庵野秀明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
検索に移動
あんの ひであき
庵野 秀明
庵野 秀明
本名 庵野 秀明(あんの ひであき)
別名義 あんの ひであき
アンノ ヒデアキ
空母そ・そ・そ・そ
生年月日 (1960-05-22) 1960年5月22日(60歳)
出生地 日本の旗 山口県宇部市
国籍 日本の旗 日本
血液型 A型
職業 映画監督
プロデューサー
アニメーター
ジャンル アニメーション映画
実写映画
テレビアニメ
配偶者 安野モヨコ
著名な家族 小島功義叔父
公式サイト 庵野秀明公式web
主な作品

テレビアニメ


アニメーション映画


実写映画


OVA


OV


PV

テンプレートを表示

庵野 秀明(あんの ひであき、1960年5月22日 - )は、日本アニメーター映画監督実業家カラー代表取締役社長株式会社プロジェクトスタジオQ創作管理統括。株式会社でほぎゃらりー取締役。NPO法人アニメ特撮アーカイブ機構理事長。山口県宇部市出身。山口県立宇部高等学校卒業。大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現・映像学科)除籍。血液型はA型。妻は漫画家安野モヨコ

別名義として、アニメーションを手がける際のあんの ひであきアンノ ヒデアキ作詞家としての空母そ・そ・そ・そ樋口真嗣との作詞コンビHIDE&シンディー♡などがある。

代表作に『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』、第18回日本SF大賞受賞作の『新世紀エヴァンゲリオン』などがある。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

幼い頃よりアニメ特撮、そして大規模建造物等に夢中でよく絵を描いていたという。また、漫画少年でもあり、中学生の頃は特に少女漫画を大量に読んでいた[1]。庵野の父親は若い頃に事故で左足の膝から下を失っており義足であった。朝日新聞「おやじの背中」(1999年8月30日)で、父親のその姿に影響を受けていること、完全なものは好きになれない、自分にとっては何かが壊れ、欠けていることが普通であると語っている。

山口県立宇部高等学校での高校生時代には、美術部で部長を務めるほどの画力を有していた。アマチュア映像制作グループ「グループSHADO」にも所属し、自主制作の映像作品『ナカムライダー』が、文化祭で上映された。

大学生時代[編集]

高校卒業後は就職せず、遊んでばかりいたために親に心配され、一浪を経て、当時、入試が実技のみであった大阪芸術大学映像計画学科に進学する。受験対策は宮崎駿らの絵コンテ等を見て勉強したという[2]

同じ学科の同級生には南雅彦西森明良などの同業者、広告デザイナーの碇義彦や漫画家の島本和彦および士郎正宗等も在籍していた。士郎とは学生時代の面識・交流の有無は不明だが、後に『アップルシード』『蒼きウル(未発表)』にて互いにスタッフとして参加している。

サークルはSF研究会に所属。入学当初、同級生の山賀博之赤井孝美らと班を作る。なお、この頃の庵野について、画力は「特にメカの描写は圧倒的であった」と後に山賀が語っており、学生生活の様子は島本和彦の漫画作品『アオイホノオ』に詳しく描かれている。

その頃、2回生に誘われた自主制作アニメに熱中し、山賀達との自主製作映画グループである「DAICON FILM」の主要メンバーとして参加した、大阪で開催のSF大会では異例であったオープニングアニメーションや、特撮作品等を製作し、プロをも驚かせ高い評価を受けた。この時、スタジオぬえのメンバーに誘われ山賀達と『超時空要塞マクロス』の制作に参加し、アマチュアのアルバイトであるが、数話分の動画から原画までを担当した。この時に描いた爆発シーンが各所で評価され、仕事が来るようになったという[3]。また、『アニメージュ』に掲載された、劇場アニメ『風の谷のナウシカ』の人手不足のための作画スタッフの募集告知を見て上京し、原画担当として採用される[3]

学校生活では、共同実習にしか出席せず、学費も未納状態であったため、3回生時に除籍処分を受けるが、通学しなくなったのは、単位さえ取れればそれでいいという、周囲のやる気のない学生に付き合って在籍し続けるよりも、自分の作品を作り続ける方が意義があるとの考えからとのことである。なお、この時にはすでに『風の谷のナウシカ』への参加に伴う上京が決まっていた。また、漫画家を目指そうとした時期もあったが、漫画の才能は無いとの考えから断念している[4]

アニメーター時代[編集]

上京し、劇場アニメ『風の谷のナウシカ』、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』やOVAメガゾーン23』等の商業作品に参加し、メカや爆発シーン等のエフェクトアニメーションを手がける。『風の谷のナウシカ』では、採用時に持参した大量の原画が宮崎駿に評価され、難しいとされるクライマックスの巨神兵登場のシーン担当に抜擢された。この時、人物も描くよう監督から指示されるも、出来が悪かったため監督本人に頼んだというエピソードがある[5]。この頃から原画・動画一筋でやっていくのは無理だと考え、監督・演出の仕事をメインに切り替える。ちなみに、パンフレットに記載されている「巨神兵の呪いを受けて腹を壊したA氏」は庵野の事である。なお、師匠として、宮崎及び『超時空要塞マクロス』の板野一郎[3]の名前を挙げており、特に宮崎からは監督としての仕事の進め方等を学んだという[6]。また、『機動戦士ガンダム』の富野由悠季らも含め、アニメーション界を代表する作家の仕事に参加できたことをとてもラッキーだったと語っている。

その後、DAICON FILMを母体とするガイナックスの初作品『王立宇宙軍 オネアミスの翼』には「スペシャルエフェクトアーティスト」という肩書きで参加[7]。クライマックスシーンでは、戦闘・ロケット発射シーンは絵コンテから作画までほとんどを1人でこなした。セルを1コマに9枚重ね、3秒間でセル枚数が250枚にも上るカットもあるという。当時、戦車やミサイルなどに極限のリアリティを追求しており、手当たり次第に軍事関係の資料に目を通し、自衛隊にも体験入隊している。

『トップをねらえ!』『ふしぎの海のナディア』[編集]

監督作品である『トップをねらえ!』及び『ふしぎの海のナディア』は、前者はOVAで発売され、後者はNHK総合テレビジョンで放送された。

  • 『トップをねらえ!』第5話戦闘シーンの収録の際、主演の日髙のり子に「自ら必殺技名を絶叫してみせる」という体当たりの演技指導を行ったという逸話がある。[8]
  • ナディアのグランディス一味が「タイムボカンシリーズ」における三悪の変形版になったのは自身のアイディアだという。また、ハンソンの口癖「そ、そ、そ、そ」は庵野の口癖である[9]
  • 主人公ナディアの性格は当時の性格の反映で、ナディアが冷たかったりわがままに描かれているのは、恋して振られた時の、自身の女性観を元にしたためとのことである。他にも「南の島編」での暴走ぶりも「周りから見た庵野監督」をモチーフにしていた。また、下記に記載している「偏食家であり、と魚は一切食べられない」というのもナディアの特徴であり、庵野がモチーフである[要出典]
  • キングについては当初は「実は宇宙人」との設定が構想にあり、最終回ではキングの着ぐるみを脱いで正体を現す予定だったが、周囲の反対でこの構想はなくなった[10]

『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズ[編集]

1995年平成7年)にテレビ東京の18時のアニメ枠で放送開始され、1997年(平成9年)以降は劇場版として制作されている。「庵野監督の代表作」として真っ先に名前が挙がる作品であり、数々の受賞歴がある。

TVシリーズ後半、特に最終回2話とその前の展開について、パソコン通信上で激しい議論が繰り広げられ、批判意見も多くあった。この現象については、議論内容よりも「パソコン通信にハマる人たちは『現実世界に帰れ』」と苦言を呈している[11]。また、TV放映後から劇場版公開頃の『エヴァブーム』当時、インターネット上のチャット電子掲示板上での作品論争を「便所落書き」と言い放っている[12]

実写映画への進出[編集]

新世紀エヴァンゲリオン』制作終了後、実写方面への進出(『ラブ&ポップ』『式日』『キューティーハニー』)を経て、それ以降のアニメ作品では、いわゆる「実写畑の声優・つまり俳優」を起用することが多くなる。これは「職業声優の限界」を感じ、新しい可能性を模索するためだという。幾原邦彦の紹介で舞台にも非常に惹かれているが、まだ取り組めないので映画を作ることにした、とインタビューに答えている[13]

結婚[編集]

2002年(平成14年)3月26日に、共通の知人である貞本義行による紹介が縁で知り合った、漫画家の安野モヨコ結婚4月28日に「ダブルアンノの結婚を祝う会」と称した結婚披露宴パーティーが行われ、新夫側の主賓に宮崎駿、新婦側の主賓に桜沢エリカがそれぞれスピーチを行った。庵野自身は安野の『ハッピーマニア』等を読んでおり、高く評価していた。偶然にも姓の読みは双方とも「あんの」であるため、「Wアンノ」と話題になり、安野モヨコ自身も奇しくも本名が「アンノ」と非常に珍しい名字となった。

安野の漫画作品『監督不行届』で結婚生活が描写されている。作中での呼び名は「カントク(庵野)」「ロンパース、モヨ(安野)」。また、結婚を機に安野の食事管理によって、体脂肪率40%越えから180cm73kg体脂肪率22%までの減量に成功した。身の回りにも無頓着で、充分な収入がありながら風呂の壊れたアパートに住んでいたため、結婚前は1年間風呂に入らなかったり、洗濯もせずに服はボロボロになるまで着用し、汚れたら捨てる、という生活だったが、安野との生活で、4・5日おきに着替え、1日おきに入浴するようになった。作中では庵野がアルマーニを試着する様子も紹介されている。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズへ[編集]

2006年平成18年)に、アニメ制作会社「株式会社カラー」を設立し、それまで名を連ねていたガイナックスの取締役から退いている。新スタジオでの第一作目は、2007年(平成19年)9月1日に全国主要映画館にて封切りされた『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』四部作の1つ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』であった。2009年(平成21年)6月27日には『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』、2012年(平成24年)11月17日に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』、2021年(令和3年)3月8日に完結編の『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が封切りされ、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズは完結した。

2011年平成23年)に平野勝之監督の『監督失格』を実写初プロデュース作品として手掛けた。2013年平成25年)には、宮崎駿の長編アニメーション映画『風立ちぬ』の主人公・堀越二郎役で声優デビューした。

2014年平成26年)に第27回東京国際映画祭の企画で「庵野秀明の世界」が開催。学生時代からの映像作品がTOHOシネマズ日本橋で上映、トークセッションも開催された[14]

2015年(平成27年)4月1日2016年に公開予定の「ゴジラシリーズ」新作で、脚本と総監督を務めることが発表された[15]。2015年秋から撮影開始し、2016年7月29日に『シン・ゴジラ』のタイトルで公開された。

2017年(平成29年)5月8日、NPO法人『アニメ特撮アーカイブ機構』を設立し、代表を務める[16][17]

作風[編集]

作風については#来歴の項目も参照のこと。

アニメ・特撮マニア[編集]

  • 観る側でもアニメや特撮物のマニアであり、特に、中学生ごろに出会った『宇宙戦艦ヤマト』や幼少時代に出会った『ウルトラマン』には非常に影響を受け[18]、特に宇宙戦艦ヤマトは原作者の西崎義展との対談でも自身の人生を変えた作品であることを語っている[19][20]
  • 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の『逆襲のシャア友の会』なる同人誌を出版。ゆうきまさみ出渕裕美樹本晴彦北爪宏幸幾原邦彦鈴木敏夫等のメンバーが参加しており、自身と押井守富野由悠季らとの対談が収録されている[21]
  • 機動戦士Vガンダム』は当時、自身はハマっていたが、周囲では評判が芳しくなかったため、アニメ誌での特集を働きかけたり、ガイナックスで原画を手伝ったこと、同時に「自分にとって本作が最後の富野作品」と話している[22]
  • 2013年に発売された、初代ガンダムのキャラクターデザイン及び作画監督を務めた安彦良和の特集本の責任編集を手掛け、同書では安彦、同作で原画を担当した板野一郎と庵野による師弟&孫弟子の座談会が収録された[23]
  • 特撮作品では「ウルトラシリーズ」の大ファンで、特に『帰ってきたウルトラマン』に熱中したといい、大学時代には『ウルトラマン』の8ミリ映画を自主制作している。なお、高校時代に8ミリフィルムのカメラを購入している[24]DAICON FILM1983年(昭和58年)に製作した『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』では、総監督と顔出しのウルトラマン役で自ら出演(主演)した。なお、この作品は後年、円谷プロの許諾を得て、ガイナックスから期間および通販限定のDVDソフトとして発売された。また、ゼネラルプロダクツから販売された「帰ってきたウルトラマンTシャツ」用の素材イラストも手掛けている。また、自身の作品への影響として、"首都"東京に定期的に怪獣が出没し、それを迎撃するための組織があり、巨大ヒーローは数分間しかフル活動できないというウルトラシリーズの特徴的だった設定と展開が、そのまま『新世紀エヴァンゲリオン』に受け継がれている。
  • 庵野と同じく『帰ってきたウルトラマン』のファンである小谷野敦によれば、『帰ってきたウルトラマン』のメインキャストである西田健を偶然、バーで見かけて、感動し涙を流したという[25]町山智浩は『新世紀エヴァンゲリオン』や『シン・ゴジラ』に『帰ってきたウルトラマン』の強い影響、とりわけ第5・6話の影響を指摘した[26]
  • コロタン文庫『ゴジラ怪獣全百科』の巻末に自ら描いたメーサー殺獣光線車などのイラストつきエッセイを掲載している。
  • 東京都現代美術館2012年7月10日より開催された展覧会「館長 庵野秀明特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」のプロデュースを担当し、会場で上映された短編特撮映画『巨神兵東京に現わる』の脚本などを手がけた。
  • 他にも時代劇『大江戸捜査網』のファンでもあり、『新世紀エヴァンゲリオン』が同じテレビ東京系列で放送されていたことから、知り合いの関係者に『大江戸捜査網』のソフト化を働きかけることも多かったという[27]

略歴[編集]

監督作品[編集]

TVアニメ[編集]

  • ふしぎの海のナディア[33](1990年 - 1991年)総監督、脚本(ノンクレジット)、絵コンテ(1話、9話)、作画監督(34話、37話)
  • 新世紀エヴァンゲリオン(1995年 - 1996年)監督、メカニックデザイン、脚本(1話 - 3話、5話 - 26話)、絵コンテ(OP、1話、2話、7話、10話、14話、20話、23話 - 26話)、原画(2話、20話、26話)
  • 彼氏彼女の事情(1998年 - 1999年)監督、音響監督、脚本(1話 - 18話、20話 - 23話、26話)、絵コンテ(OP、26話)、構成(14話)、劇メーター(19話)

長編アニメ映画[編集]

OVA[編集]

  • トップをねらえ!(1988年 - 1989年)監督、脚本(5話、6話)、画コンテ(1話 - 6話)、設定(5話、6話)、原画(5話、6話)
  • Re:キューティーハニー(2004年)総監督、演出(3話)、原画(オープニング、3話)

実写映画[編集]

その他監督作品[編集]

その他参加作品[編集]

劇場アニメ[編集]

テレビアニメ[編集]

OVA[編集]

自主制作作品(DAICON FILM作品)[編集]

実写映画[編集]

書籍[編集]

  • 庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン(1997年3月、太田出版大泉実成と共著
  • 庵野秀明 パラノ・エヴァンゲリオン(1997年3月、太田出版)竹熊健太郎と共著
  • THE END OF EVANGELION 僕という記号(1997年8月5日、幻冬舎)本編の台詞で構成された詩集
  • シナリオ ラブ&ポップ(1998年2月、幻冬舎文庫)薩川昭夫と共著
  • マジック・ランチャー(1998年6月、デジタルハリウッド出版局)岩井俊二と共著
  • 庵野秀明のフタリシバイ―孤掌鳴難(2001年7月 、徳間書店
  • ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ(2016年12月、グラウンドワークス)編集

その他[編集]

  • 王立宇宙軍 パイロットフィルム(1985年)作画監督
  • ビクターハイパーロボットコンポ(CM、1987年)絵コンテ、原画
  • 龍騎兵団ダンザルブ(ゲーム、1993年)キャラクター・メカニック・モンスターデザイン
  • 新・トップをねらえ!科学講座(特典映像、1994年)プロデューサー、脚本、音響
  • シズラープロジェクト(特典映像、2001年)原画
  • アニメ店長(PV、2002年)友情監督
  • SH-06A NERVスマートフォン、2009年)デザイン
  • 矢野顕子プロモーションビデオ「しあわせなバカタレ」(PV、2011年)プロデューサー
  • コンテンツビジネス最前線 ジャパコンTV(PV、2012年)OP原画
  • 安堂ロイド〜A.I. knows LOVE?〜(実写テレビドラマ、2013年)コンセプト・設定協力
  • Peaceful Times(F02)petit film(PV、2013年)監修
  • 日本アニメ(ーター)見本市(Webアニメ、2014年 - )
    • 企画立案・エグゼクティブプロデューサー・「(ーター)くん」キャラクターデザイン
    • 安彦良和・板野一郎 原撮集(2015年)構成・編集
    • until You come to me.(2015年)原作・レイアウト(共同)
    • evangelion:Another Impact(Confidential)(2015年)原作
    • おばけちゃん(2015年)原画協力・特技監修
    • ザ・ウルトラマン(2015年)エグゼクティブプロデューサー
  • シン・ゴジラ対エヴァンゲリオン交響楽(オーケストラコンサート、2017年)エグゼクティブ・プロデューサー
  • 準天頂衛星システム「みちびき」2~4号機ミッションロゴ(2017年)監修

その他の自主制作作品[編集]

  • 閉じた部屋の中で(1977年)
  • ナカムライダー(1978年)
  • UBEKOSEI(1978年)
  • 宇部高美術部作品集(1978年)
  • 反戦(1978年)
  • ことわざ辞典 へたな鉄砲も数うちゃあたる!(1979年)
  • みず(1980年)
  • バス停にて…(1980年)
  • じょうぶなタイヤ!SHADOタイヤ(1980年)
  • 空中換装(1980年)
  • ザク(1980年)
  • レーゾー庫を開けたら戦車がとび出した!!(1980年)
  • ウルトラマン(1980年)
  • ウルトラマンDX(1981年)
  • TEA TINE(1981年)
  • パワードスーツ!装甲強化服(1981年)

出演[編集]

映画・OV[編集]

TV[編集]

CM[編集]

その他[編集]

  • ナディアおまけ劇場(1991年)監督、脚本、出演
  • NEON GENESIS EVANGELION ADDITION『終局の続き(仮題)』(脚本、演出、出演)
  • JMSDF FLEET POWERS(出演、映像監修)

庵野秀明をモデルとしたキャラクター[編集]

受賞歴[編集]

星雲賞
日本SF大賞
アニメーション神戸
  • 96'(第1回アニメーション神戸)個人賞(『新世紀エヴァンゲリオン』)
東京アニメアワード
ヨコハマ映画祭
  • 第20回新人監督賞(『ラブ&ポップ』)
  • 第38回特別大賞(『シン・ゴジラ』)
日本アカデミー賞
  • 第21回話題賞・作品部門(『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』)
  • 第31回優秀アニメーション作品賞(『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』)
  • 第33回優秀アニメーション作品賞(『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』)
  • 第36回優秀アニメーション作品賞(『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』)
  • 第40回最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀編集賞(『シン・ゴジラ』)
東京国際映画祭
日本映画プロフェッショナル大賞
日本映画批評家大賞
ブルーリボン賞
  • 第59回作品賞(『シン・ゴジラ』)
東京スポーツ映画大賞
  • 第26回監督賞(『シン・ゴジラ』)
キネマ旬報ベスト・テン
  • 第90回脚本賞(『シン・ゴジラ』)
芸術選奨
  • 第67回映画部門文部科学大臣賞(『シン・ゴジラ』)
文化庁メディア芸術祭
  • 第20回エンターテインメント部門大賞(『シン・ゴジラ』)

その他・逸話[編集]

  • 宮崎駿には反発した時期もあり、庵野が宮崎監督作品を「つまらない映画」と評したこともあった。が、『新世紀エヴァンゲリオン』放送終了後、庵野が危ないという噂を聞いた宮崎は電話をかけ、「作れるようになるまで休めばいい」「あれだけのものを作ったんだから、人も金も集まってくる」と庵野を励まし、庵野は宮崎の言葉にかなり助けられたという[41]
  • 1984年(昭和59年)に、原画として参加した『風の谷のナウシカ』で、後に作中の登場人物クシャナを主人公にした外伝を作りたいと申し出るが、宮崎駿は庵野の企画を戦争ごっこをやりたいだけなのだとし、くだらない最低のものになるのが決まっているからと却下している[42]。『ナウシカ』の漫画作品の連載がクライマックスを迎えた頃には、映画会社内で続編の企画が存在したが、宮崎の意向により、制作は行われず企画は立ち消えとなった[43]。しかし、2013年に「僕は続編をやる気はない。でも庵野がやりたいやりたいと言うから、やるならやっても良いと思うようになって行ってます」と発言[44]鈴木敏夫によると、2016年時点では既に宮崎本人から続編を手がける許可を得ているものの、庵野自身がなかなか動かずにいるという[45]
  • 1988年(昭和63年)に公開された『火垂るの墓』で原画を担当し、神戸港での観艦式(清太の回想)の場面での軍艦(高雄型重巡洋艦「摩耶」)を、出来るだけ史実に則って描写することを求められ、舷窓の数やラッタルの段数まで正確に描いた。もっとも完成した映画ではすべて影として塗り潰され、庵野の努力は徒労に終わったという。
  • アニメージュ」1997年1月号で最も多く観た映画として『激動の昭和史/沖縄決戦』(岡本喜八監督)を挙げており、「一番好きな監督はだれかと言われたら、考える間もなく「岡本喜八」と言ってしまうんですけど」と述べている。[46]
  • 1999年(平成11年)、海上自衛隊ドキュメントビデオである『JMSDF FLEET POWERS』に出演し、同作品の映像監修も務めた。
  • 極端な偏食家であり、と魚は一切食べられない。自ら動く生物は食べられないという(ジブリ汗まみれ、Vol.119)。その一方で、菜食主義者かというとそうでもなく、知らないものに対する警戒心が強いが故に食べられるものが少なく(妻の安野モヨコによれば、例えば食べる必要のなかったズッキーニを食べられるようにするのに苦労したという)、油断するとスナック菓子ばかり食べているという[47]
  • 安野モヨコの著作『監督不行届』によると、伊藤理佐の漫画『おるちゅばんエビちゅ』のエビちゅの真似をして「〜でちゅう」言葉を日常会話で使っていた時期があったという。また、『日本沈没』で丹波哲郎が演じた山本総理のマネは得意。
  • 1970年前後生まれのアニメ監督に、庵野を尊敬している人物が多く、水島精二山本寛高村和宏京田知己などは各所のインタビューで度々その旨を語っている。
  • 若い頃は大の風呂嫌いであり、長い時は1年間風呂に入らなかったという。庵野曰く「風呂に入らなくても死なない。死なないことを毎日、習慣でする奴は時間が余ってるからだ。オレにはやることがあるので、余ってる時間などない。ゆえに風呂になど入らない」「頭皮は1ヶ月で痒くなくなる」「(数ヶ月に1度、風呂に入った時は)身体を洗ったお湯が灰色になった」とのこと[48][49]。しかし『監督不行届』によれば、結婚生活の中で妻から改善を促され、現在は定期的に入るようになった。

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ わかつきめぐみ「解説」『月は東に日は西に白泉社〈白泉社文庫〉、2000年、[要ページ番号]ISBN 4592882857。
  2. ^ 庵野秀明『パラノ・エヴァンゲリオン』太田出版、1997年、34頁。ISBN 4872333160。
  3. ^ a b c 山田井ユウキ (2014年11月5日). “庵野秀明監督「アニメーターの技術は、今でも『オネアミスの翼』が最高峰」と断言 - 自らのキャリアを語る (1) 『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』の原画に感動した庵野秀明監督”. マイナビニュース. マイナビ. 2015年3月18日閲覧。
  4. ^ ヤングサンデー』本誌(『アオイホノオ』発売記念対談)、『アオイホノオ』(ヤングサンデーコミック版1巻の巻末)
  5. ^ 庵野秀明 1997, p. 63.
  6. ^ 庵野秀明 1997, p. 66.
  7. ^ 山田井ユウキ (2014年11月5日). “庵野秀明監督「アニメーターの技術は、今でも『オネアミスの翼』が最高峰」と断言 - 自らのキャリアを語る (2) 納得のいく爆発表現は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の丸い爆発”. マイナビニュース. マイナビ. 2015年3月18日閲覧。
  8. ^ 2004年8月27日発売 DVD『トップをねらえ ! パーフェクトガイド 』声優座談会
  9. ^ 両作品に出演していた日髙のり子が担当していたラジオ番組はいぱぁナイト』金曜日にたびたび庵野はゲスト出演し、この口癖や「空母好き」から日高やリスナーから「空母そ・そ・そ・そ」のあだ名が付いた(本人は空母よりは戦艦マニアと主張)。
  10. ^ 『ふしぎの海のナディア』アニメージュ編集部 編、徳間書店〈ロマンアルバム〉、1991年、53頁。ISBN 4197210701。
  11. ^ 月刊ニュータイプ』1996年6月、 [要ページ番号]
  12. ^ 1996年 - 1997年頃の発言。『スキゾ・エヴァンゲリオン』、『パラノ・エヴァンゲリオン』などを参照。
  13. ^ 庵野秀明『庵野秀明のフタリシバイ』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2001年、[要ページ番号]ISBN 4198613753。
  14. ^ 第27回東京国際映画祭 上映作品”. 第27回東京国際映画祭公式ホームページ. 2015年10月24日閲覧。
  15. ^ “ゴジラ:12年ぶり日本版新作の総監督に「エヴァ」庵野秀明 監督に「進撃の巨人」樋口真嗣”. まんたんウェブ. (2015年4月1日). https://mantan-web.jp/article/20150331dog00m200105000c.html 2015年4月1日閲覧。 
  16. ^ NPO法人ポータルサイト アニメ特撮アーカイブ機構
  17. ^ 庵野理事長「個人ではとても叶えられない願い」 アニメの原画や特撮のミニチュアをアーカイブするNPOを立ち上げ、ねとらぼ(2018年5月2日)、2018年5月12日閲覧。
  18. ^ 高等学校美術教科書『美術1』、光村図書、平成28年3月10日 検定済み、平成31年2月5日 発行、66ページ
  19. ^ 週刊プレイボーイ2008年2月25日号NO.8
  20. ^ オトナファミ 2008 April
  21. ^ 小黒祐一郎. “アニメ様365日 第458回 「逆襲のシャア友の会」(完結編)”. WEBアニメスタイル. スタジオ雄. 2015年10月24日閲覧。
  22. ^ 同作のDVDBOXに収録されている庵野のコメントより
  23. ^ 2013年5月発売の『安彦良和アニメーション原画集「機動戦士ガンダム」』
  24. ^ 高等学校美術教科書『美術1』、光村図書、平成28年3月10日 検定済み、平成31年2月5日 発行、66ページ
  25. ^ 小谷野敦『ウルトラマンがいた時代』ベストセラーズ〈ベスト新書 403〉、2013年4月。ISBN 978-4-584-12403-1。
  26. ^ 映画秘宝2017年3月号、柳下毅一郎との対談
  27. ^ 金子明雄『東京12チャンネルの挑戦 300チャンネル時代への視点』三一書房、1998年、141頁。ISBN 4380982785。
  28. ^ 正式には2000年のOVAフリクリ』で猫のキャラクター・ミユミユ役を演じているが、クレジット表記では声優名が「?」表記で伏せられており、北米版OVAの出演者インタビューでしか明らかにされていない。
  29. ^ 平成28年度(第67回)芸術選奨文部科学大臣賞及び同新人賞の決定について”. 文化庁 (2017年3月8日). 2017年5月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月20日閲覧。
  30. ^ 平成28年度(第67回)芸術選奨受賞者一覧 (PDF)”. 文化庁 (2017年3月8日). 2017年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月20日閲覧。[29]
  31. ^ NPO法人ポータルサイト アニメ特撮アーカイブ機構
  32. ^ 庵野理事長「個人ではとても叶えられない願い」 アニメの原画や特撮のミニチュアをアーカイブするNPOを立ち上げ、ねとらぼ(2018年5月2日)、2018年5月12日閲覧。
  33. ^ ふしぎの海のナディア :作品情報”. アニメハック. 2020年8月4日閲覧。
  34. ^ https://twitter.com/back_asato/status/754742907869855744
  35. ^ 「ウルトラマン」の歴史が動く、すべての人に贈るエンターテイメント『シン・ウルトラマン』製作決定!” (日本語). 円谷ステーション – ウルトラマン、円谷プロ公式サイト. 2019年8月1日閲覧。
  36. ^ Tsuburaya Global Business Interview Vol.1 Takayuki Tsukagoshi x Jian Sun (SCLA)” (英語). Tsuburaya Productions Co., Ltd - ULTRAMAN Series. 2021年1月5日閲覧。
  37. ^ 庵野秀明&黒沢清、『星くず兄弟の新たな伝説』に特別出演していた!”. 映画情報のぴあ映画生活 (2018年1月20日). 2018年1月31日閲覧。
  38. ^ 岩井俊二新作「Last Letter」に松たか子、広瀬すず、神木隆之介、福山雅治が出演”. 映画ナタリー (2018年8月3日). 2018年8月3日閲覧。
  39. ^ さようなら全てのエヴァンゲリオン〜庵野秀明の1214日〜”. NHK (2021年4月16日). 2021年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月2日閲覧。
  40. ^ ドラマ版での名前は「庵野ヒデアキ」。
  41. ^ 庵野秀明、宮崎駿との秘話明かす「エヴァ」のプレッシャーから助けられた…”. シネマトゥデイ. 2021年3月22日閲覧。
  42. ^ 「少し前よりもナウシカの事が少しわかるようになった。 ロング・インタビュー宮崎駿」『コミックボックス』VOL.98、ふゅーじょんぷろだくと、1995年1月、 21頁。
  43. ^ 鈴木貴博. “ビジネスを考える目 第143回 映画『風の谷のナウシカ2』は実現するのか”. ITマネジメント. 2008年10月4日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2008年9月11日閲覧。
  44. ^ 王様のブランチ「宮崎駿×本仮屋ユイカスペシャルインタビュー」
  45. ^ 伊東弘剛. “鈴木敏夫、庵野秀明を語る。”. 映画ナタリー. 2016年8月3日閲覧。
  46. ^ 「庵野秀明×岡本喜八」『アニメージュ』、徳間書店、1997年1月、 5-8頁。
  47. ^ 安野モヨコ、当初の庵野秀明は「死んじゃうんじゃないか」 夫婦像に反響”. fumumu (2021年3月23日). 2021年3月24日閲覧。
  48. ^ ドラマ24「アオイホノオ」”. テレビ東京. 2017年4月18日閲覧。
  49. ^ 岡田斗司夫の毎日ブロマガ”. ドワンゴ. 2017年10月5日閲覧。

関連項目[編集]