延辺科学技術大学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
延辺科学技術大学校舎

延辺科学技術大学(延边科技大学、연변과학기술대학、Yanbian University of Science & Technology)は1992年、韓国キリスト教系の東北アジア文化協力財団(동북아문화협력재단)が中国・延辺朝鮮族自治州の州都・延吉市に設立した、中国最初の中外合弁大学。

1996年9月に「延辺大学科学技術学院」として延辺大学に編入された。2004年現在の学生数は1279名、教員数は174名。附属教育機関に幼稚園、延辺外国人学校、延辺韓国国際学校、起亜技術訓練院などがある。

東北アジア文化協力財団は2010年、朝鮮民主主義人民共和国平壌科学技術大学を設立している。

沿革[編集]

看護学部
  • 1988年10月、韓国系アメリカ人金鎮慶(初代総長)が延辺を訪問する。
  • 1989年8月 学校建立推進委員会と後援会創立。
  • 1989年10月 延吉市と金鎮慶は延辺朝鮮族科学技術専門学校の創立について合意。
  • 1989年10月 建設起工式(本館棟・学舎棟の建設開始)。
  • 1990年1月 アメリカに延辺朝鮮族技術大学財団設立。
  • 1990年3月 延吉市とアメリカニューヨーク株式会社は延辺朝鮮族科学技術専門学校を4年制の技術大学にすることに合意。
  • 1990年4月 本校舎の建設開始。
  • 1990年8月 食堂棟建設開始。
  • 1991年3月 吉林省人民政府は技術学校創立を承認。
  • 1991年8月 中国国家教育委員会は技術学校創立を承認。
  • 1992年2月 中国延辺朝鮮族科学技術専門学校合同書締結。
  • 1992年6月 技術大学と中国国家科学技術委員会は「延辺中長期国土総合開発計画」を締結。
  • 1992年6月 延辺科学技術大学と校名を変更。
  • 1992年9月16日 附属産業技術訓練院開校。 学生総数は200名。(産業情報訓練院・建設技術訓練院・起亜技術訓練院)
  • 1993年4月 大学発展推進委員会結成。
  • 1993年7月22日 附属産業技術訓練院第一期生卒業 (200名)。
  • 1993年9月9日 延辺科学技術大学本科(4年・173名)並びに専科(2年・86名)正式に開校。 東亜技術訓練院開院。起亜技術訓練院第2回入学式。
  • 1993年10月20日 延世大学と学術交流協定を締結。
  • 1994年4月18日 崇実大学と学術交流協定を締結。
  • 1994年7月、延辺科学技術大学は朝鮮族中高学校の英語教師に対して再教育プログラムを実施する。
  • 1994年8月14日~18日 第2回少数民族科学技術者学術会開催。
  • 1994年9月22日 漢陽大学と学術交流協定を締結。
  • 1995年2月22日 浦項工科大学と学術交流協定を締結。
  • 1995年5月8日 アメリカのLiberty Universityと学術交流協定を締結。
  • 1995年9月6日 韓国語科(3年制)新設。
  • 1995年11月11日 中国科学技術大学と学術交流協定を締結。
  • 1995年12月1日 中央民族大学と学術交流協定を締結。
  • 1996年3月27日~29日 中独合作センター開院。開院記念中独合作交流座談会を開く。
  • 1996年3月28日 ドイツのTechnische Fachhochschule Berlinと学術交流協定を締結。
  • 1996年5月11日 KAISTと学術交流協定を締結。
  • 1996年8月8日 大阪情報コンピューター専門学校と学術交流協定を締結。
  • 1996年8月16日、附属の教育機関、起亜技術訓練院の院長、朴炳鉉(54歳)が2人組みの暴漢に襲われ、毒針状のもので腹部を刺され暗殺された。朴院長と一緒に歩いていた「大邱毎日新聞」の記者3人が目撃。韓国大使館の捜査依頼を受けた中国公安当局が解剖検査を実施したが毒劇物は検出されず。中国から遺体を引きとった韓国の国立科学捜査研究所が再解剖検査をしたが、臓器全体が中国ですでに除去されており、防腐処理された状態だったため、正確な死因を究明することはできなかった。
  • 1996年9月 延辺大学に編入。
  • 1996年10月9日 雲南大学と学術交流協定を締結。
  • 1996年11月1日 中国の西南大学と学術交流協定を締結。
  • 1996年11月17日 韓国のハンドン大学と学術交流協定を締結。
  • 1998年1月9日 韓国政府はロッテ製菓とエース寝台の2社と社団法人「延辺科学技術大学後援会」を北朝鮮との「南北協力事業者」に指定。
  • 1998年5月 延辺科学技術大学附属延辺外国人学校と韓国学校竣工。
  • 1998年9月 金鎮慶総長が北朝鮮で逮捕され死刑判決を受ける。その後、突然釈放され10月24日 、43日ぶりに北京に戻る。北朝鮮の中央通信は「金鎮慶は韓国安企部のスパイだと自白したが、アメリカ国籍であることなどを顧慮し寛大に処分する」と報道。
  • 2002年8月6日、第6回東アジア経営学会国際連合・延辺大会が「東北アジアにおける経営を巡る諸問題」をテーマにして、延辺科学技術大学で開かれ開会式では南相福・延辺州長が祝辞を述べる。
  • 2002年9月17日夜 延辺科学技術大学建校10周年記念音楽祭(前夜祭)が運動場で開かれる。
  • 2002年9月18日 延辺科学技術大学建校10周年記念式が運動場で開かれる。
  • 2004年8月26日 金鎮慶総長に対して韓国の忠北大学校は名誉教育学博士学位を授与。
  • 2004年12月16日 新潟の環日本海経済研究所の「賛助会員セミナー」が新潟で開催され、金鎮慶総長が「延辺科学技術大学の紹介」というテーマで講演。
  • 2005年3月22日 韓国の漢南大学は中古パソコン90台を延辺科学技術大学に寄贈。贈られたパソコンは教職員の業務用、及び学生たちの実習用として使用される。延辺科学技術大学ではパソコンが不足しており、教職員のパソコン普及率は70パーセントにとどまっていた。漢南大学と延辺科技大は2003年協約を締結。
  • 2005年6月17日 「第1回延辺韓人開かれた音楽会」が延辺科学技術大学の講堂で開かれ韓国人500名余りが参加。プロテスタント教会が主催し、中国人の参加は禁止された。
  • 2005年7月 延辺科学技術大学で「東北亜経済技術協力国際シンポジウム」が開催される。
  • 2006年7月 金鎮慶総長一行が来日、朝鮮会館および朝鮮大学校を訪問する。
  • 2007年9月8日 延辺韓国僑民体育大会が延辺科学技術大学の運動場で開かれる。
  • 2016年10月 延辺科学技術大学の最高経営課程と済州大学校経営大学院が学術交流協定を締結。[1]

創立者[編集]

創立者の金鎮慶(1935年~、キム・ジンギョン、김진경)総長は慶尚南道宜寧郡に生まれの韓国系米国人。

15歳の時、志願兵として朝鮮戦争に参戦、英国と米国で神学を学び、企業家、教育者として成功する。 

1987年、金日成主席の招待で初めて平壌を訪問、「あなたは朝鮮民族なのに、なぜ中国に大学を建設するのか」と金日成に尋ねられ、その場で平壌に大学を設立することを確約する。 [2]

1994年には平壌・大同江のほとりに病院を建設。

1998年、北朝鮮訪問時に逮捕され、「自由化の風を吹き込んだ」「中国式改革開放に誘導した」「キリスト教を伝播した」などの罪で死刑判決を受けた。その後、突然釈放され10月24日 、43日ぶりに北京に戻った。

  • (延辺科学技術大学を創立した)第2の理由は北朝鮮への足がかりを得たかったことです。北朝鮮の人々を助け、彼らに様々なものをもたらすためです。私が北朝鮮に入ることは不可能でした。そこで、北朝鮮との国境近くに大学をつくったのです。ですから私たちの大学は中国のためだけでなく、北朝鮮のためでもあるのです
  • 中国社会科学院が市場開放システムと韓国の経済発展について講義するために私を招いてくれました。これが、私が中国を訪れるきっかけとなりました。中国を訪れたとき、私が自分自身の大学を設立できるとは思ってもいませんでした。しかし中国を訪れて、残酷な共産主義システムを変えるには若者を教育するしかないことに気づいたのです
  • 光を見たのです。共産主義国家が私に扉を開く様が見えたのです。そこで私は仕事やプールつきの邸宅などをすべて売り払いました。幸い、妻は私のやることに同意してくれました。売ったお金で延辺に大学をつくることができました。教育、すなわち若者に投資するということは、もっとも素晴らしいビジネスです
  • 彼らは正しいことも過ちも分かりません。私は彼らに同情し、彼らへの愛を示したい。たとえ私を捕え、打つことがあっても、彼らを憎みはしません。汝の隣人のように愛せ、と聖書は言っています。北朝鮮は精神的にも肉体的にも病人だと考えるべきです。合理的な行動は期待できません。最近北朝鮮は、日本が経済制裁で何らかの措置をすればそれを戦争の宣言とみなすと言明し、日本を脅そうとしています。日本は北朝鮮の兄のような存在で、北朝鮮にないものをすべて持っています。私たちは不幸な人たちを助けなければなりません。しかしこれは私の哲学であり、日本人に押し付けるつもりはありません。

「キーパソンインタビュー 統一を見据え、平壌科学技術大学を設立します 延辺科学技術大学総長 金鎮慶氏に聞く」(『Erina report』 環日本海経済研究所 2005年3月 )

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 済州大経営大学院と中・延辺科学技術大最高経営者課程が学術交流協定.ヘッドライン済州. 2016.10.05.(韓国語)
  2. ^ 船橋洋一(著)「青い海をもとめて―東アジア海洋文明紀行」 朝日新聞社、2005年