弘前市立朝陽小学校

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弘前市立朝陽小学校
過去の名称 白銀小学
朝陽小学
朝陽小学校
朝陽尋常小学校
朝陽国民学校
青森師範学校男子部附属国民学校・青森師範学校女子部附属国民学校
青森師範学校附属小学校
弘前市立朝陽小学校(旧)
弘前市立第一朝陽小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 弘前市
設立年月日 1873年10月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 036-8216
外部リンク 公式サイト
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弘前市立朝陽小学校 (ひろさきしりつ ちょうようしょうがっこう)は、青森県弘前市在府町にある公立小学校

概要[編集]

創立は1873年明治6年)10月で弘前市内で最も長い歴史を持つ小学校である。学区は弘前市の中心部に近い市役所付近からおよそ2km南西にあるりんご公園付近までの範囲である。その学区内には、長勝寺を始めとした禅林街弘前大学本町キャンパス(医学部など)、弘前大学医学部附属病院などがある。2019年令和元年)5月1日時点の児童数157名で、市内では中規模の小学校である。

沿革[編集]

朝陽小学校の前身、白銀尋常小学校、1899年。
  • 1873年明治6年)10月1日 - 本町1丁目角32番地にあった今村九左衛門の家屋を仮校舎とし、私立東奥義塾附設の小学科生徒を収容して、創立。
  • 1874年(明治7年)2月 - 上白銀町1番地元西館字膳家屋(現在の市役所付近)に移転。白銀小学と改称。
  • 1878年(明治11年)7月 - 本町2番地(現在の弘前税務署付近)に校舎新築し、朝陽小学と改称。
  • 1882年(明治15年)1月 - 朝陽小学校と改称。
  • 1886年(明治19年)8月 - 朝陽尋常小学校と改称。
  • 1899年(明治22年)9月 - 新校舎落成式。
  • 1913年大正2年)12月 - 御真影奉置所完成。弘前の学校はこれに倣った。
  • 1917年(大正6年)2月 - 校歌制定。
  • 1923年(大正12年) - 創立50周年記念事業として、校章制定。1924年(大正13年)3月に制作完了し、正式に使用。
  • 1935年昭和10年)10月 - 在府町に校舎新築移転し、落成式挙行。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、朝陽国民学校と改称。
  • 1945年(昭和20年)11月 - 青森師範が戦災により被害を受けた事から、時敏校に移転、時敏の1学年~4学年児童、本校で2部授業を行った。
  • 1946年(昭和21年)4月 - 青森師範附属校として、校舎・児童を貸与し、青森師範学校男子部附属国民学校・青森師範学校女子部附属国民学校と改称。
  • 1947年(昭和22年)
    • 3月 - 校舎を青森医学専門学校に譲渡し、本町2番地の旧校舎に4移転。
    • 4月 - 男子部・女子部を統合し、青森師範学校附属小学校と改称。
  • 1948年(昭和23年)4月 - 弘前市立朝陽小学校(旧)と改称。
  • 1949年(昭和24年)
    • 4月 - 第一朝陽小学校と改称。学区を分離し、桔梗野に第二朝陽小学校を新設。
    • 9月 - 朝陽小学校と再改称。第二朝陽小学は、桔梗野小学校と改称。
    • 10月 - 北側校舎から出火し、全焼。
  • 1952年(昭和27年)1月 - 在府町76番地に新校舎竣工。落成式挙行。
  • 1973年(昭和48年)10月 - 創立100周年記念式を挙行。

教育目標[編集]

  • 生きる力を身につけ、朝陽 (あさひ)のようにきらきら輝く子
  • かるく元気な子
  • いごまでがんばる子
  • ろがる子

学区[編集]

本町元長町元大工町上白銀町塩分町森町覚仙町在府町の一部、相良町茂森町西茂森全域、茂森新町全域、南塘町の一部、清水富田 (字寺沢)、常盤坂1~4丁目

出身著名人[編集]

石坂洋次郎小説家[1]

交通[編集]

参考資料[編集]

  • 『弘前市教育史 別巻』(弘前市教育委員会・1979年3月12日発行)155頁「朝陽小学校」

脚注[編集]

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関連項目[編集]