式亭三馬 (落語家)

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式亭 三馬しきてい さんば
本名 宇田川 勝太郎(うたがわ かつたろう)
生年月日 不詳年
没年月日 1939年5月24日
出身地 日本の旗 日本
師匠 3代目三遊亭圓橘
3代目柳家小さん
4代目春風亭柳枝
3代目三遊亭圓馬
名跡 1. 三遊亭七輔(時期不明)
2. 柳家小しん(? - 1901年)
3. 春風亭年枝(1901年 - 1911年)
4. 朝寝坊夢八(1911年 - ?)
5. 三遊亭遊朝( - 1916年)
6. 三遊亭夢輔(1916年 - 1918年)
7. 三遊亭?善馬(1918年)
8. 2代目橋本川柳(1918年 - 1923年)
9. 式亭三馬(1923年 - 1939年)
活動期間  ? - 1938年
所属 吉本興業

式亭 三馬(しきてい さんば、1866年1867年頃 - 1939年5月24日)は、20世紀前半に活動した落語家である。本名は宇田川 勝太郎(うたがわ かつたろう)。

経歴[編集]

改名が多く改名順序がつかみ難いが、明治の末には新内太夫をやっていた時期もあるという。旅廻りが多く、最初は明治30年代初め、遊七(後の3代目三遊亭圓橘)の門で七輔。明治30年代半ばに3代目柳家小さんの門で小しん、1901年ころに4代目春風亭柳枝の門で年枝1911年ころに7代目朝寝坊むらく(後の3代目三遊亭圓馬)の門で朝寝坊夢八、遊朝1916年2月に夢輔、1917年ころに上方に辿り着き、その後京都に居着いた。1918年4月?に三遊亭?善馬、同年10月に師匠の前名、2代目橋本川柳を襲名し盛大に襲名披露を行なった。この頃が全盛期だったと思われる。1923年2月に三馬を襲名するが、昭和に入り吉本に属したが、人気下火になった。しかし噺は衰えなかった。1938年ころまで高座に上がっていたようである。

得意ネタは師匠・圓馬ネタが多く、写し絵といわれた。江戸前の人情噺、『梅若礼三郎』『お岩伊之助』『唐茄子屋』などを演じた。圓馬と親子会では『文七元結』では分担して演じたこともあり話題になった。