四国地方
都道府県 岡山県
自治体 倉敷市
旧自治体 都窪郡庄村
面積
13.80km²
世帯数
6,406世帯
総人口
15,295
登録人口、2015年9月30日現在)
人口密度
1,108.33人/km²
隣接地区 市内:倉敷地域菅生中庄
市外:
総社市山手
岡山市北区高松吉備
都窪郡早島町
倉敷市役所庄支所
倉敷市役所庄支所
北緯34度38分38.24秒 東経133度49分39.03秒 / 北緯34.6439556度 東経133.8275083度 / 34.6439556; 133.8275083座標: 北緯34度38分38.24秒 東経133度49分39.03秒 / 北緯34.6439556度 東経133.8275083度 / 34.6439556; 133.8275083
所在地 〒701-0111
岡山県倉敷市上東756番地
リンク 庄支所公式ページ
庄地区の位置
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庄地区(しょう ちく)は、岡山県倉敷市内の地域区分であり、東西に約3㌔、南北に約5㌔のほぼ長方形状に広がる平野である。同市東北部に位置し、庄地区の東側全域は南北に渡り岡山市に隣接しており、市境線を挟み岡山市との最前線的な立ち居地となっている。また最北部は東西全域に渡り、岡山市と総社市との境界線と隣接し、最南域は一部を除き東西に渡り別行政区となる早島町との境界線と隣接しており、所謂、コの字状に三方向で別市町村と隣接しており非常に珍しい地区となっている。

倉敷市の行政的には庄支所が管轄する地域をさす[1]。かつての都窪郡(つくぼぐん)・都宇郡庄村(しょうそん)にあたる。

上東(じょうとう)・下庄(しもしょう)・松島(まつしま)・二子(ふたご)・山地(やまぢ)・西尾(にしお)・日畑(ひばた)・矢部(やべ)・庄新町(しょうしんまち)・栗坂(くりさか)の各大字からなる。

なお、本項では旧庄村ついても述べる。

概要[編集]

当地域はかつて都窪郡(都窪郡発足以前は都宇郡)庄村であったが、1971年倉敷市編入合併した。現在の倉敷市松島、二子、下庄、上東、栗坂、山地、矢部、西尾、日畑、庄新町の字が該当地域である。

庄地区南部の四分の一くらいに下庄、松島、二子の三地区を連続して貫く形で岡山県道162号岡山倉敷線(旧国道2号)が東西に通っており、ロードサイド店舗が数多く立地している。またこの県道とほぼ平行して、1.5㌔㍍北側の上東、山地、二子の三地区を東西に連続して貫く形で山陽新幹線、同じく県道と平行して、1㌔㍍南側の下庄地区と栗坂地区の境界線上及び、下庄地区の西側に続く松島地区と栗坂地区の境界線上を東西に連続して貫く形で、在来線の山陽本線がそれぞれ敷設されている。この山陽本線の最寄り駅として、東側に庭瀬駅(にわせ)、西側に中庄駅(なかしょう)があり、通勤通学の便は非常に高く、これらの交通網の発展も人口増加の大きな要因である。

更に地区内で直接出入りできる施設はないが、庄地区の最北西部の山地・日畑・二子の三地区の連なる片隅をかすめる様に、山陽自動車道も通っている。

現在の様な大規模な人口密集地域に至った経緯としては、昭和40年代末期からのマイホームブームに乗る形で、矢部地区、西尾地区、日畑地区の三地区にわたり跨っている小高い丘陵地が大規模に開発・造成され、庄パークヒルズと言う団地名で売り出された。この分譲地には、わずか十年程の間に一千戸近くに及ぶ建売住宅が完成し、最初の人口増加の原因となった。この三地区に跨ったニュータウンの新しい地区名称は、矢部地区、西尾地区、日畑地区の元々被っていた区画だけ総括して、後に10番目の地区名となる庄新町として現在に至っている。またこの造成の過程で、後に高名となる楯築遺跡(たてつきいせき)が発掘され現在も原状保存されている。

この影響で、学童数も庄パークヒルズが分譲される直前までは、小〜中学校迄の一学年毎の教室が2教室(極稀な年度でも3教室)体制を維持していたが、約10年間でピーク時には6教室へと3倍近くに増え、これをきっかけに地元の庄幼稚園・庄小学校・庄中学校が増築され、倉敷市立庄保育園も新設された。特に小学校では、急増する児童数に追いつけず、一時的にプレハブの校舎を建てて対応し、またそれまで長年使用して来た中学校のプールでの共用をやめて新たに専用プールを新設した。更に校舎増築の用地確保のために、潰してしまったグラウンドの新たな建設用地として、小学校・中学校どちらも学校敷地南側にあった農地を買収し、一斉に代替グラウンドを建設し、2017年現在に至っている。しかし、近年は少子化の影響で、空き教室も目だっている。

南西部に接する中庄地区北東部に中庄駅があり、さらに庄地区南西部の松島地区や二子地区に川崎医科大学・川崎医療福祉大学他、清心中学校・清心女子高校があるため、特に隣接する松島地区、下庄地区、二子地区、上東地区を中心に、庄地区全体に新興住宅地が多く造成され、人口が大幅に増加した。このため、中庄駅周辺は庄・中庄両地区を跨いで学生街の様相を呈している。この中庄駅周辺地区は近年発展が著しい(なおこの地区に関しては、便宜上中庄のページにて詳細を記述している)。

また倉敷市中心部と岡山市中心部のほぼ中間地点を利点とする、前記の岡山県道162号岡山倉敷線に沿って南側約1.5㌔㍍にある小高い山頂に、東西約2㌔㍍に連なる大規模な流通団地が計画され、2000年頃にほほ完成した岡山県総合流通センターがあるため、人口増加に拍車が掛かっている。

地勢[編集]

当地域は北部と南部に丘陵地を控え、中部に広い平野が広がる。平野部は古くは海域であり、現在の海抜は約1.8メートルほどである。平野部の中央西寄りには松島という小さな山塊があり、前述の海域時代、その名の通り島であった。現在は川崎医療短大全域及び、川崎医大付属病院の一部が丘上に立地している[2]

北部丘陵は、福山丘陵西部にあたり、日差山・仕手倉山・高鳥居山などがあり、標高224メートル仕手倉山が最高峰である[2]

南部の丘陵地は早島山塊の一部で、海域時代は島嶼であり、早島あるいは隼島、もしくは鳥羽島などと呼ばれた[2]

当地東側を南北に足守川が流れ、天井川となっている。また、天井川からの分流水路の六間川が当地中央を東西に流れる[2]

歴史・沿革[編集]

歴史[編集]

当地域は、古代には備中国都宇郡に属し、当地北側丘陵一帯は深井郷の一部で、南部の栗坂がある南部丘陵(早島丘陵)は撫川郷(なつかわごう)の一部であったといわれている。総社市湛井付近で東西分岐した高梁川の東派川が当地域東側で海にいたり、当地は河口部の海浜地域だったとされている。栗坂のある南部丘陵地はその沖合の島嶼であったとされる。当地内の上東から港に関連する遺跡が出土しており、都宇郡は「津」に由来する名称であることから、当地が海浜地域であったことが伺える。備中国の国府津が当地にあったとの説もある。上東遺跡からは、弥生時代の弥生式土器なども出土しており、かなり古い時代から港として栄えていたとされる。また、当地北部の丘陵地には王墓山古墳をはじめとす大小の古墳が多数発見されており、『正倉院文書』には「深井郷岡田里」がみえ、奈良時代にはこの地に津臣が居住していたことも記されており、古くから重要拠点であったとわかる[2]

その後、福山丘陵南東麓の沿岸地帯と早島の間の海峡部一帯に万寿庄と呼ばれる荘園が発達し、同荘園は万寿西庄・同中庄・同東庄に別れ、当地は東庄にあたると推定されている。京都新熊野神社の養和元年の文書によると、万寿の三庄はこれより先、後白河法皇が新熊野神社に社領として寄進、室町時代まで同社領として続いた。中世に活躍した備中青江刀匠の中には万寿東庄を拠点にしたものもおり、助次なる名刀も存在した[2]

島嶼であった早島丘陵との間は、早くて平安期、遅くとも戦国時代には干拓されて、陸続きとなったと推測されている。しかし、沼沢地が多かったと推定され、宇喜多秀家が家臣の岡利勝に命じた大干拓が行われるまでは耕作可能地は限られた[2]

江戸時代には、東庄村・上庄村西組・上庄村東組・下庄村北組・下庄村南組・松島村・山地村・二子村・矢部村・西尾村・日畑村西組[3]・栗坂村の各村が独立村として存在している。時期によって領地支配は異なり、幕末期においては、下庄村北組・同南組・上庄村東組・山地村・西尾村・日畑村西組、栗坂村は幕府領倉敷支配所、東庄村と上庄村西組は倉敷支配所と早島知行所との相給地、松島村は生坂藩、二子村は帯江知行所、矢部村は庭瀬藩の各支配となっていた[2]

明治になり、上庄村西組と東庄村が合併し、上東村となり、その後上東村と前述の村々が合併し庄村が誕生した[2]

江戸時代、当地の中央付近を東西に鴨方往来(庭瀬往来)が貫通しており、また同じく東西に流れる六間川は舟運に用いられていた。近現代になり、鴨方往来の代わりに国道2号線(現在県道162号線)が敷設され、岡山倉敷を結ぶ主要道路として交通量は次第に増加していき、その近辺には諸工場もでき、また丘陵地には開発面積の広い住宅団地も造成され人口が急増している 概要でも詳しく触れているように、川崎学園や清心学園などの教育機関の開学、医療機関の開設、保養施設の開業など幹線道路周辺地を中心に農村から次第に都市化している。ただし数多い史跡や文化財の保護、農地用水路の保全により郊外型農村の姿を多く残す[2]

年表[編集]

年月日 出来事
1889年6月1日 都宇郡松島村、二子村、下庄村、上東村、栗坂村、山地村、矢部村、西尾村、日畑村(西組)の地域をもって新たに都宇郡庄村を新設。
1900年4月1日 都宇郡と窪屋郡が合併し、新たに都窪郡となる。
1964年 清心中学校および清心女子高等学校が岡山市より二子に移転される。
1970年 川崎医科短期大学が松島に開学される。
1971年3月8日 庄村が倉敷市に編入合併。
1973年 川崎医科大学付属病院が松島に開設される 倉敷消防署庄出張所が開所する。
1988年 山陽自動車道が開通。
1991年 川崎医療福祉大学が松島に開学される。

人口・世帯数[編集]

平成24年9月末現在[4]

地区の人口・世帯数
町字 世帯数 男性人口 女性人口 総人口 備考
上東 1741 2316 2349 4665
下庄 579 741 739 1480
栗坂 336 420 455 875
松島 868 694 793 1487
二子 530 504 619 1123
山地 575 742 782 1524
西尾 164 203 205 408
日畑 219 300 313 613
矢部 177 213 244 457
庄新町 959 1143 1265 2408
合計 6148 7276 7764 15040

郵便番号[編集]

全域が倉敷郵便局の集配担当区域に当たる。

  • 日 畑 - 701-0101
  • 庄新町 - 701-0102
  • 西 尾 - 701-0103
  • 山 地 - 701-0104
  • 矢 部 - 701-0105
  • (欠番) - 701-0106〜0110
  • 上 東 - 701-0111
  • 下 庄 - 701-0112
  • 栗 坂 - 701-0113
  • 松 島 - 701-0114
  • 二 子 - 701-0115

施設[編集]

公共機関
教育機関
大規模医療機関
商業施設
飲食店
娯楽施設
  • 瀬戸大橋温泉やま幸 - 下庄
  • サンフラワー - 松島
企業
  • テクノバレー岡山 - 栗坂
  • 倉敷繊維加工 倉敷工場 - 下庄
  • テクノホーナン - 下庄
  • シモハナ物流グループ 岡山物流 - 下庄
  • 岡山エレクトロニクス - 下庄
観光地・名所
  • 鯉喰神社 - 矢部
  • 楯築遺跡 - 矢部
  • 王墓山古墳群 - 矢部
  • 岩倉神社 - 日畑
  • 日幡城跡 - 日畑
  • 上東遺跡 - 上東
  • 日差寺 - 山地

庄村[編集]

しょうそん
庄村
廃止日 1971年3月8日
廃止理由 編入合併
庄村 → 倉敷市
現在の自治体 倉敷市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
中国・四国地方
都道府県 岡山県
都窪郡
団体コード 33425-1
面積 13.87km2.
総人口 6,957
(1971年)
隣接自治体 東:都窪郡吉備町
西:倉敷市・都窪郡山手村
南:都窪郡早島町
北:岡山市
庄村役場
所在地 岡山県都窪郡庄村大字上東784
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旧 村役場[編集]

明治22年6月1日、町村制施行時に、上東字才ノ後の一民家を買収して、役場をこしらえた。その後幾度かの改良が加えられ拡張していき、拡張に限度がくると、その後方の土地を買収して新庁舎を建築した[2]

倉敷市に合併後、新庁舎は庄支所として使用されている[2]

歴代村長[編集]

氏名 就任年月日 備考
内田泰造 明治22年7月15日
2 内田泰造 明治26年7月13日
3 内田泰造 明治30年7月10日
4 内田泰造 明治34年7月3日
5 内田弥太郎 明治35年10月5日
6 内田弥太郎 明治39年10月3日
7 内田弥太郎 明治43年10月1日
8 内田弥太郎 大正3年8月27日
9 内田弥太郎 大正4年9月8日
10 内田弥太郎 大正8年9月27日
11 内田弥太郎 大正12年9月27日
12 内田弥太郎 昭和2年9月28日
13 内田弥太郎 昭和6年9月28日
14 内田善介 昭和8年9月26日
15 内田善介 昭和12年9月13日
16 内田善介 昭和16年9月13日
17 難波晴太郎 昭和20年10月16日
18 難波晴太郎 昭和22年4月5日
19 難波晴太郎 昭和26年4月23日
20 平野茂武 昭和30年4月30日
21 小山真三郎 昭和34年4月30日
23 小山真三郎 昭和38年4月30日
24 小山真三郎 昭和42年4月30日 昭和46年3月8日
庄村が倉敷市へ編入合併

歴代助役[編集]

氏名 就任年月日 備考
平松明治 明治22年9月7日
2 平松明治 明治26年9月5日
3 犬飼源太郎 明治26年9月5日
4 犬飼源太郎 明治30年10月1日
5 中村偕三郎 明治31年11月18日
6 中村偕三郎 明治33年4月1日
7 犬飼里十郎 明治35年4月18日
8 中村偕三郎
犬飼里十郎
明治39年4月13日 二人制
9 犬飼里十郎 明治43年4月18日
10 平松玖馬太
内田孫六
明治45年4月6日 二人制
11 平松玖馬太
内田孫六
大正5年3月31日 二人制
12 平松玖馬太 大正9年4月8日
13 犬飼琴二 大正11年3月27日
14 犬飼琴二 大正15年4月2日
15 犬飼琴二 昭和5年3月28日
16 目黒文七 昭和5年9月20日
17 目黒文七 昭和9年9月25日
18 目黒文七 昭和13年9月13日
19 目黒文七 昭和17年9月29日
20 森田寿治 昭和21年4月30日
21 森田寿治 昭和25年4月24日
22 森田寿治 昭和29年4月19日
23 三宅尚 昭和33年5月1日
24 三宅尚 昭和37年5月1日
25 三宅尚 昭和41年5月1日
26 三宅尚 昭和45年5月1日 昭和46年3月8日
庄村が倉敷市へ編入合併

歴代収入役[編集]

氏名 就任年月日 備考
内田弥太郎 明治22年8月10日
2 中村祥三 明治23年10月31日
3 中村祥三 明治27年11月1日
4 中村祥三 明治31年11月1日
5 難波九一郎 明治35年10月23日
6 難波九一郎 明治39年10月18日
7 難波九一郎 明治43年10月1日
8 難波九一郎 大正3年10月21日
9 三宅治郎 大正7年8月13日
10 三宅治郎 大正11年8月10日
11 三宅治郎 大正15年8月17日
12 三宅治郎 昭和5年8月11日
13 三宅治郎 昭和9年8月17日
14 三宅治郎 昭和13年8月17日
15 三宅治郎 昭和17年8月17日
16 森田寿治 昭和18年4月30日
17 平松斐太 昭和21年5月4日
18 平松斐太 昭和25年4月29日
19 平松斐太 昭和29年4月19日
20 坪井富貴雄 昭和33年5月1日
21 坪井富貴雄 昭和37年4月23日
22 内田泰助 昭和40年1月29日
22 内田泰助 昭和44年1月29日 昭和46年3月8日
庄村が倉敷市へ編入合併

歴代村議会議長・副議長[編集]

昭和22年4月の地方自治法施行以降を記す。

議長氏名 副議長氏名 就任年月日 備考
真辺近治 山崎益治
赤木一太 多田幾二 昭和22年4月30日
井上寛一 千田左馬雄 昭和26年4月23日
秋山泰蔵 吉田謙三 昭和30年4月30日
小野美能吉 小田吉治 昭和34年4月30日
小田吉治 内田圭雄 昭和38年4月30日
小田吉治 板谷寅夫 昭和42年4月30日 昭和46年3月8日
庄村が倉敷市へ編入合併

参考文献[編集]

  • 庄村誌編纂委員会『庄村誌』1971年、倉敷市

脚注[編集]

  1. ^ 倉敷市は平成23年3月に策定した「都市計画マスタープラン」[1]の「地域別まちづくりの方針<地域別構想>」[2]において、庄支所管轄範囲を庄地区と設定している。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 庄村誌編纂委員会『庄村誌』1971年、倉敷市
  3. ^ 現在の同地日畑にあたる。日畑村東組は現在の岡山市北区納所にあたる。
  4. ^ 人口月報|倉敷市

関連項目[編集]