延宝房総沖地震

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延宝房総沖地震
本震
発生日 1677年11月4日
震央 房総半島東方沖
規模    M8.0程度
津波 あり
被害
被害地域 日本
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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延宝房総沖地震(えんぽうぼうそうおきじしん)は、延宝5年10月9日1677年11月4日)に房総半島東方沖付近で発生したと推定される地震。規模はM8 - 8.34とされている。

房総沖地震の一つと考えられているが、震央位置については諸説ある[1]、詳しい地震像については解明されていない。

地震動による被害が確認されないのに対し、津波被害が顕著な津波地震との見方がある[2][3]。約半年前には1968年十勝沖地震に類似し、三陸沖北部が震源と推定されている延宝八戸沖地震があった。

地震津波の記録[編集]

延宝5年10月9日夜五つ時(刻)(1677年11月4日20-22時頃)、陸奥岩城から房総半島、伊豆諸島および尾張などにかけて大津波に襲われた。

「冬十月九日癸丑、常陸水戸陸奥岩城逆波浸陸」(『野史』)など、10月9日夜に津波が上ったとする記述は多く見られるが、地震動の記録は少なく、震害が現れるほどの烈震記録は確認されていない。地震動の記録には以下のようなものがある[4]

  • 「九日岩城大地震諸浜津波打上ヶ」(岩城領内『慶天拝書』)
  • 「夜清天静ニて、五ツ時地震震動致シ沖より津波上ヶ」(下総銚子『玄蕃先代集』)
  • 「十月九日夜の五つ時分少しの地志ん有之、辰巳沖より海夥鳴来り」(上総東浪見(一宮)『万覚書写』)
  • 「晴天、夜地震三度」(江戸『稲葉氏永代日記』)
地域 推定震度
東山道 岩城(E)
東海道 銚子(e), 東浪見(e), 勝浦(e), 江戸(e)
S: 強地震(≧4),   E: 大地震(≧4),   e: 地震(≦3)
津波の被害状況
地域 推定波高・遡上高
古文書の記録 羽鳥(2003)[5] 竹内(2007)[6]
塩竈?* 現・塩竈市? 家数218軒流倒候、男女44人溺死『岩城領内大風雨大破洪水之節覚書』? 4-5m
岩沼 現・岩沼市 民屋490軒余流家、人馬150人溺死『玉露叢』 4-5m
四倉 現・いわき市 於浦々家数330軒流倒候、男女75人溺死
江名豊間、両浦家数218軒流倒候、男女44人溺死『岩城領内大風雨大破洪水之節覚書』
4m 4.0-6.0m
豊間 現・いわき市 5.5-7.0m<
小名浜 現・いわき市 4.0-6.0m
那珂湊 現・ひたちなか市 那珂港の別館ニ在テ海上俄ニ鳴動シ激波天ニ接ス余波館前ニ及フ『水戸紀年』 4m 4.5-5.5m
大洗 現・大洗町 磯浜村家屋を320軒流出『大洗地方史』 5m 5.0-6.0m<
銚子 現・銚子市 其節笠上新田古屋敷迄上り、男女2人浪ニとられ死『玄蕃先代集』 4-5m 2.5-3.5m
白子・子母佐 現・白子町 4-5m
東浪見 現・一宮町 釣村より一ノ宮境めまで下通に居住仕候家数52軒打潰し男女子共137人死す『万覚書写』 6-8m 6.0-7.5m
小浜 現・いすみ市 倒家25軒、溺死9人『葛天日録』 4m 5.5-7.0m
岩船 現・いすみ市 倒家40軒、男女57人溺死す『葛天日録』 7m
御宿 現・御宿町 御宿郷ニテ男女38人余死ス『勝浦史』 6m 5.0-7.0m<
勝浦 現・勝浦市 新宮村と云う所にて、倒家17軒、男女9人溺死『葛天日録』 8m
八丈島 現・八丈町 谷ヶ里半迄浪入『八丈実記』 8-10m
知多半島 1-2m
*『岩城領内大風雨大破洪水之節覚書』には「塩竈拾(尸勺)破損」という記録が現れるが、「塩竈」は海水をいれて塩を作る竃のことで地名ではなく、「家数218軒流倒候、男女44人溺死」は岩城領内の被害である[7]

『葛天日録』および『玉露叢』には水戸領内の浦々で潰家89軒、溺死36人、破損流船ともに大小353艘、岩沼領で流家490余、死者123人(人馬150、内馬27)と記される。その後毎日地震し、昼夜にかけて17-18度、20度に及んで震うという。

『八丈実記』および『八丈島及青ヶ島地災記録』には津浪が谷ヶ里まで上り、青ヶ島では船および水主1人浪に払われるとある。『叢有院実記』および『慶弘紀聞』には、「尾張海溢、時有三又光、自海出、飛西北」とあり、尾張で津波があり海より光が飛び出した様子の目撃談が記される。『玉露叢』によれば紀州にも津波があったという。

震源域・規模[編集]

河角廣(1951)は常陸沖(北緯36.6°、東経141.5°)を震央と考えMK = 5.1としてマグニチュード M = 7.4を与えていた[8]

阿部勝征(1999)は房総半島における津波遡上高から津波マグニチュードをMt = 8.0と推定し[3]、宇佐美龍夫(2003)も(北緯35.5°、東経142.0°)を震央としてM ≒ 8.0と推定しているが、陸地寄りのM 6 クラスの地震の説もあるとしている[9]

中央防災会議は羽鳥徳太郎(2003)などの推定津波遡上高に基づき断層モデルを推定し、地震モーメント M0 = 5.29 × 1021N・m、モーメントマグニチュード Mw = 8.5 と推定しており[10]、竹内仁(2007)らは中央防災会議の断層モデルの滑り量を1.2倍にすると津波遡上高を最も良く再現できるとしている[6]

宮城県沖から八丈島に至る約600kmの広範囲で津波被害が見られ、特に八丈島では遡上高8-10mと推定され、今村飯田の津波規模で m = 3.5 と推定されている[5]

地震調査研究推進本部による「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」では1611年慶長三陸地震、1896年明治三陸地震および2011年東北地方太平洋沖地震(一部)と共に「三陸沖北部から房総沖の海溝寄りのプレート間地震(津波地震)」の一つと評価している[11]

中央防災会議の推定[編集]

中央防災会議首都直下地震モデル検討会は2013年12月に、延宝房総沖地震を初めて想定に盛り込んだ。それによると震源断層は日本海溝と伊豆・小笠原海溝をまたぐ領域幅100-200km、長さ約600kmで、Mw8.5、Mt8.0である[12][13][14][15]

2014年の調査結果[編集]

東北学院大、東北大などのチームによれば、M8.34、津波の最大高は17m(銚子)、最大遡上高は20m。標高10mの池の堆積物を調べ、コンピュータシミュレーションをした[16]

参考文献[編集]

  1. ^ 神田茂(1962)、「延宝5年10月9日の津浪地震と房総沖を震央とする大地震」 地震 第2輯 1962年 15巻 2号 p.143-145, doi:10.4294/zisin1948.15.2_143
  2. ^ 石橋克彦(1986):1677(延宝5)年関東東方沖の津波地震について, 歴史地震, 1986年 第2号, 149-152.
  3. ^ a b 阿部勝征(1999): 遡上高を用いた津波マグニチュードMtの決定 -歴史津波への応用 地震 第2輯, 1999年 第52巻 3号 p.369-377, doi:10.4294/zisin1948.52.3_369
  4. ^ 東京大学地震研究所 『新収 日本地震史料 二巻 自慶長元年至元禄十六年』 日本電気協会、1982年 国立国会図書館サーチ
  5. ^ a b 羽鳥徳太郎(2003) (PDF) 羽鳥徳太郎(2003): 1677年延宝房総沖津波の波高偏差, 歴史地震,第19号,1-7.
  6. ^ a b 竹内仁, 藤良太郎, 三村信男, 今村文彦, 佐竹健治, 都司嘉宣, 宝地兼次, 松浦健郎(2007): 延宝房総沖地震津波の千葉県沿岸~福島県沿岸での痕跡高調査 (PDF) 歴史地震, 第22号, p.53-59.
  7. ^ 中央防災会議 (PDF) 千島海溝および日本海溝で発生した各地震の震度と津波の高さ, 日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会
  8. ^ 河角廣(1951)、「有史以來の地震活動より見たる我國各地の地震危險度及び最高震度の期待値」 東京大學地震研究所彙報 第29冊 第3号, 1951.10.5, pp.469-482, hdl:2261/11692
  9. ^ 宇佐美龍夫 『最新版 日本被害地震総覧』 東京大学出版会、2003年 ISBN 978-4-13-060759-9
  10. ^ 中央防災会議(2005) (PDF) 中央防災会議(2005): 日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会, 第10回, 資料2
  11. ^ 地震調査研究推進本部(2011) (PDF) 三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価(第二版)について
  12. ^ 首都直下のM7クラスの地震及び相模トラフ沿いのM8クラスの地震等の震源断層モデルと震度分布・津波高等に関する報告書p17-18 (PDF) 平成25年12月首都直下地震モデル検討会
  13. ^ ・首都のM7クラスの地震及び相模トラフ沿いのM8クラスの地震等の震源断層モデルと震度分布・津波高等に関する報告書(図表集)(p86-89) (PDF) 平成25年12月首都直下地震モデル検討会
  14. ^ 【首都直下地震の新被害想定】津波、最短1分で到達産経 2013.12.20 14:50
  15. ^ 想定は不確実だと断っている
  16. ^ 房総半島、延宝年間に17メートルの津波 東北学院大など解析 2014年5月4日日本経済新聞・共同通信