庭田幸子

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庭田 幸子(にわた ゆきこ、元中7年(1390年) - 文安5年4月13日1448年5月24日))は、室町時代女性。初名は経子。女房名は今参局、二条局、南御方。院号は敷政門院。父は庭田経有、母は善照房(『尊卑分脈』では飛鳥井雅冬の娘とされるが、『看聞日記』ではその兄弟である飛鳥井雅家の娘であるとする記述がある)。

後崇光院伏見宮貞成親王の仕女であるが、親王の『看聞日記』をみるかぎり他に親王の妻に当たる女性はなく、事実上の正室格であったとみられる。二男五女の母で、現在の皇室の先祖に当たる後花園天皇が第一皇子、旧皇族11宮家の先祖に当たる伏見宮貞常親王は第二皇子である(即ち男系女性としては皇室と旧皇族11宮家の最後の共通先祖に当たる)。

貞成親王の日記『看聞日記』では、当初「今参局」と呼ばれ、その後応永26年1月10日に「二条局」へ改名。応永32年、栄仁親王仕女廊御方から伏見宮家の「宮中家務」を継承した。その後永享元年九月以前に「南御方」へ改称。

将軍足利義教とその室正親町三条尹子からの信頼が厚く、永享6年(1434年)3月16日、尹子の二品宣下と同時に従三位に叙任、この時に名を経子とする。文安元年(1444年)4月26日、准三后となり、幸子と改名。文安5年(1448年)3月4日に院号宣下、同年4月13日に59歳で薨去