張皇后 (嘉靖帝)

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継后張氏(けいこう ちょうし、1500年代? - 1537年1月14日嘉靖15年閏12月3日))は、嘉靖帝の廃后。名は七姐(しちしゃ)[1]

経歴[編集]

新郷の人。生員の張楫と妻の薛氏のあいだの娘として生まれる。嘉靖元年(1522年)、陳氏(後に皇后となった)と文氏(後に恭妃となった)と共に、選抜されて後宮に入り、順妃となった。父の張楫は正四品錦衣衛帯俸指揮僉事に任じられた。

嘉靖7年(1528年)10月、陳皇后が嫉妬するように流産して崩ずると、翌年1月、嘉靖帝の母・蒋太后中国語版の薦めで張七姐は代わって皇后に立てられた。しかし皇帝との仲はうまくゆかず、嘉靖13年(1534年)1月6日、張七姐は嘉靖帝の怒りを買って廃位された。

嘉靖15年閏12月3日(1537年1月14日)、薨去した。享年は不明だが、30代と考えられている[2]。没後、葬儀は恭譲皇后胡善祥(宣徳帝の廃后)の格式で執り行われ、単に継后と称されるのみで諡号もつけられていない。金山に葬られた。

脚注[編集]

  1. ^ 『皇時貴戚錦衣衛指揮僉事張楫六代宗親世次記』:叔祖張沢娶李氏、生叔父張楫、少游泮水、卒未穫棘聞之志。娶薛氏、生女諱七姐。聖德不群、及長而愈令者多矣、値嘉靖改元、継而被選、冊封爲順妃、戊子冬正宮。
  2. ^ 明の后妃の選抜では、年齢は14歳から18歳までが最も好ましいとされた。

伝記資料[編集]

  • 『明世宗実録』
  • 『宛署雑記』